「ライト、君に会いたいって人がいるんだけど、ついてきてくれる?」

 その前に一つ言ってもいいか。
 ……ファスナ、今苦虫を軽く二桁噛み潰した顔してるぞ。

 俺が寄宿舎行きを免れ、ファスナの部屋と隣接した個室に放り込まれてからひと月あまりだろうか。半年も共同生活送ってれば馴れもするが、やはり一人部屋だと気が楽だ。少女との筋がない会話は、どうも疲れた。……いやまあ、少し寂しいけど。
 一人部屋をもらって、これまでファスナとの同居が薄れさせてきた心細さが、一気に押し寄せるようになった。加えて、部屋を貰うきっかけの神託の盾入隊。俺は第七音素の素質を見出され、予定通り、譜術士としての訓練をスタートさせた。
 確かにファンタジックな力を扱えるのは、地球人として大興奮モノだったけれど、その実なかなか上手くいかない。譜術という、音素というイメージができないんだ。全身のフォンスロットを開き、音素を感じる、感じる……。
 今では大分落ち着いてきたけど、一所懸命やっても失敗ばかりで圧力に押し潰されそうだ。ああくそ、俺は神託の盾で働く気なんてないのに。
 そして、俺が困ったり間誤付いたりした時、ふらりと現れて助けてくれるのがファスナだった。
 あの少女についても謎が多い。乞えば丁寧に教えてくれるし、労りの言葉もくれる。そこに温度はなかったけれど。

 どうしてここまで世話を焼いてくれるのか、疑問が湧かないわけじゃない。本人は「だって、必要なんでしょ?」と答えになっていない返事をして笑った。
 聞けば、ファスナ自身に何か目的があってレプリカ製造に加担したわけではないと言う。彼女が積極的に親身になる必要がある具体的な理由は無い。
 なんにせよ、現時点では俺には実害どころか恩恵しかないわけで、今更問いつめる気にはなれず、ありがたくその協力を享受して、今に至る。

 だから今日の、彼女からの接触は珍しい。のだけど。
 今までにない彼女の苦渋面と向かい合い、思わずぽかんとしてしまった。

「上の命令でね」
「えっ、俺、なんか不味いことしたか……?」
「さあ。君と会いたいだけじゃないかな。いきなり「連れてこい」だとさ」
「だ、誰だそれって。……カンタビレさんか?」

 あぁ、嫌な予感がする。カンタビレさんには入隊早々こっぴどくしごかれたから尚更だ。……でも、確かにあのスパルタ師団長とファスナは(なぜか)不仲とはいえ、ここまで嫌悪するほどか?
 しかし、というかやはりというか、ファスナはしかめきった顔を振る。彼女ならまだマシだ、とでも言いたげに。
 そして彼女は、この先を知る俺がこの世界で最も敏感にならざるをえない人物の名前をくり出したのだのであって。

「主席総長閣下だよ。ヴァン・グランツ謡将が、君と会う、と」

 ああ、ついに、来たか。
 そう、意外に冷静な頭で眉を寄せた。



 ×



「これか。上手く仕立てたものだな」

 第一声には、男の俺に関する認識のすべてが込められていた。思わず彼女の背を見つめる俺を、主席総長――ヴァン・グランツは鼻で笑う。
 彼が、これから世界を……預言に依存した世界を、混乱に陥れる張本人。苦しみの過去を背負った人間。預言の、第七音素の消滅を渇望する男。これからたくさんの命を作り、そして殺す……ひと。
 無言の圧力に手が震える、対して、入室時から同じ笑顔を張り付けている少女は、ずっと俺の隣に立っていた。盗み見た顔はいやに朗らかだ。どうせ今も、他人事だと思ってるんだろう。
 フォミクリー技術を用いて、ファスナからレプリカを作り出したのはこの人だ。試験運転とは聞いたが、それでもヴァンは、使えるものは使うはず。まずは様子見といったことだろうか。

「それで謡将。彼女に何の用ですか?」
「導師イオンが、それに会いたいと仰せだ」
「え?」
「……導師が?」

 イオンが、俺に?
 ファスナは怪訝そうに目を潜め、俺は純粋な驚きに何の反応もできずに立ち尽くした。
 暦を思い出しても、まだ本編には程遠い。今の時期なら被験者のイオン……だよな。武道派で冷酷って聞いたけど、実際はまだ知れない。表立って動けないぶん、噂話もなかなか飛びこんでこなかった。

 この世界に来てからよく、感慨に耽る、なんてことがある。なんたって、今まで空想世界の住人と認識していた彼らが、目の前で「生きて」いるんだから。原作知識を引き出して「預言」に頼る自分へ嫌悪を抱くほど、今の俺には余裕はない。
 何故なら、俺の存在は本編に出てくるわけがないし、ファスナだって描かれてはいなかった。――だというのに、現実として、彼女のレプリカはルークと一緒に作られたのだ。ヴァン・グランツによって。

 きっと俺は、身の振り方一つで未来が変わる。大筋を変えられないとしても、いつかルーク達と敵対しかねない、そんな立場にいる。
 ファスナはその事を知らない。俺さえいなければ、彼女は一般兵として物語の中に溶け込んでいたのかもしれないのだ。

 罪悪感を覚えなかったわけじゃない。でも俺だって、この世界に落っことされたのは不本意なんだ。言及される謂れはないし、そもそもファスナにはそんな意識だってない。それでもずくりと胸は痛んだ。やり場もなければ消化もできない痛みが、不快で不快で、仕方ない。

「導師の御前だ。……わかっているな?」
「ライト、大丈夫?」

 大人びた笑みを湛えて、実質子供らしさも大人っぽさも無いだけの笑顔で、自身のレプリカを気遣う少女。ヴァン・グランツの目には、今この被験者とレプリカの関係は、どう映っているのだろう。



 ×




 子どもらしさとは何だろう。私の幼少時代は参考にならないけれど、彼の部屋は昔の自分と随分似通っている。
 机、寝台、本棚。目につくものを列挙する。この簡素な様式は、おそらく入所当初から変わりない。カーテンを全開にし、日光を最大限招いていてもなお薄暗い室内。窓を開放すれば呼吸も楽になるんだろうけれど。これらすべてが、彼を、如実に物語っている。

 私と机を隔てて向かいあう、子ども特有のふっくらした頬の少年がいる。彼は側に桃色の女の子を従えていた。少女には見覚えがあったけれど、今は私の出る幕ではない。
 鋭く睨みつけてくる彼女と視線を交えることなく、ライトと並んで導師イオンの御前に立つ。

「特務師団第三小隊隊長、ファスナ響手です。只今参上致しました」
「第六師団一大隊三中隊、五小隊所属、ライト奏手です」

 ライトがたどたどしく所属を述べる。それからちらりと、不安げにこちらを見る目とかち合った。私が笑めば、彼は複雑そうに、それでも薄く安堵を浮かべた。
 彼の努力には目を瞠るものがある。時折立ち止まっても必ず歩きだし、着実に『世界』へ適応していった。おそらく、この場所から逃亡するための努力を。

 一連の挨拶を興味薄そうに眺めていた導師は「そう」とだけ返し、私たちを交互に値踏みする。瞳の奥にあるのは物珍しさではない。しかし好奇でなければ嫌悪でもなく、隣の彼は、居心地悪そうに身動ぎをした。

「キミが、ライト?」
「は、はい」
「……ふうん」

 それからまた、黙りこむ。……この沈黙は、なんとなく不快だ。
 手持ち無沙汰に室内へ目をさ迷わせていると、ついにその後ろへ控えた少女と目が合ってしまった。そこでやっと、彼女の整えられた容姿を確認した。
 毛先を揃えた濃い桃色の髪に、大きな赤い瞳。人形のように可愛らしい顔立ちをしている、とも思う。預言を辿れば、おのずと彼女の生い立ちも判明するんだろうな。
 少女は、同じ顔がとんと二つ並んでいても、私だけに憎悪の焦点を定めたままだった。ライガだって見分けたんだ、個性に富む人間なんて容易いのだろう。

「ヴァン、お前は出ていて」
「しかし」
「出て」

 神託の盾騎士団最高位を、幼き導師は鋭く制した。それから扉を指差す姿に、ようやく彼の幼さを見る。微々たる渋面を浮かべながらも、総長は「御意に」と退室していった。重く腰を下ろした静寂に吐き気がした。
 碧玉が孕むものを見定めようとしたが、この薄暗さが輪郭を曖昧にしていて、判断ができない。その間にも降り注ぐ視線に苛立ちは頂点に上りつめる。極力平静に努めて「何か?」と発言を催促した。

「別に何でもないよ。普通のニンゲンと変わらないんだな、と思って」

 ……それは、はて。どちらのことだろうねえ。

 視界の隅で、小さな手が拳を作るのを見る。呼び出した理由がただの観察だとしたら、随分くだらない用件だ。それに意図が掴めない。

 ローレライ教団は、預言を絶対とし、始祖ユリア=ジュエの名の元に預言の成就を存在意義とする。そして、その頂点に立たされるのが導師。次いで大詠師、詠師と続く。
 前導師エベノスの代で一時期は問題視された党派争いも、今では不穏なほどに鳴りを潜め、その地位も速やかに次期導師へと受け継がれた。……言うなれば、平和、という日常が過ぎているものと、誰もが無意識に感じている。

 そして、フォミクリー技術が開発者自身の手で禁忌とされている今。教団の最高権力者が、教団の経典に反する技術へ、嫌悪以外の何の興味があるというのだろう。

「それはそうでしょうね。人間ですから」
「そう。別にどうでもいいよ。ただ、興味が湧いただけなんだから。……ああ、そう。キミにはお礼を言おうと思って」

 まるで、それこそが当然の真理であるように。世界のすべてを一括した導師は、一切苦言を呈したようには見えなかった。
 それから少し楽しげに、あの少女をアリエッタ、と呼ぶ。……彼女にそう名づけたらしい。彼女はようやく、私に釘付けしていた目を外し、それからは表情一変、イオンの膝元へ従順に座りこんだ。イオンは微笑して少女の長い髪に指を通す。その柔らかな眼差しといったら。

「面白いモノを連れてきてくれて、ありがとう。おかげで退屈していないよ」
「ええ。任務ですから」

 私と似ているようで、全く別の道を歩む少女。そして、ライト。すべてを知ってもなお、預言に囚われ続ける導師。それなら私は?
 下がっていいよと、今思えば胡散臭い笑顔でありがたくも送り出してくれる導師イオン。ほの暗い双眸で敵意を向けてくる少女、アリエッタ。

「……イオンってさ」
「ライト?」
「ファスナと、どっか似てるよ、な」

 ライトに手を引かれて、一瞬、背筋が冷たく感じた。




H210501
H210921 加筆
'120401





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