ファスナがバチカルに派遣されて、そろそろ一ヶ月が経つ。かくいう俺も今日シェリダンへの短期任務が決まり、荷物をまとめ、ファスナへの手紙を出した時、俺は突然呼び出しをくらった。
 それは今、病床についていると噂の人物だ。そして俺は、その噂が事実だと、知っている。

 ローレライ教団は――少なくともこの部屋には、神聖とも畏敬ともつかない何かがあった。

 ベッドに横たわる、ローレライ教団を導くはずの導師は、まだ年端もいかない少年だった。申し訳程度に色のついたシーツが病的なまでの白さを浮き立たせ……ああ、言葉が正しくない。
 彼は確かに、病に冒されている。

 仲介者はヴァン・グランツだった。彼は出入り口に控えたまま、口を噤んでいる。
 呼ばれたのは俺だ。ならば用を伺わなければ。つばを飲み、影の少ないベッドサイドに立つと、閉ざされていた瞼がゆっくりと持ち上がった。俺を見つけると、鬱蒼と微笑む。
 生と死の境で微睡んでいる彼は、元々細かった体をより痩せさせ、一見ひどく頼りない。だというのに、その瞳の仄暗さといったら。

「やあ、レプリカファスナ。ひどい様だろう」
「病気…….なんですか」
「お前が知る必要はないよ。ただ、僕が死ぬという未来があるだけだ」

 少年の掲げた指は絶えず震えている。かち合う瞳は絶望を映している。彼が希望を失ったのは、世界の全てを知った時だろうか。
 俺がこの世界にやってきたところで、世界には波一つ立たない。俺がどう足掻いたところで、導師イオンは、弱冠十二歳で、この世を去るのだ。
 言い様のない不快感に歯噛みする。
 イオンが死ぬことを、俺は知っていた。けど今だって、俺は、この場から脱出すること……俺が元の世界に帰ることしか考えてない。だって、彼の肉体の限界は、変えようがないじゃないか。
 けど。だけどだ。
 肉体の死が避けられなくても、……もしかしたら、その心に、少しくらい寄り添うことだって、できたんじゃないか?

「……フフッ……」
「……イオン様?」
「ああ、いや。おまえの方が、被験者よりよっぽど人間らしい顔をするのがおかしくて。おまえは、よほど丁寧に扱われてきたんだろうね」

 笑みになりきれない呼吸音だったが、イオンの口元は確かに弧を描いていた。力ない言葉は、俺とファスナ両方への皮肉にまみれていたが、草葉の陰に向かう彼を、俺は憎むことができない。

「……わたしに、何の御用向きですか?」
「ああ……そうだ。興味本位ながら、レプリカのおまえに、聞いてみたかったことがあってね」
「わたしに、聞きたいこと?」
「おまえは、人の都合で生み出されて、預言に毒されたこの世界を知って──どう思ったの?」
「え……」

 イオンの瞳は、まだ死んではいなかった。きっともう、レプリカイオンたちは作られ、それぞれに教育を受けているところだろう。そして導師イオンは、この世界に波紋を齎そうとしている。
 俺は、ついて出ようとした言葉を飲み込み、目を閉じる。
 1人で、世界の全てを知り、預言の修正力と絶対性を理解してしまった少年の、なんて偉大で、哀れなことだろう。彼は自身の近すぎる死を知り、ぬるま湯に浸かる世界を呪ったんだろうか。それとも、世界の歪を正したいと思ったのか。

 原作のゲームをクリアして、サブイベまで何度も回収した。主人公側も、ヴァン側も、預言に対しての認識は間違っていない。預言は数ある可能性の一つだけど、揺らぎを受けても修正してしまう、ほぼ確実に変わらない未来。また、ゲーム内でのヴァンの発言が真実なら、例えユリアの預言が覆されたとして、新しい預言が生まれるだけだ。
 だからヴァンは、預言に囚われない人々を生み出し、一度世界をリセットしようとした。
 ホドの消滅を受け入れた世界への復讐と、疫病による惑星滅亡を回避するために。

 ユリアは消滅預言で、ND2020にはオールドラントが滅亡すると詠んだ。では原作通りのエンディングを迎えたとして、オールドラントは、ND2200まで存続するだろうか。
 例えばキムラスカとマルクトが和平を結んだとして、それが永続するとは思えない。人は死んで入れ替わり、特に政治の世界は裏が付き物だ。いつか歪を生み、世界は疫病以外の手段を持って滅亡するかもしれない。導師イオンが、足掻いた末に、死から逃れられなかったように。
 じゃあ、俺にとって、預言ってなんだろう。
 この世界に来て、俺はどのように、預言を扱って来たかといえば。

「めんどくさいと、思います。絶対に変わらないなら、いっそ知らない方が幸福かもしれない。だって今、少なくとも、お……わたしは不幸じゃない」
「それはきっと、君のオリジナルが、世界に絶望しているからだろうね。彼女が少しでも世界に未練を抱くようなら、きっと、おまえと今みたいな関係なんか築かなかったさ」

 イオンは、ファスナを嘲るように笑う。そういえば、ファスナは導師エベノスとの接点はあったようだけれど、その後イオンとの交流はあったんだろうか。

「ファスナの事、詳しく知ってるんですか?」
「彼女は、死んで生まれて来ることを詠まれていた人間だ」

 少し眠いんだろうか。イオンは普段の険が落ちた声で、俺の被験者について語りだす。
 ファスナがいない場で聞いてよいものか悩んだけれど、そうしているうちに、イオンは語っていた。

「けれど、何の因果か、彼女は至極健やかに生まれた。預言もなぜか修正されなかった」
「修正されなかった……?」
「彼女の死は、世界にとって重要な出来事だ。預言を守るなら……彼女は死ななくてはいけない。そう、死ぬべきだった。けれど、導師エベノスの『温情』で、彼女は今も生きている。……ああ、生かされている、と言った方が正解かな」

 その経歴に引っかかりを覚えたものの、ファスナが預言と世界に絶望している理由がわかって、胸の奥が重たくなった。
 彼女は、預言を詠まれたせいで、本来の世界から捨てられた。そして預言も修正されず、いよいよ彼女は爪弾きとなった。
 そしてそれを、きっと、本人が知ってしまっている。生きていることを不幸だとされて。生まれたばかりの子どもに、抵抗なんかしようがない。
 あんまりな真実で、頭が真っ白になった。その霧を晴らすために唇を噛む。死に飲まれていく少年からの問いに、俺はまだ答えてない。

「けど、知ることで、何かを知り、選択を変えることができるなら……預言を利用しない手はない、と考えます」
「そう。来たる大きな繁栄のために、小国一つが滅んだとしても、それは良い結果をもたらすための必然的犠牲だと?」
「そもそも、終着点が違う。繁栄以前に、不幸が分かってるなら、まずはそれを回避するべきです」
「その不幸を回避した先に、更なる不幸が生まれたとしてもかい?」
「そんなの分かりません! もしかしたら、詠まれていた繁栄以上に差があるかもしれない」
「本来の栄光を手に入れるはずだった人々は、君を恨むだろうね」
「反対に、生まれて来る人々もいるっていうか……ああっ、そうじゃなくて!」

 握り込んだ手は小さくて、でも今の俺とはあまり変わらなくて。ヴァンが後ろに控えてるんだから言葉遣いに気を付けるとかそんなこと、気にしてなんかいられない。
 突然手を掴まれたイオンは目を見開き、じっと俺を見つめてくる。背後で金属音がしようが、俺はこのモヤモヤを吐き出さずにはいられない。
 目の前に、人の死がある。預言は無慈悲に運命を記す。けど。だからって、

「だからって、目の前の人を、助けない理由にはならない!」

 ──もしも俺が、世界を担う重役の1人であったなら、一より百をとっただろうか。
 かつてファスナが捨てられたように。かつてヴァンが、誰にも止められず、ホドを滅ぼさせてしまったように。

 けれど、もしも話なんて無意味だ。俺はどうしようもなくお節介焼きで、ちっともデレてくれない少女すら、大切に思ってしまっている。
 そんな俺が、例えば未来に一万人を救えるかもしれないと聞けば、全世界の繁栄を捨ててでも、目の前の一万人を取るだろう。

 居ても立っても居られなくて、イオンに治癒術をかけた。治癒術は、傷を癒しても病魔までは祓えない。イオンは「馬鹿だね」と笑ったが、俺の手を振りほどこうとはしなかった。

 イオンはどうして俺を呼んだのだろう。それなりの理由があるなら、俺はそれを聞かなくてはならない。それが今ここにいる理由であるはすで、きっとイオンに取っても、大切な意志のはずなのだ。

「君、名前、なんていったっけ」
「え……ああ、ライト。ライトだけど」
「ライト、ね。……古代イスパニア言語ではどういう意味か、知りたいかい」
「意味……?」
「『導く者』って、いうんだ」



――ND2015・シャドウリデーカン・レム・32の日。
 この世界に来てから、初めて。
 俺はきっと、人の死を見た。










 ND2015・イフリートリデーカン・ルナ・3の日。ファスナへ。

だいぶ返事が遅くなった。ごめん。
今度シェリダンに行くことになって、なかなか筆がとれなかった。
ファスナも元気そうでよかったよ。
ご子息とはよくやってるのか? あんたは変なところで根つめるから、たまには息抜きも忘れるなよ。

俺は少し前に面白い人形師と会ったんだ。学校を卒業したばかりの教団員で、アニス・タトリンっていう。
まれに食堂でディストに絡まれるところを見てはいたけど、まさか逃げる口実に使われるとは思わなかった。あと、俺が副師団長だって分かるや否や目の色も態度も豹変して、正直びびるどころの話じゃなかった。
料理も上手いし、基本的に良いやつだよ。おかげで楽しくやってる。
アッシュとは、まだあまり話せてない。

あと、そうだな。あぁ、忘れちゃならないことがあった。
この間、導師イオンが導師守護役の総入れ換えを行った。
人事移動がすごかったな。一時がすっごい慌ただしかった。
アリエッタは第三師団に飛ばされて、アッシュが特務の副師団長になった。アニスは新任の導師守護役らしい。
俺たちはそのままだな。今のところ余波は大きくないし、いつも通り過ごしてる。
あ、書きそびれたけど、土産ありがとうな。うまかった。俺もお菓子を添えておいたから、そっちの人と食べてくれ。
俺があんたに言うのもおかしな感覚だが、体には気をつけろよ。
それじゃ、返事を待ってる。

   ライト








H21.9.22





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