「ライト」

 試しに名を問えば、淀みなく固有名詞が返ってきた。
 聞きなれない響きの名前。目を細めるが、正面から向き合う瞳に偽っている様子はない。

「あんたは?」
「ファスナ」

 当然のごとく聞き返され、複雑な心境のまま名乗る。
 対峙する少女は、中身がどうであれ、外見は自分と瓜二つ。どうもむず痒い感覚が拭えない。……それに。自己紹介に至る前座のせいで、正直頷くのにも躊躇する場面であったし。

 彼女――否、その、彼(?)の突拍子な話を鵜呑み……もとい、信じるならば。
 彼の『知る』世界は、戦争も無い平和なニホンとかいう国だという。そこにはオールドラントの文明を知ることができる、預言に似た端末があって、彼女――否、彼は、それを見た。だから、音素はもちろんオールドラントの世界情勢や、フォミクリーの知識まで得ている、と。

 オールドラントと『彼の世界』における最大の、根本的相違点は、音素の有無だ。『彼の世界』とやらには、音素がなく、ひいては預言や譜術の類いも存在しないんだとか。
 譜術はまだいい。だけど、預言。預言のない世界――なんて、想像力が追いつかない。訝しい話に眉を寄せれば、彼は苦笑する。
 俺からすれば、預言の方が別次元だ、なんて、おかしな事をいう。

 替わりに、譜業に似たものが発展を遂げているのだという。あるものは小型化し、あるものは処理速度を上げ、特定の分野に、更には多方面で特化した機器。空を飛ぶ旅客機まで有るというから、驚かずにはいられない。
 そんな、まるで失われた創世歴時代の技術もどきに溢れる世界から来たと、『彼』は断言するのだ。

 ……と、まぁ、その。正直な話、到底容認できる話ではない。
 だって、自分のレプリカに宿る精神は、言ってしまえば異世界からの来訪者だなんて、そんな。あまりに非現実的過ぎる。信じる以前に、想像が難しいのだ。

 正直、私自身が預言を嫌うあまり、レプリカが精神異常をきたしてしまったのだと思う。自分自身の内面を見せられたようで、信じる信じないよりも、羞恥が先に立つ。

「……ふうん」

 完全にベッドへ乗り上げ、膝を抱え込み、その間から顔を覗かせる。だいぶ寒気もマシになってきた。じめじめした空気は相変わらずだが、こればかりは何を言っても詮無いことである。
 私の返答があまりに簡素であったのか、向かい側でベッドに寝転がったレプリカーーライトが目を丸くする。
 混乱が沈静化すると、途端に肌を刺す寒気を感じ始めたらしい。首元まで毛布を引き上げ、身体を縮こまらせていた。馴染まないのな、もぞもぞしている。……深くは追及しないけど。

「意外と……あっさり、認めるんだな」
「認めてなんかないよ。異常だと思ってるだけだ」

 言い切る。理由はともかくとして、現に彼は少なからず知識を持っていて、意識が在る。現実的ではないが、だけど私には異世界を実証する方法など無い。悪魔の証明はできない。
 君が在ると確信しているなら、実在するんだろうね。それが例え空想だろうと。
 そう付け足したら、なんだか微妙な声音で生返事を返してきた。陰鬱な溜息が小さく聞こえる。

「俺、これからどうなんだろ。……なぁ、どうしてあんたのレプリカを作る必要があったんだ?」
「……知りたいの? 君に関係ないと思うんだけど」
「や、あるだろ、そりゃ。俺は、あんたのレプリカなんだろ?」
「私は、君に話す必要性を感じない。君が知ったところでどうしようもない」
「なんだよ、それ。何も知らないんじゃ、それこそ何も出来ないだろ」
「別に、何もする必要はないと思うけど……まあ、いいか」

 煙に巻こうとして逆に言い包められた。まあ、本人が傷ついても私の与り知るところではないし、彼女に何ができる訳でもない。

「試験体(オリジナル)、だよ」
「オリジナル、って……レプリカのか」
「私、音素(フォニム)を扱う素質が人より高いみたいでね。けど残念ながら、第七音素とは相性が悪いんだ。なら、多少劣化していようと、より万能な力を持つレプリカを作れないか、ついでに実験してみようってわけ」
「な……」
「科学者の連中は、先天性身体的能力値もきっと大差ないだろうって言っていたよ。同位体ではないけどね」

 その点に関しては、さも残念そうに吐いていた。今の彼女は、前者に利用価値があると見なされたからこそ長らえているのであり、実際彼らは『出来栄え』や『不具合』によっては、容易く彼女の命を摘み取るだろう。

「なんだよそれ、意味わかんねえよ」
「つまり、君は……私のレプリカは、神託の盾(オラクル)騎士団に使われるべく作られたってこと。詳しくは、ヴァンという男に、かな」

 よかったね。おそらくは、この世界では余分な記憶さえ隠しおおせれば、君の生活は保障される。安全は自分で掴み取るしかないだろうけど。
 少女は瞠目し、ヴァン、と口でなぞった。総長がどうかしたのだろうか。ヴァンの名を告げた瞬間にがばりと上げた上半身は、よもや取り繕う余地もない。
 どうでもいいけれど、私の顔で彼に関するリアクションをとられると、とても、心底、複雑だ。

「っい、今何年なんだ!? ここどこだ!?」
「ND2010だけど、年号わかるの? ……ああ、こっちの事は知ってるんだっけ。ここはコーラル城だよ」

 この城は、かつてのキムラスカ貴族がマルクト人の妻と住んでいた小城だと聞いた。だがそれも昔のこと。物騒な事件もあったようだが、どれも世界を震撼させるようなものではない。よほど彼の言う「端末」が優秀なのだろうか。だがそれが、なぜそこまで動揺を招くんだろう。

 ふと思考を中断する。いくら考えても詮無いし、必要以上に『彼』に関わるつもりはない。未だに何やら沈没したままのライトへ声かけると、彼はのっそりと起き上がった。

「キミ、これからどうするの」
「どうって……」
「特殊な素性みたいだし、ボロ出せば、すぐさま実験体に成り下がるだろうね。それとも、殺されるかな?」
「こ、……はっ……!? そんなのごめんだ!」

 んなワケわかんないのに付き合えるかと、彼は私と同じ顔で激高した。死の概念すら知らないはずのレプリカが……そもそも『私』が、死ぬ、または自身を弄くり回されると聞いて狼狽える様は、見ていて複雑だ。

 彼はレプリカだ。現状では今はまだ、そしてこの先も、一般的に理解されることはない。内蔵する精神が何者であっても、その事実は覆せない。
 その脆いからだを無遠慮に探られ、手を加えられたりした日には確実に、その命は摩耗する。ただでさえ不安定な身体が、更に死へ追いやられる。
 今日ここに集っているのは、己の興味と好奇心を最優先し、自ら禁忌に手を伸ばした奴らだ。レプリカという「複製品」の犠牲などちっとも省みないだろう。私を含め、自身の好奇心を満たす道具でしかないのだから。

「なあ、どうにかできないのか……? そりゃ、訳分かんない状況だけど、死ぬなんて……」
「さあ。私には関係ないもの」
「っ……」

 ぞんざいに言い放つと、彼は息を詰まらせて下を向いてしまった。それでも私は自ら動く気などない。

 だって私も、これで終わりにするつもりだったのだ。

 ただ、必要だと言われた。最適な人材として私だけが選ばれた。なら、それを生まれた理由として全うし、そのまま生を終わらせたかった。
 フォミクリーが起動し、レプリカ情報を抜き取られるあの瞬間。
 ーーあの脱力感と共に、死んでしまっていたらよかったのに。

 膝を抱えた時、その隙間から足がみえた。いつの間にか正面に立っていた少女は、心底不機嫌そうに顔をしかめて、私に言った。

「俺、死ぬつもりはないから」
「……そう。でも私は、」
「どうでもいい、だろ。じゃあ、手伝ってくれよ」

 頼む。
 あまりに清々しい様は、まるでその手段が確実であると錯覚させる眼差しだった。
 そりゃ確かに、唯一生命の存続手段であると確信したなら、素直にすがるしかないかもしれないけれど。微塵も警戒心を掠めないのは如何なものだろう。生きるどころか、すぐ死んでしまうんじゃないか。

「何をしろって、いうの」
「あー……えっと。とりあえず立って」
「……?」

 意味を飲み込めないまま、ライトに従って立ち上がる。彼に歩み寄ると、その指先が真っ青になっていて、に吸い寄せられるよう手を伸ばした。すっかり固まった指に「冷たい」と何気なく呟くと、「あんたと大して変わらないだろ」と笑って握り返された。
 少し黙り、振り払った。

「あんた、できるだけ痛くなく人を気絶させることってできる?」
「さあ。譜術で電磁ショックとか?」
「……げえ。痛そうだ」
「痛くて死んじゃうかもね」
「う……俺が普通のレプリカだったら、とりあえず、ダアトに戻るのか? そのあとは?」
「さあ。適当に担当がついて、二足歩行の練習でもさせられるんじゃない」
「あー……」

 首元に指をつけると、ライトの顔がこわばる。赤子のように扱われるのは、抵抗があるだろう。私だって、そんな自分は見たくない。
 そのままベッドに向き直る。このまま懐剣でぐさりとやられたらとか、彼は微塵も考えないのだろう。まあ、彼が私に求めていることは、把握できたけど。

「で、もういい?」
「あ、ちょ、待て。まだ心の準備が、」
「いくよ」

 いつ人来るかわかんないし、時間ないし。めんどうだし。そして、彼が何かを言いかけるのと、私が一つ息を吸うのは、ほぼ同時だった。






'120331 加筆修正




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