海外任務は久しいな、なんて悠長に構えていた数刻前の自分を軽く呪った。……船の緩やかな揺れに酔ってすぐ中断したけど。

「きもちわるい……」

 だらしなくへりに寄りかかる。大きくのり出した海は、穏やかに『世界』だった。今頃ライトは外国か。初めての海外は気疲れが酷いだろう。他人の動向なんかに思いを巡らせて、少しでも船酔いから逃避を試みる。
 自分で蒔いた種、と言われてしまえば言い返せない。もちろんアッシュには良い顔はされなかった。
今回の海外長期任務は、ある貴族のご子息……その家庭教師。という名目のお世話役、か。

「三ヶ月の住み込み、ねえ。変な任務」

 まあ、本来は私も五年前に経験するはずだった任務と、似たようなものだろうか。大らかな海面へ不躾にも毒を吐く。一緒に昼食まで投棄しそう。
 いくら主席総長の申請とはいえ、すんなり許可した上層部も絶対おかしい。神託の盾騎士団も国際情勢では中立の立場なのだ。それがどうして、貴族のご子息さま――よりによってファブレ家の家庭教師だなんて。ああ、だからこそって話も、あるか。

 今は神託の盾騎士団の頂点がヴァン・グランツだからであるが、何も私は彼の駒ではない。神託の盾に所属する勝手のいい使い走り、といったところだ。だから騎士団に置かれている。来る時に全てを動かしやすいように。動きやすいように。その為に生かされている。そしてそれは、ライトも同じはずだ。

 ――外れものにはわからないよ。

 だからなんだというのだ。
 誰かが無理矢理作った場所に私はいる。わざわざ形を裂いてまで、息苦しい空間に押しいって。全てを享受するからこそ、私はここに居られるのに。

「そんなの、わからないに決まってる」

 船室に駆け戻り、無骨なベッドに埋まる。骨を伝わる血流が、とても、気持ち悪い。



 ×



「んだよ、新しい家庭教師って! 俺にはヴァン師匠一人で十分だっつーの!」

 ああ、うん、私もそう思う。なんて辞退もできずに顔がひきつる。
 なんていきなりの解雇処分通告だ。これは迷惑すぎる。あんまり呆けていたからか、ご子息に再度睥睨……訂正、ずっと睨まれていた。

 そんな我が子、また実質の王位継承者としてあまりな態度にか、母君……シュザンヌ様が眉尻を下げた。かのご婦人は現国王の妹君にあたるそうだ。しかし、ひどく青白い。病弱なのだろう。心労に絶えないだろうな。

「ルーク、ファスナ詠手に失礼ですよ。この方はヴァン謡将の副官として、ご立派にご活躍しておられるの」
「こんな子供がヴァン師匠の助手ぅ?」

 別段張り切ったことはないですけどねなんて口を挟めるはずもなく、よくもまぁ体裁に構わず不満を並び立てるご子息に更に唖然とする。子供って、貴方も同年代じゃないか、肉体的には。ご婦人には恐ろしく改変かれた経歴が伝わってるようだし。
 なんていうか、……同じ環境にいても、やっぱり違うんだな。こう、感情を素でぶつけてくるのは新鮮だ。アッシュはすっかり捻くれているし、ううん、よくわからない。子供って何が子供なんだか。兎にも角にもこれは任務、まずは挨拶か。

「お初お目にかかります、ルーク様。神託の盾騎士団主席総長副官、ファスナ詠手と申します。僭越ながら、これから三ヶ月、ルーク様のお相手を努めさせて頂くこととなりました。よろしくお願いいたします」
「しっかりしたお嬢さんね。息子をお願いしますわ」
「…………」

 はは、あからさまに無視されている。背を丸めて頬杖ついて、細部で行儀の悪さが浮き彫りだ。もしくは礼儀を遣うほどの相手ではない、なんて認識でもされているのだろうか。
 きっと拗ねているんだろう。私が住み込みで相手をする代わりに、師匠の訪問する頻度が低下するから。なるほど、彼は着々と、あの人に手懐けられているらしい。あの人の目的も、自分の存在も行く末も知らないで。

 けれど私は、彼を滑稽だと笑うことはできないのだ。
 彼に自覚がない。事態も把握できず、不安定な日々にからめとられている。私以上に愚かに見えて、私なんかより純粋だ。ーーそんなことは関係ない。彼は初めから巻き込まれてしまった。

 三ヶ月世話になる部屋と、三ヶ月世話をする相手の部屋をそれぞれ案内されながら、ファスナは自分の喉をさすった。船酔いが残っているのかな。ほんと、気分が悪い。



 ×



(貴族面からすれば)必要最低限のものたちだけで彩られる室内は、感情をむき出しにする彼との間に違和感を生み出していた。
 ちらかっていない。潔癖なほどの清潔性。使用人たちの手が加わっているからこそだろうが、私生活の要といえる自室を他人に侵されるのに、抵抗はないのだろうか。

 外開きの面長な窓が一枠。広いベッドやキャスト、机にクローゼット。大体目につくのはその程度だ。本棚には赤い背表紙の冊子がいくつか並んでいて、金糸で年数と『diary』の文字が刺繍されている。意外とマメらしい。
 そして何故か――何故か、壁にはあの人の肖像画。言っちゃなんだが、趣味が悪すぎる。

「…………」
「…………」
「……あの、ルーク様」
「……んだよ」

 いや、ねえ。いい加減に側で控える従者を紹介してほしいんですけれど。
 手のひらには嫌な汗。不用意に指摘しては彼の面目を潰すことになる。この分だと当事者は気にしないのだろうが、あぁどうしたものか。
 主人がいる場で従者自身が名乗りでるわけにはいかない。困り果てて、待ちぼうけをくらう金髪の青年に目をくれる。……と、ばちりと目が合った。

(ん?)

 すんなりかちあった視線に違和感が生じる。すなわち、彼もこちらを見ていたのだ。……ずっと?
 確かに、彼はルークの使用人。いくら神託の盾騎士団主席総長の紹介とはいえ外部の者を主人へ近づけるのは不安なんだろう。たぶん。
 確かに、その青が宿すのは警戒である。ただ、私が思う種とはまた違うようにうかがえた。もっと複雑でほの暗い……

「何見て……ああ、こいつはうちの使用人で、俺の世話役のガイだ」

 付き人が当たり前となっているらしい。ようやくお呼びとなった青年が前に進み出る。主人の気だるげな姿勢に微苦笑をもらして。
 そして彼は、早朝の澄んだ空をそのまま塗りたくったような笑顔を浮かべた。

「初めまして、ファスナ詠手。俺はガイ・セシル。わからないことがあったらいつでも聞いてくれ」
「はい。よろしくお願いします、ガイさん」
「少し堅苦しいな。ま、これから三ヶ月、一緒にルーク様のお世話をしていくんだ。もっと気楽に接してくれないか?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて。そうするよ」

 お互いに笑顔を貼りつける。握手はなかった。



 ふとこの先三ヶ月のご主人様をうかがえば、時折『師匠』に目をやり、それから私を一瞥し、眉をしかめて空を仰ぐ。あんたは恋する乙女か。まぁつまり、分かりやすくむくれている。
 師匠の推薦だし決まったことは仕方ないと理解しているから、もう異議は申し立てない。けれどやはり根本的に俺は認めていないぞ、と。

 体全体で不満を表現されても、私とて任務なのだから何ともフォローできない。義務もない。けれど、必要性だけはひしひしと伝わってくるのはどうしたものだろう。
 お互いに近くでこの三ヶ月を過ごさなくてはならないのだし、彼にとっては社会性を育む機会……にはならないだろうなぁ、うん。このままじゃ私がお叱りを受ける破目になる。
 とどのつまり、ある程度良好な関係を維持する必要があるわけだ。だが、それが彼の機嫌とりになってはならない。そうなると、相手を受け入れ、自分を受け入れてもらおうとする姿勢が重要になる。お互いに。つまりは私も。わあ。これは先行きが不安すぎるなあ。

「ルーク様」

 横向きに腰掛け、詠手をなめきった不遜な態度を均衡する主人の正面に回る。不可解だと瞬く赤毛。その無駄に長い髪掻き回したいな。私、こういうの苦手なんだよ。

「私は総長の代理で参りました。ですが、貴方が望む彼の代役をまるっきり務めることはできません。まず第一、実力の差が大きすぎますし」
「…………」
「ですから、私は私の最善を尽くします。そう努力します。もし至らない点がありましたらご指摘下さい。自身が正しいと判断すれば、直しますから」

 宣言をする。例え貴方から何と思われようが、私は飽くまでも自分の価値観に基づいた行動を一貫すると。そんな身勝手な意志を潜めて。だって私は家庭教師としてやってきたのだから。
 問題のご子息はぽかんと、使用人の彼はおや、と目を瞬かせた。私は家庭教師、そして所属はキムラスカ王家ではない、ご主人様のご機嫌とりなど仕事ではない。

「以後、よろしくお願いいたします、ルーク様」
「お、おう」

 無理矢理な締めを施し、ごまかしも兼ねて手を差し出す。これって不敬罪かな。けれどこれも挨拶の一つでしょう。
 未だに呆然としているルークは曖昧に頷き、それからおずおずと握り返される。握り返された手は温かく、感心の呟きが彼の肩越しに聞こえた。そうそう、私も驚いた。ルークもあの人も、同じ熱を持っているんだなって。





H210528
H210921 加筆修正
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