草木が生い茂る山林では、よけいに寒さが身に染みた。白い木漏れ日がみずみずしい葉をより際立たせる。
 そんな、グランコクマの真東に位置する鬱蒼とした森に、私は一個小隊の一員として踏み込んだ。

 なんていうか、ねえ。足取りが重い。なんでも、こんな山奥まで、魔物に育てられた子供を保護してこいとのお達しだ。
 大詠師からの勅命とくれば、臨時選抜小隊、またの名を大詠師派集団の士気はうなぎ登りである。何としても遂行をと息巻く派閥メンバーに、包み隠さずため息をついた。
 少女への同情心ではない。預言遂行、昇進、兵士それぞれの意志がすべて預言に基づいているため、だ。

 なんにせよ、これは捕獲の間違いじゃないのか。こんなムサイ武装集団じゃ、魔物に留まらず保護対象まで、裸足で逃げ出すどころか恐ろしい牙を向きそうだ。年齢と実力で私を選んだ師団長を恨まずにはいられない。

「……大丈夫か?」
「ああ、うん。任務だからね」

 正直、アッシュが唯一の救いだ。彼は知らなくとも、彼と私と同じ境遇にある。私の肩を叩いた彼は、足を動かしながらも顔を顰めた。

 彼は、私と同所の特務師団に身を寄せていた。彼が小隊に組み込まれたのも私と同義。異様な熱気が立ち上る小隊の最後尾につき、二人してげんなりする。
 もう帰りたい。任務だから、意地でも遂行してから、だけど。

「どんな子供だと思う?」
「興味がない」
「そう」
「どうせ会えば分かるだろう」

 だと思ったよ、けどこうでもしてないと気が紛れないじゃないか。
 ばっさりと切り捨てたアッシュを恨みがましく横目で見れば、しばらく無視を決め込む彼も、しつこさに降参して不機嫌そうに舌打ちする。しかしこれ以上の発言はなく、これ以上彼の機嫌を損なうのも本意ではないので、それからは大人しく、味方識別(マーキング)作業に没頭した。
 ついうっかりで術食らわせちゃだめかなぁと指を止めたら、思考を読んだように頭を叩かれた。痛いよアッシュ。



 そうして、どれくらい茂みを踏み分けただろう。

「おいッ、標的を見つけ」

 悲鳴混じりの通達が不自然な途切れ方をして、酷く鈍い打撃音、それから何かがひしゃげる音がした。轟――と。魔物の咆哮が轟く。
 あぁ、ぶち当たったのか。
 鉄錆と潮の臭いでぼんやりと状況を把握した。先に見えるはライガの群れと交戦する兵士たち。軽い耳鳴りにくらりとしたが、身を屈めると隣と鍔打ちが重なった。

「アッシュ!」
「わかってる! 俺に指図するなッ!」

 鞘から黒い刀身を引き抜いたアッシュが、飛びかかってきた小柄な一体を貫いた。
 血塗れる剣戟、を前に右からの襲撃を受け流す。が、柔軟なライガはすぐさま体勢を立て直し、柔らかい大地を爪で抉った。
 鋭く牙を剥いた口に剣を咬ませ、勢いのまま宙に浮かせる。投擲した懐剣が魔物の足を貫き、受け身に失敗したライガをアッシュが薙ぎ払う。いい動きだなあ。入団したてとは思えない。

 応戦は続き、ついには死傷者が出始めた。鮮烈な赤が飛び散り、豊かな土地を浸食していく。が、防戦一方というわけではない。手練れの者も少なからず参戦している。魔物の群れは少しずつ後退を始めていた。
 アッシュと私は兵士や魔物の間を縫って突き進んでいく。目的はあくまで任務通りの子供の保護。襲いかかる魔物に剣を振るい、ようやく開けた場所に出た。

「っは、……いた、」

 森の主とおぼしき巨体のライガ。貫禄あるたてがみが威圧感を撒き散らし、……その足元で、柔らかな桃色が風に揺れていた。

 女の子だ。手入れのされない長い桃色の髪。痩せた身体と無数の傷跡。
 彼女は一糸纏わぬ姿でへたりこみ、……おそらくは先ほど兵が落としたライガの首を抱きしめて、平穏を乱す襲撃者を力の限り威嚇していた。

 不意に、茂みからライガが飛び出した。それから背後にはまだ戦える兵が数名。ライガは長の危険を察知し舞い戻ってきたらしい。なかなか利口だ、なんて場違いな感心をしてしまう。
 接近戦では分が悪くとも、術者にしてみれば好条件だ。

「引き付けて下さい。保護対象を味方識別(マーキング)し、ライガの群れを一掃します」

 小さいながらも応との返事。なるほど、ただ熱狂的な大詠師派ばかりの集まりではなかったようだ。流石の熟練者は、若輩者だからと見くびらないでくれる。もしかすると、以前私と任務に同行した人物がいるのかもしれない。なおも渋る二等兵も、彼らに一喝されて剣を抜いた。

 通常、味方識別は両者にその意志が無ければ成立しない。先ほどは事前に了承を取ってあったから独りでにできたのだ。当然、ばりばり敵視してくる少女相手には通用しない。
 そこで、バリアー施行と同様の形式で被術者を除外対象に指定し、強制的な味方識別状態とする。
 これはあまりに無理矢理な方法で、実のところ、成功率も望ましい値を満たしてはいない。だが味方は疲弊しており、援軍は望めない。手段を選ぶ余裕はない。いつか敵指定を編みだそうと決心しながら、音素の恩恵を引き出す言の葉を紡いだ。

 統率の要はあの主だ。いちいち個別に捌くのは手間がかかる。主を倒すか戦闘不能状態にすれば、ライガの群れも乱れるはず。
 それなら。

「貫けっ――サンダーブレード!」

 瞬間――空間を裂く閃光が網膜を照りつけた。
 雷の楔が地に打ち付けられ、びくんとライガの身体が硬直する。楔を元に譜陣が展開し――筋肉が弛緩して身動きのとれないライガに凄まじい稲妻の追撃が走った。
 一瞬の静寂が走り、地を揺るがして、崩れ落ちるライガの主。すると残ったライガは見るまに消極的体勢をとり、……ライガの主に手を出せば集中放火に遭うのだろうが。

 寝床の草を赤に浸すライガを遠目で確認して、はぁ、と張りつめた気が緩んだ。強制味方識別を同時に行使したため、きっと今は気絶しているだけだろう。傷は深いが完治する。
 無闇に主を殺す真似などすべきではない。それこそライガは混乱し、村民を襲う可能性だってある。本来の目的は少女の保護――そう、彼女の様子に目を向けた、ら。
 魔物の咆哮のような金切り声が、鼓膜をつんざいた。

「――――ッ!!」
「う……っ!」

 喉を潰すのもいとわず、最大の声量で爆発した雄叫び――。
 栄養失調の小さな身体が発するあらゆる感情と拒絶。が、一直線に、私を射抜く。剥き出しの本能を晒した瞳が鋭利な眼光で加害者を、睨む。

 あの少女は理解した。私が彼女の親を攻撃したこと、あえて彼女を狙わなかったこと。自分のせいで親が傷ついたこと。
 だから、私たちの理不尽な制圧と殺戮に彼女は吼えた。非難と怒りと、悲しみをつめこんで、持てる限りの力を使って。

「おいっファスナ!」
「っ――」

 彼の声で正気に戻った時には、すでに少女は牙を剥いていた。
 長い髪に躓くなんてことはない。小柄な体格で兵士の壁を突破して、“同胞”の血に腕を染めながら、脇目もふらずに私へと。

 ――じり、と腕に痛みが走った。
 加減なしに食い込む歯が、腕の肉を抉る。鮮血が少女の口元を汚して喉を伝う。
 込み上げる悲鳴を噛み殺し、見開かれた赤い瞳孔を見返した。

「ちっ……!」

 駆けつけたアッシュが彼女を組み伏せ、細い首筋に衝撃を加える。一度小さく跳ねた肢体からは力が抜け、だが抱いたものは手放さなかった。
 彼の見事な動きに拍手を送りたくなったが、刺さった歯をそのままにずれたおかげで腕には一筋ぱっくりと傷口を広げていて、柏手さえままならない。

 ……あいた、たた。
 力、入らないや。

 意識を飛ばした少女を、兵から引ったくった布でくるみ、その一人に担がせた。アッシュが何か言いたそうに口を開いたが、結局音になることはなかった。
 ライガたちを牽制しつつ、早急にその場を立ち去る。負傷者を支えながら出口まで到達したが、主の身が最優先なのか、追っ手の気配は感じられない。

 森を抜けてから、改めて少女の四肢を拘束し、下を噛まぬよう猿ぐつわを巻いて。待機させていた馬車のもとへ向かい、意識の有無を再確認された少女がそのまま密室に閉じ込めれる様を、見届けて。
 負傷者が殉死した者たちが、優先して運ばれる。傷が深い者には治癒術を施してきた。私はどうするかと問われたが、大した傷ではないし、何より知り合いがいない車内を見、首を振る。
 ――これも、人の死も、預言に詠まれているのだろうか。

 国の領地内での任務は、必ず皇帝並び国王への報告義務が伴う。こちらは熟年者に一任するとして、ともかく船へ乗船すべく、二大強国が一つマルクト帝国の首都、グランコクマへ進路を向ける。ただ疲弊した隊員の休息をとる必要もあり、見晴らしのよい丘で野営をする運びとなった。

「嫌われただろうなぁ」

 澄んだ空気と静かな街道。夜空を仰げば幾星霜にも瞬く星たちがある。その煌めきを受けてちらつく譜石。
 あーあ、めんどくさいなぁ。なんて肩をすくめ、遥か手の届かない場所にぽつりと呟く。負傷した右腕が疼いて、そういえば利き腕壊しちゃったな、と呆けたら、気付けばいつも隣にいる少年に頭を小突かれた。

「てめぇが気を抜いてた結果だろうが。余計な手間をかけさせるんじゃねぇ」
「はいはい。フォローしてくれてありがとう、アッシュ」
「……ちっ!」

 お礼を言ったのに、余計不愉快そうに舌打ちをされる。一体どうしろと。
 アッシュはそのまま隣に寝転び、私に背を向けて体を休めた。他の団員の近くよりは、まだ顔を知る私の近くが気楽なんだろうか。
 肩をすくめて、彼に倣い、寝転んで空を見る。
 譜石帯がキラキラと輝き、ちっとも休まることはなかった。




H210328
H210725 加筆
'120331 加筆修正





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