「そこまでだよ、アリエッタ」

 背後から口を塞ぐと、詠唱を中断させられた体はびくりと跳ねた。口元と体を押さえつける腕を、必死に引き剥がそうともがいてくる。
 彼女を拘束しながら、ある一人に目配せすると、彼は悲しげに頷いた。私はアリエッタの口からだけ手を離す。彼女の瞳から溢れた涙が、私の手を濡らしている。

「いやっ……じゃましないで、ファスナ! アニスがイオン様をとったの! イオン様のお隣は、アリエッタの居場所だったのに!」
「落ち着いて。ここは教団の中で、近くには一般人もいる。神託の盾である君が暴れたら、教団の最高権力者であるイオン様の名に傷が付くよ」
「うう……」

 イオン様、と、か細く囁き、アリエッタの抵抗がなくなった。
 気を緩めずに、彼女の拘束を解く。これ以上彼女が暴れていれば、怪我人だって出ていたかもしれない。
 少し離れた場所で、導師守護役に囲まれていた少年が、一方前に踏み出すのが見えた。

「ファスナ……では、あなたがファスナ詠手ですか」
「ファスナ? あれ、ライト律手じゃなくってですか?」
「ライトは私の妹です。それよりも、ご無事で何よりでした、導師イオン」
「ええ……ありがとうございます、ファスナ詠手」

 導師イオンへ一礼すると、彼はどこか困ったように笑った。無理もない。『彼』と私は初対面なのだから。
 近くにいた特務師団員を呼び寄せ、アリエッタを後ろ手に拘束させる。泣くアリエッタを見て、辛そうに目を伏せるその表情こそが、私の知る導師とは別人であると印象付けられる。

「この件は、グランツ謡将へご報告し、神託の盾で処罰を下します。よろしいでしょうか」
「……ええ。しかし、あまり手荒なことはしないでください。アリエッタはただ……」
「あいつはほっといていいんですよ、イオン様! こんなところで譜術ぶっ放すなんて、ほーんとありえないです。行きましょ、イオン様!」

 黒いツインテールの少女が、イオンの手を引っ張っていく。周囲に控えていた導師守護役達も、アリエッタを睨み付け、イオンの背中を追っていった。
 私が目線を走らせると、教団員達は慌てて目をそらし、各々の日常に戻っていく。
 肩書きの便利さを感じるのはこんな時だけだな。なんてため息をつきながら、団員にアリエッタの拘束を解かせ、いつまでも小さい背中を押す。

「なんでぇ……なんで、アリエッタをお側にいさせてくれないの、イオン様ぁ……」

 私に急かされながら、神託の盾本部へと向かう少女は、血を吐くように慟哭した。



 ×



 アリエッタの処分は、数日間の謹慎となった。
 導師イオンの御前だったとはいえ、怪我人も、建物の損壊も無い。何よりイオン本人から希望があれば、組織は従わざるを得ないのである。
 アリエッタの部屋につれていき、部屋に鍵をかける前、ふと私はアリエッタへと声をかけた。

「アリエッタ。私、ずっと君に聞きたかった事があるんだけど、答えてもらえるかな?」
「…………」

 目を真っ赤に腫らしたまま、アリエッタは一度だけ頷く。
 私は扉に背を向けて、部屋で孤独に立つ少女を見つめた。

「私たちは、君の家族を傷つけた。それでも神託の盾で、君は私と隔たりなく接してくれている。それはどうして?」
「……アリエッタのきょうだいを傷つけたファスナたちのこと、本当は許せない……けど。きょうだいたちも、ファスナ達のことを傷つけてた。それに…ママがファスナを許してるから、アリエッタも、ゆるします……です。それに……」
「それに?」
「……ここにきて、イオン様と会えたから」

 だから、もういいのだという。感謝こそしないけれど、許してもいいと。

 育った環強の通り、獣の少女だと思っていた。栄養不足で体の発育が悪く、私と同じ年と聞いて驚いたほど、心が幼い。
 私の腕に噛み付いた時のように、本能をむき出しにしてくるものだと思ったけれど。導師と過ごした時間で、彼女はなんとか人間になったらしい。
 それが、彼女にとって幸福なのか、他人である私には判断できない。けれど、過去を思い出して微笑みを浮かべる少女は、異常な平穏の中にいるように見える。
 ひどく哀れで、なぜだか苛だたしい。



「哀れだよね。本物の導師イオンは、もうこの世に居ないってのにさ」

 アリエッタの部屋の鍵を見張りの男に渡し、特務師団の部屋に向かう途中で、聞き覚えのある声に引き止められた。
 暗がりから現れた少年は、黒衣の団服に身を包み、緑の髪を逆立てて、譜を刻んだ仮面で顔を隠していた。すでに見慣れた出で立ちに、態とらしく肩をすくめてみせる。

「やあ、参謀総長殿。それとも、第五師団師団長と呼んだ方がお好みかな?」
「皮肉ったところ悪いけど、肩書きには興味なくてね。それとも、その肩書きを手に入れたいっていうなら、今相手してやってもいいけど?」
「喧嘩っ早いなぁ。まったく、一体誰の影響だろうね」

 アッシュかなぁなんてぼやけば、すかさず「あのお坊っちゃんと一緒にしないでよね」と突っ込みが入る。師団長着任の折にでも対面したんだろうか。
 彼はアッシュの事情を把握しているらしい。そして私の事も。つまり、彼はヴァンと組んでいるということだ。

 一体何をしにきたんだろう。彼は頭がよく回る。シンク相手に、舌戦は場が悪い。

「ヴァンから聞いたよ。アンタ、預言通りに死ななかったから、神託の盾騎士団に捨てられたんだってね。で、それからも、わざわざ他人の預言を守るために働かされてるってわけだ」
「……今日は饒舌だね、シンク。何か良いことでもあった?」
「本当のところ、アンタは預言に依存する世界をどう思ってるわけ? 教団に飼い殺しされている今が幸福で仕方ないってんなら、金輪際、ボクはアンタに近づかないから安心しなよ」

 私の揶揄いをまるきり無視して、シンクは棘まみれの言葉を振りかざしてくる。
 元々好戦的だったけれど、今日はいつにも増してしつこい。確実に裏がある。そう私が気づいていることも、シンクにとっては予想の範囲内のはず。
 シンクの思惑を計りかねるまま、私は素直に眉を寄せた。嫌味や悪意には慣れているけれど、言われっぱなしも気にくわない。
 誘われるまま、呆れを装い、笑ってみせて。

「預言も他人も、どうでもいい。ただ煩わしいだけだよ。私は死にたくないだけだ」
「へえ。育ての親を殺しても?」

 ーーーーーー。




 ひゅう、と、隙間風が吹いた。
 その冷たさに、思わず身震いする。いや、おかしい。隙間風にしては冷たすぎないだろうか。
 くそ、と。少年の悪態が聞こえるけれど、白い霞がかかって見えづらい。辺りが氷一面覆われているので、寒くて息が白くなる。

 ーーいや、おかしい。ここは、神託の盾騎士団本部じゃなかったか。

「ん……ん? ああ、ごめん、やっちゃった」

 一つ、二つ瞬くと、徐々に視界がクリアになる。
 私を中心に、通路全体が氷壁に覆われている。シンクは先ほどと同じ場所に立ったままだ。よく見ると、足元を氷が覆い、動きを止められている。

「……ちっ。感情の制御もできないの?」
「ええ……理不尽だな。今のは間違いなく、君のせいだと思うんだけど?」
「いいから、壁をどうにかしてよね。溶けるまでアンタと二人きりなんて、冗談じゃない」

 舌打ちをしながら、シンクが自らの拳で氷を砕いた。瞬間的に凍らせただけなので、足そのものは凍りついていない。凍傷程度は負っているかもしれなが、自己責任というものだろう。
 だって彼は、理解した上で、私の心の柔らかい所を突き刺したのだから。

「まどろっこしいことはやめた。シンク、君の目的を聞かせて。……それとも、この場で参謀総長の座を明け渡してもらえば、話してもらえるのかな」
「ふん。何度も面倒を踏む気は無いよ。少なくとも、アンタの本性は分かったからね」

 導師イオンのレプリカに、私の何が分かるというんだろう。そう突いてやりたい気もしたが、それこそ面倒になる予感がしてやめた。

「ヴァン総長がアンタを呼んでる。大人しくついてこい」

 大人しくも何も、上長の命令なら強制だろうに。というか、アリエッタを連れて行った時に会ったじゃないか。
 喧嘩を売らなくても面倒になったな、何て吐いたため息は、白い靄になって消えた。


 




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -