神託の盾騎士団の総長ともなれば、与えられる執務室は一介の教団員と比べ物にならない。本来の頭は大詠師モースだが、あの人の部屋は形ばかりで、基本的に教団側で過ごしている。実質、騎士団の最高権力者はヴァン総長といって間違いない。
シンクに急かされ、私から先に入室すると、そこにはヴァン以外に二人の人影があった。
私と同じ副官のリグレット。それから、なぜか黒獅子ラルゴまで居る。彼は比較的長く在籍しているものの、私と直接接点はなく、任務以外でまともに話したことはない。
「来たか」
「特務師団副師団長、詠手ファスナ、参上いたしました。今度はまた『暴徒』の鎮圧でも?」
「いいや。この度は逆と言えよう」
「逆……ですか」
わざとではなく、純粋な疑問で眉を寄せる。
シンクの話から、まともな話じゃないことは察していたけれど。この様子を見るに、リグレットやラルゴまで手中に収めているんだろうか。
各師団の頭を三人も揃えているなら、ヴァンの戦力は師団規模ということになる。それを知った上で、本当にライトはヴァンに立ち向かう気なんだとしたら、それは蛮勇ではないかとさえ思える。
ヴァン総長は、私の姿を見ると、執務の手を止めて立ち上がった。机から出て、私の数歩前まで進み出る。
高い身長から見下ろされると、それだけで威圧感を覚えるというのに、ヴァンの瞳は底のない海を思わせて益々人をぞっとさせる。
「さっそく本題に入ろう。ファスナ詠手。お前は、自分の預言や出生について、調べた事があるかね?」
「……え? いえ……調べるも何も、事後処理に携わった人間から、直接事情は聞き及びましたので」
「それが、偽りだとしたら、どうする?」
「偽り……? あの、なんのことかわかりません」
「では、真実を話そう」
なんの脈絡もない話に、一瞬呆気にとられて、顔をしかめる。自分の過去を、人が複数いる中で暴露されるのは、誰だって不快だ。
けれど、真実とは、一体なんの事だ。
ヴァンは私に、何を仕掛けようとしている?
頭の奥が脈打っている。ライトの顔が、ちかちかと、頭の中で浮かんでは消える。
呼吸が浅い。聞くべきではないと分かっているのに、私の体は言うことを聞かない。
「お前の生まれは、バチカルのーー名のある貴族の元だ」
ーー敬虔な信者であった私の両親は、すぐに生誕預言を詠めるよう、お産に名のある預言士を立ち会わせていた。預言士は、母親の預言を詠んだ際に、赤子が死産する預言を詠んでいたが、生まれてきた赤子は健康そのものだったという。
その預言士こそが、私をすくい上げた男であり、彼の姉である教団員に、私は育てられたのだ。
「だから両親は、預言通りに死産しなかった私を嫌って、預言士であるあの人に、捨てるよう指示を出したと聞いています」
「いや、真実は異なる。預言士はこれを、独断で乳母を言いくるめ、家人に報せることも無く、その赤子を連れ去ったのだ」
「え……」
息が詰まった。瞠目し、唇が戦慄くのを人ごとのように感じる。
まるで、聞かされていた話と違う。私は直接、事情を知る詠師から話を聞いた。預言士はともかく、姉である『彼女』もそれを訂正することはなかった。
例え今の話が本当だとして、『彼女』が、私に嘘をつく理由などないはずだ。
「……『彼女』は、私を捨てたのは、両親だと言った。それが嘘だとしても、何のために?」
「女は預言を狂信していたが、弟の預言士にも深い愛情を抱いていたと聞く。一方で、預言へ背いたに等しい弟の行動を受け入れられず、自らの理解を捻じ曲げていたようだ」
自らの兄が、預言を『遵守』しないことへ、不快感と罪悪感を抱いた。だから 私だけじゃなく、自分にも嘘をついた、と。ヴァンはそう言っている。
預言士は、改革派のローレライ教徒だった。預言から外れた私をダアトへ連れ帰り、導師エベノスへ指示を仰いだ。そして、私を哀れんだ導師エベノスは、預言士の姉である『彼女』に、私を育てさせるよう命じた。
「女の方は、預言に対して特に盲目的だった。預言から外れた娘を育て続けることに耐えかね、身勝手な正義感により、お前をーー殺そうと目論むほどにはな」
は、と。声にならない吐息が漏れでる。
何の証拠もない話なのに、私はうまく呼吸すらできない。
「異変に気付いたのは、お前を連れ去った預言士だ。遺体には、お前の首に手をかけた姉を、止めようとした形跡が残っていた」
「遺体……そう、二人は事故で……譜術の事故に巻き込まれて、命を落としたと、……」
ヴァンの目はどこまでも冷たく、淡々と『真実』を述べていく。
頭痛が酷くなり、足元がふらついた。なんとか立ち続けながら、ヴァン総長の言葉を飲み込んでいく。
ーーいや、飲み込んではいけないと思うのに、考えるのをやめられない。
『彼』は、捨てられた私を哀れんでくれたのだと思った。
『彼女』は、私を慈しんで育ててくれたのだと思っていた。
私の幼稚な一言で、自責の念に苛まれていたとしても、その根底には情があったのだと思って。
けれど……けれど。そうでなかったとしたら?
ーー遺体には、お前の首に手をかけた姉を、止めようとした形跡が残っていた。
つまり、二人が死んだのは、まさにその時で。
私は翌日、血まみれの状態で、目を覚まさなかったか。
「……二人が……」
「…………」
「二人が、すでに死んでいる以上……それが真実だと言う証拠は、どこにもないでしょう」
「ならば、大詠師モース、詠師トリトハイムに伺いを立てるといい。エベノス様とより密に関わっておられためお二人なら、まぎれもない『真実』をご存知だろう」
苦し紛れに放った一言も、隙のない返事に撃ち落とされる。より預言に近く、厳しい人間二人が肯定するのなら、もう疑いようがない。その度胸も、私には無い。
『彼女』は、私を愛してなどいなかった。
導師に命じられなければ……いや、命じられた上で、預言から外れた存在を、受け入れられすらできなかったのだろう。それでも、性根が優しい人間だったから、心を病まずにはいられなかった。
預言士の方だってそうだ。私を哀れんだのではなく、個人的な何らかの目的で、連れ帰っただけで。
ヴァンと同じだ。私を大切に思ってるわけじゃない。
ーーそもそも、あの人たちは、一度だって、私を愛しているなんて言わなかったじゃないか。
「……っふ、」
喉の奥から何かがせり上がってくる。口元を押さえて必死に飲み込むと、口の中に酸っぱさが広がると共に、血の気が引いた。
愛されなかった事実にではない。そんなこと、もうとっくにわかっていた。彼女がひたすら謝っていた時に、理解していた。
けれど、本当に。
『あの人たち』の中にすら無かったのなら、この世界に一片だって、私が入る余地などなかったのだ。
「ファスナ」
不意に。私の肩に、触れる手があった。
銃を握ったとしても柔らかな、女性の。
「ーー触るな!」
払いのけた瞬間、手の持ち主は大きく後方へ跳んだ。その足元に、いくつもの氷柱が突き刺さる。
リグレットはそれを銃で撃ち抜き、反動で更に移動しつつ着地した。
ヴァンをはじめとした全員が、私の攻撃を防いでいる。流石に二度も、詠唱無しで『ぶっ放す』と消耗が辛い。が、その分頭から、血や熱が抜けていく。
「落ち着きなさい、ファスナ。閣下の御前だ。力を収めなさい」
「……リグレット……」
リグレットが銃を、ラルゴが大鎌を、私に向かって構えている。ヴァンは床へ突き立てた剣を抜き、静かに鞘は納めた。
対して自分はどうだ。元々名ばかりとはいえ、流石に副官の座から下りるべき行為に出てしまった。いや、降りてしまった方が、気が休まるというものだけれど。
大きく息を吐き、せめてもの印に剣を床へ放り投げた。剣は氷に当たって、鈍い音を立てる。
本題の為の前座なら、もう十分だ。さっさと話を終わらせてほしい。
ヴァンを睨みあげると、動じた様子など一切見せず、ヴァンは重々しく本題に移った。
「さて、詠手ファスナ。此度の招集に応じたということは、お前は、少なからず預言を憎んでいる。そうだな?」
「……そうですね。まあ、見ての通りだと思いますが」
「ならば、私に協力しなさい。私はこれから、預言に縛られない、新たな世界を創造する。その為にはお前の力が必要だ、ファスナ」
上手い男だ、と、思う。
彼の話は真実だろう。かつての私なら、確かにショックを受けて、彼の……ヴァンの甘い言葉に乗せられていたはずだ。
けれど、冷たい空気が、私の頭の熱も奪っていってくれたから。私はじっと、青い瞳を見つめられる。
協力してくれと。私を家族だと言い切った少女の顔が、似てもいない男に重なる。
虚無感が、悲しみを飲み込んで、腹のなかで煮詰められ、練り上がり。刺へと転じていくのを、既の所で止める何かがあるものだから、感情が混ぜこぜになって、気分が悪い。
ああ、ライト。君は私に、家族だなんて言うべきじゃなかった。ようやくタイミングを見つけたと思ったのに。
露ほどでも、蜜を与えられてしまったから。
私は、絶望しても、自死を選ぶことができない。
「預言に囚われた愚かしい世界へ、共に復讐しようではないか、ファスナ」
「……ええ、そうですね。ヴァン総長」
顔を青白くさせ、感情の整理をつけられないまま、私は深く頷いた。ヴァンはしばらく私の目を見つめていたが、やがて、話は終わったとばかりに背を向けた。
これで私は、ライトが敵対するヴァン一味の一員となる。ライトに協力する上では、こちら側の方が、都合が良いだろう。
リグレットが剣を拾い上げ、私に投げてよこす。詳細は追って伝えると言われ、扉に手をかけたところで、「そうだな」とヴァンの声が聞こえた。
「一つ、伝えておかねばなるまい」
「……なんです?」
「お前が裏切った時、あのレプリカがどうなるかは……言うまでもあるまいな」
「そんなことですか。別に、死のうが死ぬまいが、どうだっていいですよ。どうせ試験体だったんだから」
「ふん。そうか」
今度こそ、ヴァンが私に背を向ける。
扉を閉じる瞬間、終始無言だったラルゴと、目があった気がした。
「……部屋に、戻ろう……かな」
アリエッタの件に、シンクの挑発、果てにはヴァンの勧誘。色々と立て込み過ぎて疲れてしまった。
譜術で消耗した体を引きずり、なんとか師団の仮眠室へと潜り込んだ。幸い人はおらず、壁に寄りかかって息をつく。部屋に戻るだけの気力はなかった。
頭が痛く、体もだるい。ベッドがこんなに遠いなんて思わなかった。ついでに言うと、壁が冷たくて気持ちがいい。
目を瞑って、呼吸を繰り返すと、強い睡魔が襲ってきた。壁が何かの振動で揺れようと、私を引き止めるほどの力はない。
「……ファスナか? そんなところで何を……おい、ファスナ!」
ほらね、アッシュ。
私の居場所なんで、どこにもなかったよ。