間近で見る実物の帝都は大層きらびやかで、色調がさらに清潔感に富んでいた。海上の要塞都市。ダアトを離れて世界に出るのはこの町が初めてで、俺は完全に浮ついていた。
 冷静に己の挙動を見つめると、物珍しげにうろうろきょろきょろ、……うわ、さぞかし通行の邪魔だったろうな。お上りさんもいいとこだ。恥ずかしすぎる。師団長に殴られたのも懐かしい。だが、感じのよい潮の匂いすら、俺の孤独を際立たせた。

 風に揺れる団服を押さえつける。仕事着とは別の私服の様なものだけれど、支給品である以上神託の盾の色は強い。

 船が辿ってきた航路、その先のダアトに思いを馳せる。
 ファスナは今頃どうしているだろうか。彼女も長期任務が控えているらしく、互いにバタバタして挨拶もできなかった。
 ファスナは俺よりずっとしっかりした女の子だけど、なんだか危なっかしくて放っておけない。姉であり、妹である。そんな感じだ。

「ライト」
「あ、はい」

 俺を呼ぶ、または呼び捨てる人間は限られ、その凛とした声調に慌てて振りかえる。黒髪に眼帯の女性――カンタビレ師団長だ。
 彼女の存在はファンダムの方で知ったけど、実際は姉御気質でスパルタで、ぶっちゃけ俺に数々のトラウマを植えつけた人物だった。
 特に多い人員を抱える第六師団では、よく自ら実習生の実地訓練指導にあたっていた。訓練場を過れば、訓練生に激を飛ばす姿をよく見かけたもの。ようやく訓練期間も終えたという直後に海外遠征。忙しい人だ。

「船の点検に時間がかかるそうだ。あんた、ダアトの外に出る機会は滅多になかっただろう? 少し回ってくるといい」
「え、いいんですか?」
「ただし、定刻までに戻ってこなければ置いてくよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて。……行ってきます!」

 カンタビレさんの目が細められ、わずかに手を降り送り出される。「失礼します」と一礼して、駆け出した。

 ND2014。この清涼な雰囲気に包まれた街こそ、先日即位したピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下が居城を構えるマルクト帝国帝都――グランコクマだ。



 ×



 グランコクマを訪れたのは、今回が初めてだ。今回は、神託の盾騎士団駐留軍およびマルクト支部預言士の近状報告、および継続の定期手続きの為に訪問した。現場の監察も兼ねて、契約先の教団から団員が派遣。未経験の俺のサポートに、カンタビレ師団長が同行。……そんなお荷物状態真っ只中である。
 臣下を従え王座に腰かけるピオニー九世陛下は、初見から仕事モードだった。若冠三十四、五とは思えない貫禄。正直に格好いいな、と思う。
 でも、自室でのブウサギ飼育はなんともいえない。特異な才能を持つ人に特有のユニークさだろうか。
 前皇帝の好戦的外交とは打って変わって、ピオニー皇帝は軟化政策を指針とした。これまでの市政に従ってきた者たちとの摩擦も大きいだろう。その実、マルクトとキムラスカは今も開戦中だ。それでも不敵に笑う男は、同じ男として憧れる。

 あくまで職務中なので、あまり目立ってはいけないが、任務中だと諦めていた観光が出来てしまうのだ。これに興奮しないわけがない。
 現実で、夢にまでみた観光体験。それがありえない形で実現してしまったが、来たからには楽しまなければ損である。これも先々の選択を考慮するうえでの経験だ。そうと決まればと手を握る。

 そして俺は、優美に立ち並ぶ町並みへ興奮して、すっかり危険のシグナルを忘れていたんだ。
 あの、見通す者の眼差しを。



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 悲鳴を上げなかった代わりに、思いきり口内を噛んでしまった。広場でゆるやかな時と飛沫に身を委ねていた俺へ強烈な不意打ちが襲来した。
 唖然と見開いた先には、しこたま青い軍服と逆光眼鏡。ハニーブロンドのうざったい長髪に、赤い瞳がそろって黒を見下ろしていた。
 ベンチを蹴り倒さなかった自分を誉めてやりたい。よく我慢した俺。……驚いて喉が張り付いただけだけど!

「やはりライト律手でしたか。予定では、すでに出航されている時間では?」
「え、ええ、船の整備が終わっていなかったそうで。それまで上長が、経験の浅いわたしを気遣って、自由行動を許してくださったんです」
「それはそれは。城下はお楽しみいただけましたか?」
「もちろん。噂に違わぬ素晴らしい街ですね」

 にこりと。精一杯人当たりのいい笑みを張り付けて肯定する。
 口調はうっかり滑っても取り繕えないため、一人称だけでも人前では変えるようにした。わたし、わたし、今のライトという人間は女子だ。年上だろうが年下だろうが全て敬語。混乱を落ち着ける意味も込めて頭の中で唱えまくる。それでもこの男の言及から逃れられる気がしないので、一刻も早く逃れようとまず背を向けた。

「じゃあ、わたしはこれで……」
「ああ、ライト律手。少々よろしいですか? お時間はとらせませんので」

 擬似的な爽やかさを引きずるコールタールみたいな笑顔で腕をつかまれた。胡散臭い、とても胡散臭い。粘着力半端ない三十三歳(たぶん)だ。怖すぎる。
 しかし観光だと答えてしまった手前、断ることも叶わずに目線を泳がせた挙句、結局ゆるゆる頷いてしまった。あああ、やっちまった! なんだ一体!

「ええと、わたしに何のご用です? 今は任務じゃないので、あまり込み入った話は……」
「それでは、要点のみをお話しします。数年前、貴女とよく似た人物とお会いしました。その人物も神託の盾に属していましたから、貴女はその血縁かと……」

 え、ちょ、ファスナ! 思いっきりつっこまれたっていうか、あんたのことすごい覚えられてるんだけど! 何やったんだよ!
 動揺は持てる理性を総動員してひた隠しにし、職務放棄しかけた脳みそをひっぱたいてやる。

「ああ、きっとわたしの姉ですね。双子の」
「なるほど、ご家族でしたか」

 ほう、と意味深長に返してくるジェイド。顔を覆うようにつるを持ち上げる仕草は、何かを考えているときの癖だ。……と、思う。ファスナと面識があったことは初耳だ。彼女は表立った仕事はしていないと言っていたから。
 しかしこの眼鏡、それが一体なんだというのだ。人の家族構成なんて。だが、若き大佐階級に対して必要以上に構えたのは、過剰な反応ではなかった。

「あの方の血縁とは、なかなか興味深いご出生でいらっしゃる」
「……は?」
「失敬。……ですが以前、そのかたはご自身で天涯孤独の身だと仰いましたのでね」

 ああ、そりゃ怪しまれている。大佐がなぜそれほどにファスナに目をつけるのか知らないけど、ここまであからさまだと、威圧感が軽減されるな。
 双子設定をでっち上げた以上、俺とて彼女の身の上は知っている。……ただ、たった一度の顔合わせで彼女自身が打ち明かすなんて。しかもジェイドに。帝国軍の大佐に。だからこそか? 不可抗力で明かしたのか、井戸端会議的な……?
 とにかく、適当な言葉を見繕わないと。言葉だけなら想定の範囲内だ。今更な笑顔は作らず、大佐の眉間あたりに焦点を合わせて対処する。

「預言のお導きで、生き別れていたという姉と再会しました。四年前のことになります」
「そうでしたか。ご無礼な質問でしたね。申し訳ありません」
「いえ、よく驚かれますから。……そろそろいいですか?」
「はい。ご帰還までの道中、お気をつけて」

 短い質問攻めが終わりを告げ、ほっと力を抜きながら、街の中心部へと踵を返す。正直今すぐ港に向かいたいけれど、観光すると言ったのだから、すぐ戻っても怪しまれる。平常心でいなければ……。
 早まる足を懸命になだめた。だからこそ気付かなかった。ジェイド・カーティスが、ファスナのことを女性だとも、年を窺わせる言葉も言っていないことに。

「……私とファスナ詠手がお会いしたのは、一年前のことなのですが。なぜでしょう、ねえ?」



 ――どうして俺はここにきたんだろう。幾度となく復唱した疑問を反芻する。きっと答えは『あいつ』が持っていて、いくら俺が思案したところでひょっこり顔を出すわけもない。
 あいつは、俺に何を頼んだんだっけ? そして俺はそれを果たすべきなのか。俺は何をするべきなのか。何を、したいのか。最近よく浮上しては埋もれていくフレーズ。混雑し迷走する思考。指先が痺れ、少しだけ意識が虚ろになる。

 どうして俺はここにいるって?
 そんなの、俺が知りたいよ。





H21.5.24
H21.9.21 加筆修正
'120401





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