その光が、稲妻でできた剣だと気づいた瞬間、弾かれたように部屋を飛び出していた。

 被験者の女の子みたいに、譜術を応用して空を飛ぶなんて真似できない。頼りになるのは自身の足だけだが、パダミヤ大陸は森面積が広く、闇雲に探したって見つかりっこない。
 とうとう陽が傾き始めてきた。長時間疾走した分とは別に、心臓が早鐘を打っている。喉を突き上げるような不快感が気持ち悪い。

 ーー遠目に見ても、威力凄まじい譜術だった。そんなの、出力可能な人間さえ限られる。例えばそう、アリエッタや、シンク……ファスナくらいだ。
 だけど、ダアト周辺で、それほど強大な魔物などいただろうか。

「ーーっ、誰だ!」

 不意に、茂みの奥から金属音が聞こえ、俺は反射的に剣を構えた。
 暗い茂みの奥から、大きく黒い影が、どうと倒れ込む。神託の盾騎士団特有の意匠だ。その手から、杖代わりにはひどく心許ない剣がーー俺が構えているものと同じ小剣が、滑り落ちた。

 息がつまる。
 倒れてから、微動だにしない、その人は。

「カ、……カンタビレさん!?」

 突き動かされるように彼女側へ膝をつき、その体を横向きにさせ、状態を確認する。
 かなり浅いが、息はある。酷い凍傷とはいえ致命傷は見当たらない。そうなると、内蔵の損傷だろうか。ここまで衰弱しているのは何故か、考える時間も惜しく、カンタビレさんに治癒術をかける。
 いつも檄を飛ばしている人が、こうも弱っているだけで血の気が引く。やがてその眉毛が震えた瞬間、俺は大きくその人の名前を呼んだ。

「……う……」
「カンタビレさん!! 良かった、気がついたんだな! 一体何があったんだ!?」

 治癒術をかけ続けながら、カンタビレさんに呼びかける。彼女は何故か不機嫌そうに眉を寄せ、呆れた、と吐き捨てた。

「はっ……やっぱり、猫被っていやがったね。……まったく、揃ってムカつくやつだよ、あんた達は」
「そんなの、今はどうだっていいだろ! なんでそんなに衰弱してるんだ……それに、その剣だって……!」

 希少なものではないが、業物でもなく、長剣のように鎧を貫けはしないので、女性や子供、もしくは超近接戦闘の人間しか使わないものだ。俺は長剣を振り回すのが苦手だし、ファスナも、遠距離戦が主で大ぶりな武器は要らないと言うから、同じものを使ってる。
 それだけなら良かった。けど、グリップの部分に巻かれた鮮やかな革紐は、俺と一緒に買ったもので間違いない。……あれは、ファスナの剣だ。

 唇を噛んだ俺を、カンタビレさんは鋭く睨みつけた。そんなに酷い顔をしていただろうか。

「勘違い、するんじゃない。怪我させたのはお互い様なんだ。それにあいつは、ファスナは……あたしを生かすために、剣をよこした……」
「カンタビレさんを生かす……? まさか、ヴァンが何かしたのか? あんたは何をされたんだ!?」
「あいつから、目を離すんじゃないよ。手綱をつけておかなきゃ、あのバカは、また人形に逆戻りだ」
「カンタビレさん、何言ってんのかわかんないよ。お互いに怪我したって……ファスナと何があったんだよ……!」

 意識が朦朧としているのか、いまいち言葉が要領を得ない。なのに不穏なことばかり零すから、俺の喉はぐっと狭まり、喘ぐようにカンタビレさんを呼び続ける。
 まるで、寝言みたいだ。いくら呼びかけても言葉が返ってこない。頬を叩いても目が虚に宙を見るだけだ。
 致命傷もないのに、命が溢れていくように、見える。
 抱きしめれば、あるはずの温もりがなく。鼓動の間隔が広くなっていくことがーー恐ろしい。

「あんたは、信じる事をやりな。……あたしはダメだった。ヴァンの力を目の当たりにして、牙が折れちまった……ああ、どの口で、あいつの妹を焚きつけたか……」
「やめてくれ、カンタビレさん……そんな弱気なこというなよ、あんたらしくないだろ……! しっかりしろよ! くそっ、なんで効かないんだ……!」
「……柄、じゃないが……あんたは……ただ、信じるように、」

 その先が、あるような気がした。

 一瞬、全ての音が途切れる。俺の呼吸さえも、止まる。
 風が彼女の前髪を揺らすのを、ただ、目で追う。




 その男が現れた時、俺は気づきもしなかった。光源の弱い空では、男の影を作ることはできなかった。

「貴様が見つけたか。因果なものだな」
「……黒獅子、ラルゴ……」

 力が抜けていた体が、再び強張るのを感じる。横たわる女性の体は、まだ硬直していないものの、外気と同じほど冷え切っていて、ぎくりとした。
 カンタビレの体から手を離し、現れた男ーーラルゴを見上げる。近くで見ると、本当に大きな体だ。
 ラルゴは俺を見下ろし、くっと口角を上げたように見える。それがどうしても気に障って、彼から視線を外し、カンタビレを見下ろした。が、すぐに彼女からも目を逸らしてしまう。

 人の死体を見たのは、初めてではない。任務中、殺人の瞬間を見た事もある。けど、身近な人が死ぬその瞬間を、まだ心が処理できていない。
 覚悟のない胸中を見透かしたのか、男はくつくつと笑い、鎌の柄を地に突き刺した。その振動に体を震わせ、唇を噛み、睨むようにラルゴを見上げてやる。

「第六師団師団長、カンタビレは、病のため長期的な休養を取られる。カンタビレ『復帰』まで、ヴァン謡将は、貴様に第六師団を任せると仰せだ」
「復帰……? カンタビレ……さんは死んだんです。それを、復帰だとか、何を……言って……」

 暗く、鮮明に映らない視界に、鮮やかな深緑が過った。つい追ってしまった視線の先で、あり得ない物を見る。
 世界の全てを憎み、呪いながら死んでいった少年が、俺を嘲笑っていた。柔らかな造形をしているのに、茫然自失した女が可笑しくて仕方がないと、その口角を歪めている。
 その姿には、柔和な笑みが似合うと、思っていたのに。

「まさか……」
「なるほど。『同類』ともなれば察しがいいか」

 ラルゴがカンタビレの体を持ち上げた時、思わず手を伸ばしたが、重さで瞼が持ち上がった目と目が合って、ぎくりと動きを止めてしまった。
 カンタビレさんを、どこに連れていくのか。体をどう処理するのか。縋り付きたい気持ちになるのを、カンタビレさんの目が押し留める。

「『カンタビレ』は、三ヶ月の『療養』を予定している。貴様もこうなりたくなければ、せいぜい励めむことだな、ライト律師」

 ラルゴはそれだけ言い残し、森の中へと消えて行った。
 その先にファスナはいるのだろうか。怪我をしていると聞いたが、ちゃんと、生きているだろうか。

「…………は、……っは、は、ふっ……」

 強い風に押されるまま、額を地に擦り付けて、蹲る。光の消えた瞳が頭から消えない。

 ーー知っていただろう。
 俺は、カンタビレさんに何かが起こるかもしれないと、知っていただろう。

「っああ、あああッ……!!」

 知らなかったなら、こんなに苦しまずにすんだとでも、いうんだろうか。




 ×



 ひどく痛むのは、傷が治りきっていないせいだろう。
 私の肩に顔を埋め、彼は微動だにしなかった。少し窶れただろうか。ここ一週間ほど、『療養』中のカンタビレに代わり、必死に師団を纏めているのだから無理もない。
 ぼんやりと天井を見上げながら、そういえばこの所、部屋で話す話は暗いものばかりだと思い返す。それでもげんなりしないのは、全てが本音であり、私に真っ直ぐ向いた言葉ばかりだったからだろう。

「ごめんね、ライト」
「…………」

 だから私も、つい言葉がこぼれた。
 何が、と、ライトは聞かない。聞く余裕が無いのかもしれない。代わりに私を抱きしめる力が強くなり、塞がった肩の傷から痛みが走る。

「……カンタビレさんと、会えた。けど……だからって、なんでファスナまでこんな怪我……」
「このくらい平気だよ。任務で怪我なんてしょっちゅうだし」
「それもだけど、けど、顔に火傷が……!」
「ああ……カンタビレも容赦ないよね。まあ、お互い様だっただろうけど。……そっか。カンタビレと会ったんだ」

 微笑むと、首から右半分に引きつるような違和感がある。ライトの様子を見るに、火傷跡で酷い有様なんだろう。
 注目されるのは面倒だし、いっそ、シンクのように仮面でも被ろうか。あの男の顔が歪むのは、少し胸が空くかもしれない。

 カンタビレは死んだ。そうラルゴから報告されたとき、腹の底に、何か重たいものがおりてきた。
 人を殺すなんて、もう数えきれないくらいやってきたことだ。心は重たくなるけれど、もう繊細に傷つくなんてことはなかったはずだ。

 カンタビレの事も、助けようと思ってたの。
 そう尋ねると、ライトは力なく首を振った。そもそも彼は、カンタビレの存在を知らなかった。けど、あの人の身に何か起こるだろうなと、そういう予想はしてたんだと。
 まるで、始祖ユリアへ懺悔するローレライ教徒のように、ライトはカラカラの声で喘ぐ。

 彼の頭に手を回すと、私の背中を掴む手の力がわずかに緩まる。頭を寄せた分だけ、彼の息遣いが、大きく聞こえる。

「それなら、君の手の届く範囲外だった。それだけの話だよ。君がそこまで責任を感じるのは、変な話だと思うけど」
「じゃあ……じゃあ。先の事を知ってる俺は、何をするのが正解なんだ? 俺がここに連れてこられた理由って、なんなんだよ……」

「何故」を、あと何度繰り返せば、彼は自分の選択を後悔せずに済むんだろう。
 彼の思いを、少しずつ聞いていく中で、わかったことがある。
 彼は、ただの善意で正解を選びたい訳じゃない。間違いを踏んでしまった時、それを知った誰かから非難される事が怖いんだろう。彼が、彼の考える正解を選んだ所で、誰も褒めやしないのに。

 彼が生き生きとして見えるなんて嘘だ。彼はきっと、私以上に、この世界に縛られている。
 なのに、彼はどんどん大事なものを増やしていって、すぐ抱えきれなくなっていくんだから、見ていられない。

 彼の頭に当てた手で、毛先の跳ねた髪をすいた。痛む右肩を無視して、彼の背中に手を回してやる。体格は同じはずなのに、やたら筋トレをやるもんだから、背中も少し硬い気がする。

「ライトは……いっそ、この世界について、何も知らなかったら良かったのにね。そしたら君は君らしく、この世界で生きることができたかもしれないのに」
「……そうかな。そう……だったのかもな」

 彼に知識がなかったなら、私たちの関係はどうなっていただろう。常識の通用しない世界に絶望して、塞ぎ込んだだろうか。それか、持ち前の正義感でより一層抗って、早死にしていたかもしれない。

「けど、やっぱり俺、この世界が……人の生き方が好きだった。今は、知ってるせいで苦しいことの方が多いけど、本当に、好きだったんだ」
「君にとっては歴史でも、この世界ではまだ先の未来なんだから。本当にそうなるか分からないよ。それでも?」
「……正直、まだ迷ってるけど。けど、やっぱり好きだと思う」
「そう」

 こんなにも簡単に、人や物事を好きだと言ってのける人間が、世界にどのくらいいるんだろう。それとも自己暗示の一種だろうか。
 人に縋り付きながら、世界が好きだとうわ言のように唱える歪さを、私はもう、笑うことができない。








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