(MHA) | ナノ
 あれだけしつこかったのに、予想に反して、焦凍は翌日以降、俺を待ち伏せしなくなった。
 校舎や食堂ですれ違っても、一度視線が重なるだけで、何かを言ってくることもない。その頃には、少なくともA組C組において、俺たちの仲の悪さは共通認識になっていたので、俺に焦凍の話題を振るやつもいなくなった。おかげでなんとか気楽に過ごせている。

 高校生活3日目。西沢が部活の見学に行くと飛び出してしまったので、今日は一人で食堂に来た。格安でうまいものが食える食堂は、全生徒から有難られている。
 俺も好物のきつね冷うどんを手に入れ、混雑するなかで席を探していると、見覚えのある緑頭を見つけ、俺は吸い寄せられるようにそちらへと足を向けた。


「緑谷!」

「えっ、轟く……じゃない、水煉くん!」


 一瞬ぎょっとした緑谷だが、すぐに目を瞬かせて手を振ってくれた。同じヒーロー科だからか、焦凍の事も知っているんだろう。少し腹の奥が重たくなったが、気にせず緑谷がいるグループへ近寄っていく。
 緑谷は、他に男子一人、女子一人の3人で飯にしていたらしい。緑谷が二人に断って、同席しないかと誘ってくれる。快諾してくれた二人の前で断るのは忍びないので、少し迷ったから、うどんを置いた。
 いかにも生真面目といった風貌の男子生徒が、キリリと目を凛々しく開いて、自身の胸に手を当てた。


「初めまして、俺は1年A組の飯田天哉だ。君が噂に聞く轟くんのご兄弟か! まるで鏡写しのようだな、轟くんかと思って驚いたよ!」

「はあ……どうも。紛らわしくなるんで、俺のことは名前で呼んでくれると助かる」

「じゃあじゃあ、水煉くんって呼ばせてもらうね。私は麗日お茶子! 私もデクくんと同じA組なんだ。よろしくね!」

「A組……そっか、だから焦凍の事知ってるのか」


 それなら、緑谷が俺を焦凍と見間違うのも仕方ない。同じクラスなら、俺より焦凍を見かける時間の方が長いはずだ。
 ……でも、先に会ったのは、俺の方のはずなんだけどな。


「でも、ほんとドキッとしちゃったよ〜。轟くん、クラスではザ・一匹狼〜って感じで話しかけにくいもんね」
 
「はは、確かにちょっとね。そうだ、水煉くんはどこのクラスなの?」

「……俺は、」


 C組、と、答えたはずの声は、突如として鳴り響いた警報音に掻き消された。
 周りの生徒がみな顔を上げ、体を強張らせる。突然の事態に誰もが反応できないなか、冷静な自動アナウンスが構内に響く。


【セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは速やかに屋外へ避難して下さい】

「セキュリティ3てなんですか!?」

「誰かが構内に侵入してきたってことだよ! 三年間でこんなの初めてだ! 君らも早く!」


 飯田の声に、見知らぬ三年生が声を上げた。その答えに血の気が引く。
 全国的にも前途有望ヒーローの卵を育む雄英は、あらゆる悪意から生徒を守るため、鉄壁の壁を築いているはずだ。それを突破するなんて、ただ事じゃない。まさかーーヴィランが?

 食堂は阿鼻叫喚に包まれ、我先にと生徒が出入り口に押し寄せた。セキュリティシステムが最高峰が故に、避難指示が迅速で、生徒側に冷静になる余裕がない。先生たちが現れないことで更に不安を煽っている。


「どわーーしまったーーー!」

「緑谷くーーーん!」

「緑谷!」


 脱出しようとする生徒たちに押しのけられ、飯田や麗日、緑谷、そして俺も、人の波に飲まれていく。中でも一人、流されそうになった緑谷に手を伸ばしたが、誰かに押しのけられて捕まえられない。
 それどころか、俺も三人と分かれて先頭の方に流されて行く。出入り口に近づくほど人が密集し、圧迫し合い、呼吸が苦しくなる。誰かの肘が顔に入って鼻血が出るかと思った。


「いっ、て、くそっ……! なんだってんだ、落ち着け!」


 叫んでも、パニックを起こした集団では効果がない。こんな時に、個性が使えていたら、全員の動きを止めさせることができるってのに……!
 ぎり、と、噛んだ唇から鉄の味が滲んだ。せめてこれ以上悪化させてたまるかと、再び声を上げようとした時ーー勢いよく飛んでくる何かを見た。


「大ジョーーーーーーブ! 落ち着いて、ただのマスコミです! 何もパニックになることはありません、大丈ー夫!」

「……い、飯田?」


 まるで非常灯のようなポージングで、必死に、冷静になるよう呼びかける同級生に、ほっと肩の力が抜ける。なんだ、ただのマスコミかよ、と皆が落ち着き始め、俺もようやく圧迫から解放された。
 辺りを見回し、尻餅をついている緑谷の手を引っ張って助け起こす。さらに奥、人の少ない方に麗日を見つけて手を振った。麗日にも怪我はなさそうだ。
 流石は雄英高校というのか、冷静になった生徒たちの中で、何人かがすぐに指揮を取り始めた。そのまま教室へ戻る人、食堂の片付けに入る人、もう一度食事に戻ろうとするやつ、さまざまだ。
 そんな中でやはり、人々を誘導し始める飯田を見て、自然と口から賞賛が漏れた。


「……飯田、すげえな」

「うん……本当に、かっこいいよ」


 緑谷が、クラスメイトを尊敬に満ちた眼差しで見上げている。
 彼らをヒーローたらしめる心のありようを垣間見たような気がして、俺は、眩しさに目を眇めることしかできなかった。



×




 マスコミ事件の後、俺は緑谷達と連絡先を交換して、またなんでもない日常に戻った。入学早々の騒ぎに生徒達はわき立ち、二、三日は騒がしさが続くだろうなとげんなりしながら、頼み直した冷うどんに舌鼓を打った。うどんは最高に美味しかった。
 その後緑谷たちがしきりに気にしていたので、トイレで鏡を見たら、頬骨の辺りに薄く痣ができていた。緑谷たちは心配したが、寧ろ普段よりマイルドだったから本当に気づかなかった。
 これなら保健室に行くほどのものでもない。教室へ戻って席に座ると、西沢が真っ先に痣へ気づいた。仕方なく訳を話せば、「とうとう兄貴と喧嘩して殴り合いになったのかと思った!」と爆笑されたので、俺はなんとも言えなかった。

 焦凍よりは遅く帰ると、姉が居間から顔を出した。ただいま、と挨拶すれば、姉は返事をする前に目を剥いた。


「うわ、何その顔! まさか焦凍以外とも喧嘩したの?」

「んなわけないだろ。ちょっと学校で騒ぎに巻き込まれただけだよ」

「雄英での騒ぎって、相当な感じがするけどね……まあいいや。湿布貼っちゃうから、ちょっとこっちにおいでよ」


 居間に戻りながら、来い来いと手招きされる。俺はおとなしくそれについていって、促されるまま座布団に座った。
 テレビでは、マスコミが起こした騒動について一切報道されてない。相変わらずマスメディアってせこいな。報道の闇を見た気がして、げんなりとため息をつく。

 と。



「ーー水煉」


 いつの間に、なんて、言う隙もなかった。
 俺が目を向ける頃には、焦凍がすぐ隣に膝をついていて、俺の顎を掴んでいた。無理やり変な方向へ向かされ、倒れこみそうになった体をとっさに腕をついて支える。

 ……文句を言うために、これでもかと目を凄めて睨みあげたはずだった。
 なのに俺の体は瞬間的に凍りつき、ひ、と喉が引きつるのを、他人事のように聞いていた。


「それ、誰にやられた」

「は…….い、いや、別に……これは……」

「誰にやられたって、聞いてんだ」


 ぱき、と、霜が潰れる音がした。急激に、室内の温度が下がっていく。
 焦凍の吐いた息が白く染まって、瞳が冷たく、氷のように……凍てついていく。

 恐ろしい。絶対零度に近づいていく、その瞳が、恐ろしくて。
 左が冷たく、右が熱く、焼けるような痛みが全身を苛んでいく。
 そんな目で俺を見るな。お願いだ、焦凍。おまえだけはどうか、そんな目で、俺を。

 息が、できなーーー





「ちょ、ちょっと、焦凍! 落ち着いて、水煉を離してあげて!」


 大きく体が揺さぶられて、俺ははっと正気を取り戻した。急に吸い込んだ空気が異様に冷たくて、何度もむせ返る。背中をさすってくれるのは、よく知った姉の手だ。涙で滲む視界の端に、救急箱が、中身をぶちまけて転がっている。
 その更に向こうに、後ずさる足が見えた。
 整わない呼吸のまま、のろのろと顔を上げると、顔を強張らせた兄弟が、らしくない顔をしていた。


「……水煉、」


 凍てついてもいない、冷ややかでもない。ひどく狼狽える瞳が、本当にらしくなくて。
 ぼんやりした思考のまま、ほんの少しだけ、口角が上がっていた。


「…………悪い」


 そう謝ったのは、自分だったか向こうだったか、よく分からなかった。直後にふわりと体が浮いて、驚いた顔の姉が目に入る。
 やたら丁寧に俺を抱えた焦凍が、俺の部屋の方へと足を向けた。抵抗しようにもひどくだるくて、頭が満足に動いてくれない。なんとか腕を突っぱねても、ビクともしないのがやっぱりむかつく。


「おい、……自分で歩ける、から、」

「ちょっと、黙ってろ」


 開けようとした距離分を詰めるように、抱き上げる力が強くなる。同じ顔に抱っこされているなんて、世にも奇妙な物語的なやつじゃないか。こわ。
 危なげなく、背格好がほぼ同じ俺を抱えて、焦凍は階段を上っていく。緊張で妙に体が固まってはいるが、焦凍から感じる体温は、熱くも冷たくもない……俺と同じ温度をしていたから、こっそりと息を吐いた。

 ともかく、これ以上顔が近づいては叶わない。自身の状態を受け入れて、せめてもの抵抗のつもりで、布団に下されるまで固く目を閉じる。優しく布団を掛けられるのがむず痒くて、跳ね除けたい衝動を必死に抑えた。
 すっかり正気を取り戻してしまったせいで、穴があったら入りたい気持ちでいっぱいだ。こうなったら狸寝入りだと、努めて健やかな呼吸を繰り返す。
 布団の傍に膝をついたままの焦凍が、顔を近づけてくるのがわかって、少しだけ身をすくめた。


「……水煉、寝たのか?」


 耳元で、伺うように潜められた声がした。こそばゆくて身を捩りたくなる。
 我慢だ我慢、と、必死に目を瞑っていると、不意に焦凍の手のひらが頭に乗って、今度こそ悲鳴をあげるかと思った。


「おやすみ」


 心臓の音が爆音で響いているんじゃないか。そんな心配をする俺をよそに、俺の頭を撫でた焦凍は、静かに部屋を出て行った。
 襖が閉まって数秒後、俺は極力静かに布団を跳ね飛ばして布団から這い出る。壁にぶつかってようやく止まり、両手で頭を押さえて、呻いた。


「なっ……なんなんだよ、もう……!」


 今ここに西沢がいたら、顔色を青くしたり赤くしたり忙しない俺を見て、カメレオン人間かと笑っただろう。無性にあいつのテンションが恋しくなって、俺は大きくため息を吐いた。
 10年近く前から俺は、焦凍の考えていることが、わからないでいるのだ。




 


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