一日一日がひたすらに長くて、どう一日を消化するかだけが悩みだった。死んだほうがマシかと考えた事もある。けれどいざ喉元に剣先を突きつけられると、どこかに潜んでいた感情が吹き出してきて、結局は目的を果たせなかった。
 生きる理由なんて一つだった。ヴァンが私を利用しようとしていたからだ。親や預言からも捨てられた私でも、必要とされているならば、まだ死んではいけないと思った。……いや、死ななくてもいいと、ホッとしていた。
 その男の理想なんて興味も無い。きっと、言い訳が作れればそれでよかった。

 けれど、その言い訳は、いつの間にか変化を始めている。数年前、彼が生み出されたあの日から。
 誰からも必要とされず、唯一ヴァンに使われるしか生きる意味の無かった私に、彼は……力を貸してくれと、言ったから。



「はっ……隙ありっ!」
「うおっ!?」

 真正面から切り込まれた木刀を、こちらの得物で受け流して、体勢を崩した少年の足をさらに引っかける。倒れ込む少年の顔に切っ先を突きつければ、ルークの表情は苦々しく歪んだ。

「くそーっ! おまえ、ちょこまか避けるんじゃねえよ! 正々堂々やりやがれ!」
「そう言われてもね。男性に正面からぶつかっても、女性の力では基本力で押し負ける。なら、力を技術で補う方が確実だよ」
「はあ? 女と男ってそんなに違うのかよ。確かにおまえはヒョロっちいけど、おまえ、俺に負けたことねーじゃん」

 尻餅をついたまま、口をアヒルのように尖らせて、ルーク様はそっぽを向いた。苦笑しながら手を差し伸べて見ても、ルークは手を取らずに立ち上がり、服が汚れたと不満をこぼす。この先、 その汚れが砂や埃であることに、彼がほっとすることはないだろう。
 一時休憩を挟みたいのか、ぐい、と腕を伸ばしてストレッチを始めるルークを観察する。
 上腕筋も腹筋も、見てくれは立派だが、本当に局所すぎて結局は実践向きには育っていない。彼の身分を考えるならば、戦場に立っていたファブレ公爵のように、もしもを想定した訓練を行っておくべきだけれど……彼の場合、やっているのは試合に近い。
 元よりヴァンと同じ訓練はつけられないのだから、せっかくなら別のタイプの敵として立ちはだかるべきかと、趣向を凝らしてみている。まあ、本人が気づいているかは別として。

「悔しいけど、肉体の構造上仕方ないからね。なんなら腕相撲でもしてみる?」

 ぷらぷらと手を振ってみる。と、ルークはぎょっと目をまんまるとさせて、振り払うような動作をした。心なしか耳が赤い。

「はあっ!? い、いいよんなの! ったく、おまえマジ空気読めねーなぁ……」
「ええー……まさかルークに空気読めないとか言われるなんて……」
「どーいう意味だ!」
「はは……にしても、ファスナは腕が立つなぁ。もうどのくらい神託の盾にいるんだ?」

 ベンチで見物していたガイが、腕を組みながらしきりに感心している。確かに、同年代の女性と比較すれば、私もそれなりの腕に見られるだろう。
 習得の難しい上級譜術も、素養があったから、人より楽に習得した。毎日基礎を叩き込まれたから、体術も、ある程度は扱える。全て人に勧められ、与えられてきたものであり、私が積極的に学ぼうとしたものではない。そんな生半可な技術では、隙を生む事も少なくないと自覚しているだけに、褒められればひどく恥ずかしい。

「私は、産まれた時から神託の盾だよ。親に捨てられたところを、導師エベノスが受け入れてくださった。だから、歳の分の実力くらいはあるつもりだよ」
「……そうか。それでも、君の積み上げてきた努力は、君自身の功績さ」
「そう……かな。どうもありがとう」

 一瞬、同情的な眼差しを浮かべた様に見えたけれど、彼は爽やかに憐憫を賞賛へと変えた。なんだか私の方が呆気にとられてしまう。こんなにも爽やかで、柔らかな言葉を人へ向けるくせに、女性恐怖症だなんて本当に詐欺だろう。
 複雑な笑みを浮かべながらも、それに、と続ける。ちらりと見たルークは、どうしてか不満げな顔をしている。

「これも預言の思し召し、だからね。私が捨てられるのは、預言に詠まれていたんだから、仕方がないんだよ」
「……。君は、それでいいのか?」
「私は正直、もう、どうでもいいんだ。未練を抱くほどの記憶も、思い出もないしね」

 ーーどうして、とは、思うけど。
 平然と嘘を吐き出し、続く言葉を飲み込んで、私が笑う。預言の内容には嘘があったけれど、結果が同じであることに間違いはない。
 ガイがそっぽを向いて「そうかい」と相槌をうった。一瞬見えた顔からは、全ての表情が抜け落ちていて、私の背中にも冷たいものが滑り落ちる。私の無気力さに呆れたんだろうか。
 かつての私なら、こんな反応をされても、それこそどうでもよかったはずだ。けれど、何故か今、私は胸に刺さる何かを感じている。
 ガイのその顔は、どこかで見たことがある。預言に翻弄されながら、ただ流されるままに従う私を見下す時の……ヴァン総長と、同じだ。

「んな、ひでー親のことなんか気にすんなよ」

 氷のような沈黙に、彼は気づかなかっただろう。ルークは心底ムカつくと言った様子で、私を不満そうに睨みながら、ぶんぶんと木刀を振り回した。危ない。

「おまえはおまえだろ。おまえは俺みたいに閉じ込められてねーんだから、好きにやればいいじゃんか」
「……え?」
「おいルーク、少し言葉を慎め。彼女には、彼女自身の思いがあるだろ」
「うっせーな。その顔すげーイライラすんだよ。言いたいことがあんならはっきり言えっつーの、めんどくせー」
「ルーク!」

 先の眼差しとは打って変わって、ガイが、ルークに何かを言っている。
 けれど私は、予想外の人物から予想外の言葉を投げかけられて、意味を理解するので精一杯だった。

 冷たくなっていた心臓が、どくどくと、痛いほど脈を打っている。
 真っ直ぐとこちらを見上げるルークの、新緑の瞳を直視できなくて、うろうろと目を彷徨わせるしかない。
 怖い。聞いてしまったら、今まで蔑ろにしてきたたくさんのものと、向き合わなければいけない気がする。たくさんのものを、背負わなければいけない気がする。
 それでも、私の口が止まってくれないのは、何故なのか。

「ルークは……私の親が、預言通りに私を捨てたことを、酷い事だと思うの? そうするのが正しいって言われてるのに」
「はあ? そりゃ、預言に詠まれてたって、ひでーことはひでーことだろ。怒って当たり前じゃん。おまえ、頭良いのに変なとこバカだよな」
「……そう……」

 さりげなく酷いことを言われた。しかも心からバカにされてる。ちょっとムカついたけど、それ以上に、途方もない喪失感に言葉を失った。
 見上げてみた空は、より青く、譜石の輝きも明度が高くなった気がした。鮮やかすぎて目がくらむ。体の奥底にあった淀みがどこかへ流れていってしまうから、体がバランスを崩してしまって、どう立っていればいいか分からなくなる。

 ルークは今、結果へ導いた預言ではなく、私の親を「酷い」と言った。預言に従うのを最善とする世界で、個々人の選択を非難した。
 預言なんて関係なく、嫌な事をされたなら、私は、怒っていいと言うのだ。知らないとはいえ、レプリカであり、周りにルークとしての理想を押し付けられているはずの、彼自身が。

「なんだよ、急にソワソワしだして。マジ変だぞ、おまえ」
「いや、その……うん」

 さっきから散々の言われようだが、否定する言葉もないだけに、私は柄にもなく狼狽えるしかない。彷徨う目線の先で、ガイがにやりと笑っているのが目につく。なんだか妙に腹立たしいけれど、言いたいことは分かるから、ぐうと唸る。

 同じはずの存在に、こうも心を揺さぶられるのは何故なのか。
 ライトといい、ルークといい。本当に彼らは、私たちの、代替え品なのだろうか。

「……ルークって、本当に素直だよね」
「な、なんだよ、気持ちわりーな…….知らねーよ」

 ルークが心底嫌そうに後ずさる。今どんな顔してるんだろう、私。ちょっと傷つきながら、もう一人の使用人を見ると、彼はひどく温かな眼差しで私たちを見ていた。分かっているとばかりの顔には、なんか腹が立つ。
 胸がざわめいて落ち着かない。早くライトに会いたいと思うのに、少しだけ、帰りたくないと、思ってしまったのはなぜだろう。



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