ここは、どこだ。
 両足は酷く重たく、瞼が振るえ、痺れた腕に、ひゅっと音を漏らす喉。色、匂い、感触、音――全てに目が回る。
 強引で急な覚醒に、なかなか意識が追いつかない。腹部からこみ上げる圧迫感、それでも意識を手放すわけにはいかず、無心で意識を肉体に繋ぎ留める。

(ここは?)

 やっとの思いで吐息を漏らせば、それに応じて視界が晴れる。脳が光を刺激として処理していく。
 4、5人の人間が、居た。自分が寝かされているのは硬質な冷たい台座と見える。温かい碧と橙の光が自分を取り巻いていたけれど、指を動かした直後に霧散してしまった。

「……あ、」
「目覚めたか」

 機械の傍に立ち、こちらを見下ろす茶髪の男。大降りの帯剣。よく見知った軍服。暗くも意志の強い青の瞳。
 ――ローレライ教団神託の盾騎士団の若き総長。彼こそが、その人。

 彼を見、現状を把握した途端、全身へ押し寄せる倦怠感に深い息が漏れる。瞼をこじ開けることすらひたすらに億劫で、欲求に従い目を閉じる。
 ……身体が休養を渇望しているのは言わずもがな、か。よくよく考えれば、自分にとってはとてつもない強行軍だったのだし。
 だが。……だが、何よりも先に、確かめねばならない。軋む体に無理を押し付けてでもその、……実験とやらの『結果』を。

「終わりました、か」
「ソレだ」

 顎でしゃくって私の隣を示される。首筋から後頭部への鈍痛に耐えながら、そちらを向く。



 ――同じ顔で、同じ体格の、少女が居た。

 その精巧さは息がつまるほど。出来うる限り目を見開き、その少女を注視する。
 台座に散らばる黒髪。ゆっくりと、だが確かに上下する胸部。――生きている。
 彼女が「何」であるか、自分は識っている。

「っ……」

 少々荒々しい浮遊感に全身が悲鳴を上げる。熱を帯びた喉を裂いて悲鳴が漏れたが、ヴァンはさほど気にもせず私を立たせた。それから無言で、隣の男に引き渡される。自分の役目は、これで終了らしい。

 引き渡された相手は初老の男だった。おそらくはベルケンドの研究者だろう。研究者としての好奇心で、この狂気的な計画に加担したらしい。だがそれにしては、表情がどこか固い。実験成功への喜びや興奮も色濃く出ているけれど。
 当然だ。この技術は『禁忌』なのだから。

 男は抱えていた毛布を広げ、そっと私の身体を包み込んだ。裸体への羞恥心など沸く余裕すらない。石畳の床が、驚くほど冷たかった事だけ覚えている。

 近くの壁に、もたれ掛かるよう座り込む。
 それにしても、寒い。服はどこにいったのか。今は何時なのか。日付は変わってしまったのか。どうでもいいことばかりが、浮かんでは消える。
 そして、台座の上の、今まさに引き摺り下ろされる少女を、無感動に見やった。

(……本当に、そっくり)

 混沌とする意識。言葉が喉に引っかかって音にすらならない。それは最早拒否しようもない現状だ。
『彼女』は生まれた。作られた。細部まで、『私』と違わぬ姿で、曖昧ながらも存在を確立している。
 半信半疑だった技術は、目の前で成功を果たしたのだ。私を、被験者(オリジナル)として。

『彼女』の目覚めに立ち合わぬまま、歩行不可能の私は誰かに抱えられてその空間から出ていく。意識を浮上させない『彼女』は毛布にくるまれて、見えなくなった。

 寂れた古城の薄暗い通路。ぐんぐんと遠ざけられる光景。窓から吹き付ける潮風が肌寒い。末端神経はすでに麻痺していて、悪寒が止まず、自身を包む毛布を引き寄せる。
 視界が端の方から滲んでいく。小窓から、海が顔を覗かせていた。

 彼の話では、あらかじめ抜き出した情報を元にするより、被験者から直接情報を読み込む方が遥かに効率的なのだそうだ。製造された『彼ら』の身体的能力や外見的特徴はより被験者に近く、音素乖離までの寿命も比較的長くなる。
 ただし。その場合、成功率に比例して被験者の負担も大きいと。
 自分に危険の及ぶ計画に、私は同意した。

 では私は、このまま死ぬのだろうか。死にたくないとは思う。だが、生きてこの先、何があるのだろう。この私に。

(会いたくない、な)

 正しくは、関わりたくない。『彼女』に。私から遠く離れた場所で生きてくれるなら、あんなに悩まず素直に承諾しただろう。生命への冒涜だと、人は言うのだろうか。
 『彼女』は何を感じ、思い、どんな顔をするだろう。どんなことを想って生きていくのだろう。何に苛まれ、何に喜び、何のために泣くのだろう。
 私にさえ分からないのに。

 半ば他人事のように、異次元での出来事のように、思って。――つまり、まだ、私には現実味がなくて。
 そのまま、意識を沈めていった。




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