意外と痛くはないものなんだな、と、どこか他人事のように感心していた。 すでに視界はノイズが走り、地面に伏せている感覚もない。痛みはないが、自分を構成するもの全てが、未知の何かに変わっていく感覚が、ひどく気持ち悪く、恐ろしいってことくらいだった。
こんな仕事を続けてても、痛いのだけは嫌いだった。 怪我をするたびに泣いたし、時歪の因子を貫くたびに涙が溢れて止まらなかった。 昔から血が苦手でホラーやスプラッタなんか本当に無理だったし、骨が折れた時なんかは、必要最低以上は動くもんかと、お風呂さえ拒否したこともある。
それでも立ち止まらずにいられたのは、きっと、守りたいものがあったからだ。 何ものにも変えられない、あいする世界があったから、私は立ち止まらずに頑張れたに、違いないのだ。
ふ、と、口元に笑みが浮かんだ。 もう素肌が左半分しかないから、そこの感覚しかないけれど、思わず笑みが溢れたのはわかった。 するとすぐそばで、何かを啜るような音がして、ぎょっとした。
「……ねえ、もしかして、泣いてるの……ユリウス」
「……泣いてなんか、ないさ」
「だよねえ。ユリウスが泣いてるの、私、見たことないもん」
視界がほとんど真っ暗なので、真偽のほどはわからないが、ユリウスの声は少し震えているような気がした。今、彼がものすごくレアな表情をしているはずなのに、それを見られないのが死ぬほど惜しい。 勿体無いなぁと落胆しながら、けれど側にユリウスがいてくれるとわかって、私は心から安堵した。死ぬときは思っていたから、本当に。
「ありがと、ユリウス。側にいてくれて……心強いよ」
「アリア、」
「よかった。こんな可愛くないところ、ルドガーに、見せずに済んだ」
それだけが、私にとっての救いだった。ルドガーには、いつも100%の私で会いたかった。だって、好きな人には、一番の自分を見てほしかったから。 弱い部分を受け止めてほしいと、思わなかったわけじゃない。けど私たち一族は、一度能力が発現すれば、その結末は自明の理とも言える。 ならば私は、ええかっこしいでいようと決めた。 私の好きは、この形でいいと、決めたのだ。
「はは、……俺はいいのか?」
「だって、ユリウスは、私にとってもお兄さんだもん。妹のわがまま、聞いてくれてもいいでしょ?」
私がわがままを言うのは、今世でユリウスだけたった。本当の家族とは疎遠で、ほとんどクランスピア社に泊まり込みで、ユリウスに甘えてばかりいた。一番心を許していた彼だからこそ、この場に立ち会ってくれた奇跡に感謝したい。
「ねえ、もう、何個になった?」
「っ…………」
「わかるの。……自分の体が細切れになって、たくさんの分史世界が、生まれていくのが、わか、る、の」
なんておぞましい感覚だろう。死に行きながら、この世界の生命力を奪い、新しい世界を作っていく。それは今まで、私がいくつも壊してきた世界となんら変わらない、生命の息吹がある世界だ。遠くない終焉を約束された世界だ。きっといつか、クルスニク一族が壊さねばならない命だ。 感覚がないのは、そもそもその部分がもう砕けてしまったせいだ。どうして時歪の因子を複数生み出しているのかとか、そんな分析してる余裕なんかない。それよりも、今ならまだ止められる。私を殺すことで、悲しい結末をいくつ生み出さずに済むのだろう。
唯一動く片目で、ユリウスの声がする方に懇願する。視線が重なっていないかもしれないけど、これ以上は我慢できないし、早く、終わらせてほしいと願った。
「助けて、ユリウス。私はっ……これ以上、分史世界を、増やしたくないっ……!」
「っ、……ああっ……!」
ノイズで埋め尽くされた視界に、まばゆい銀光が差し込んだ。複数の何かが割れる音がして、一瞬、音が止む。 突きつけられた切っ先だけが、ノイズの中で、美しく輪郭を持っていた。
ああ、きれいだなぁ。
「……私は、諦めない、よ、ユリウス。きっと……分史世界でも、あなたやルドガーを……助けて、みせ、る、から」
そう。アリア・セルシオに絶望は似合わない。この気持ちを必ず伝えてみせると誓った。 だって、好きな人たちの前では、常に、好きな自分でいたいから。
いたいほど悲しい叫び声と共に、美しい光が降り注ぐ。 ありがとう、と叫んだ声が、彼らに届くように、私はそっと目を閉じた。
(’170915)END
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