ごめん、と、謝罪を地面に落とした僕へ、ルドガーは「気にするな」と笑った。とんと叩かれた肩から、じんわりと温もりが広がっていく。こんなに冷えるような季節だっただろうか。
 ゆっくりと呼吸をして、道すがら額に浮かんでいた汗を手のひらで拭う。街灯の明かりが足元を照らしていて、なんだか眩しい。


「……薄々、そうだろうとは思ってたけどな。こうも急だと流石に動揺するぜ」


 アルヴィンが、声色を比較して、独り言のように呟いた。僕やルドガーに背を向けて、頭をかく。旅の間に何度も見た、アルヴィンの癖。
 二年以上も一緒に旅をしていれば、仲間たちの癖や嗜好もすっかり頭に染み込んでしまっている。それだけの絆があると信じている。
 癖や嗜好なんてものは、その人が育つ過程で決まっていく。だから、ユーリアと同じ顔をしていても、やはりウィリスはユーリアではなかった。悲しみや苦しさよりも先に、研究者としての自分は、すんなりと納得していた。


「ジュード、お前はどう思ってんだ?」

「……アルヴィンたちの想像通り、きっと、ミラと同じなんだと思う。ルドガーにも、前話したよね。ユーリアが亡くなって、精霊として……ウィリスさんとして生まれ変わった。今までその根拠は彼女の容姿くらいだったけれど、今回のは決定的だ」


 ウィリスは、ユーリアの事は名前くらいしか聞いていないはずだ。ルドガーと同僚だったこと、僕の呼び方なんて、彼女は知らない。憶測と言われればそれまでだ。なんせ、ウィリスの現状を一番理解できる大精霊とは、今はまだ会うことができないんだから。
 ううん、と唸って、頭をひねる。ルドガーが僕を見ているのは分かったけど、僕は頭に浮かんだことを、ぽつりぽつりと零していく。


「けど、記憶を丸々残したままなんていうのは、マクスウェルくらいしかなし得ない、荒技なんだと思う。ユーリアの場合は、うーん……クルスニクの力が作用したとか……予想しかできないけど。けど、気がかりなのは、ウィリスさんがその事を認識してないってことかな。今日の様子を見る限り、ユーリアの記憶は、だいぶ浅いところにあるように思える。……心配だな」

「……なあ、ジュード」

「なに?」


 思考の海に潜りかけていた僕を、ルドガーが呼び戻してくれた。少し視線を泳がせたけれど、真っ直ぐに、僕を見る。


「たぶん、お前と俺たちが考えている事は、一緒だと思う。俺たちだって、ユーリアの仲間なんだから」

「……ルドガー」

「だから、ジュードが思ってることを聞かせてほしい」


 僕を見つめるルドガーの眼差しは、どこまでも凪いでいる。
 審判に打ち勝ち、日常へと戻ってから、ルドガーはよくこんな目をするようになった。エルを見るとき、ラルさんと笑い合うとき、トマトに包丁を入れるとき。水面は凪いでいるのに、その奥底は、光が反射してちっとも見えそうにない。
 その目に見つめられると、僕の口は、勝手に言葉を紡ぎはじめる。頭の中で渦巻いていた言葉を、整然と整えないままに、ぽつりぽつり零してしまう。


「……きた、って。思っちゃったんだ、僕。ミラが精霊として生まれ変わったときみたいに、もしかしたら、ユーリアが“戻ってくる”かもって、……そんな……」

「おたくだけじゃないさ。もしかしたら、なんて、あの場にいた全員が思ってるだろうよ」

「そう、かな。……でも、ウィリスさんのあの顔を見たら、頭が真っ白になった」


 恥ずかしさ、悲しさ、憤り……きっと、少しの安堵もあった。全ての感情は、一つの気持ちから生まれたもので間違いない。
 夜風が肺を満たして、余計なものを持って行ってくれる。吐き出した後には、ただただ苦い後悔が広がった。彼女のまん丸に見開かれた瞳には、困惑と恐怖が滲んでいたのに、僕は何も伝えられなかったんだから。


「ウィリスさんは、ウィリスさんだ。他の誰でもない。そんなの、もう分かってたはずなのにね」

「理解してても、心まではついていかないよ。だから、ジュードはウィリスの事を知ろうとしてるんだろ?」

「……うん。僕は、ウィリスさんの事を知りたい。これから先も、知りたいと思うよ」


 もしも彼女に会えたなら、言わなきゃいけない事があった。あの日、初めて諦めを見せた彼女を抱きしめて、伝えるべき言葉があった。
 でも、もういいのだ。だって、ウィリスさんはユーリアではない。
 長い旅が終わった時。彼女の衣服だけが残ったベッドを目の当たりにした時。僕はこの思いと共に、生きていこうと決めたんだ。


「お熱いねぇ。そういうのは、本人に直接伝えてやんなきゃな、ジュード」

「はは……うん。そうだね、アルヴィン」

「『もう! 揶揄わないでよアルヴィン!』とか小っ恥ずかしそうにしてたってのに」

「もう、なにそれ? 僕の真似? ていうか昔って、いつの話だよ」


 もしかすると、初めは贖罪のつもりだったかもしれない。今だって、穏やかに根付いていくこの心が何なのか、はっきりしない。
 今は、ただ、僕が目指している未来を、ウィリスにも見てもらいたいと思うのだ。



 

back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -