――その被験者は、キムラスカ公爵のご子息様だと聞いた。それも王家と深い縁を持つ血族。朱色の髪がそれを如実に物語る。
 竜車の馭者に成り済ました人間が、カイツール軍港の駐留軍に「マルクト兵らしき人影が西に向かったらしい」と噂を流し、駆けつけたキムラスカ兵にレプリカを発見させる。もちろん、完全撤退後の話だ。フォミクリーは捨て置くらしい。
 彼のレプリカが収容されるのを見送りながら、『彼女』は無事に運ばれたかなと、既に馬車で運ばれたであろう己のレプリカを思ってみた。すぐに霧散した。

 ヴァン総長は、かの被験者、ルーク=フォン=ファブレをダアトへ連れ帰るという。
 元々、ファブレ家に取り入って彼を連れ出したのはヴァンだったが、何の目的でこんな罪を犯したのか。ルークという少年は、一体何者なのだろう。底が知れないヴァン=グランツという男がただ、不可解だ。



「き……君! 待ちなさい!」

 速やかに撤去作業が開始される広間から退室した途端、背後から引きとめられた。未だに疲労が癒えない体で、億劫だと愚痴る内心を押し殺して、背筋を伸ばしそちらを振り向く。
 白い髪に、血色の悪い唇。暗がりのせいもあり蒼白な肌。レプリカ製造の際に立ち会った、ベルケンドの研究者が、青い顔で私を凝視している。
 一体何の用だろうか。これだけの距離で目線を合わせるとなると、少々首が痛い。

「君は、試運転の時に使われた、被験者だな」
「……そうですが、私になにかご用ですか」
「い、いや……ああ、君には、何か特殊な能力でもあるのか?」
「特殊能力、ですか?」

 飽くまで事務的に応答する。一般兵の私に何の用件かと思えば、どうやら、私のレプリカ製造や、彼女を生かす理由が把握できていないらしい。けれど私も詳細は知らないし、むしろ彼が事を終えた後に訊ねてきたことに驚いた。他人にはない特別な能力。……え、と。

「第七音素を除く、全音素を操ることが可能です。しかし、これは努力と少しばかりの才能さえあれば誰にだって備わりますから、あまり特異とは言えないでしょう。その他には特にありません」
「そう、か。素晴らしいな……」
「はあ。ありがとうございます……?」

 何やら思案し、「もう結構」と、男は肩を落として去っていく。半ば呆然とその後ろ姿を見送るしかない。本当に、一体何だったのか。
 研究員に呼ばれ、散漫していた意識が集束する。気付けば一人、寂れた広間にフォミクリーと自分だけが取り残されていた。
 再三の呼び掛けに返事して、出口に向かう。ふと、もう一度音機関を見上げた。ようやく、この古びた居城ともお別れらしかった。



 あの男は、レプリカの方を連れて屋敷に向かったらしい。今までよりも深く、公爵家へ取り入る隙を作ろうというのだ。

 陰湿極まりない個室へ迎えが寄越された。手早くライトを抱えた研究員らに促され、ようやく我が身も退室、解放。それから私にもライトにも、重ねて着る衣服がそれぞれ追加された。……気が利いているのかいないのか。
 南パタミヤ大陸の東側沿岸部に停泊していた連絡船に乗り込み、ローレライ教団総本山への出入り口であるダアト港へ出航。研究員たちはそこから再び、こちらは客船でベルケンドへ渡るはずだ。
 多く見積もって五日間の船旅。とても旅行気分になんかなれないけど。

 宛がわれた船室は二人部屋。二段ベッドが一つ、また室内の中心に硬質な机椅子が設置されただけの簡素なもの。通路に出なければ窓もなく、……まるで牢獄だ。

「……う、」

 室内の備品に目を呉れていると、ふいにライトが身動ぎした。
 意識が戻ったのか。軽く揺さぶって覚醒を促すと、しばらく瞼を開けたり閉じたりを繰り返し、やがてのそりと起き上がった。

「ここは……」
「船、だよ」
「うわっ」

 彼が欲した情報を逸早くもたらしたというのに、当人はあからさまに飛び上がって、どこそこに腕をぶつけながらも振り返ったライトが刮目した。私と違う、透き通った漆黒の瞳が露見する。
 魚よろしく口を開閉させていたライトは、一度室内を見回して、再び私に焦点を合わせた。

「……ファスナ、だっけ」
「うん」
「夢じゃなかった……」

 ――夢、か。引き出しも何もないはずのレプリカが、そう具体的な夢を見るものか。妙な意識を持ってしまった彼は、つくづく哀れだと思う。
 そんな疑念はすぐ思考の海に埋もれ、円形の小さな窓からぼんやりと水平線を眺めるライトに目をやる。眉を寄せて首筋をさする彼に苦笑すると、うみ、との呟きが小さく聞こえた。

「君の思惑通り?」
「もうちょっと長く、あともうちょっと気持ちよく眠れたら、最高だったかな……」

 恨み言を言われても仕方ない。私は彼の指示に従っただけだ。上手く気絶できただけでも良しとしてほしい。お蔭でうまく掻い潜れたでしょう、と。

 微弱な震動は静止を知らず、水平線にはたなびく白雲ばかりが映る。表立った航路を進めない分、少々面倒な舵をとっているのだ。おかげでまだまだ目的地は遠い。
 果てしない大海原に不安を掻き立てられたのか、ライトは身を乗り出して言った。

「俺、これからどうなるんだ?」
「さあ……たぶん、一通りの訓練をしたら、神託の盾への入隊だろうけど」
「、はぁっ!?」

 そしてすっとんきょうな声を上げ、ぐるりと首を180度回転させる私の体。うわあいやだ。ぱくぱくと音もなく空気をはんで、……ああ、うん、だいぶいやだ。

「神託の盾、って……」
「建前は、預言に縛られない存在の管理。本音はヴァン総長の駒。そんなとこじゃないの。……どうかした?」
「俺も、戦うのか……?」

 恐々と、控え目に吐露されたそれ。に、思わず目を見張る。予想外だった、というか、自分にとっては当たり前の事項に触れられたから。
 虚空を泳ぐ視線が、居心地の悪さをあからさまに出しており、平和な世界に慣れた人間にとって、今はこれがきっと当然の反応なのだろうな。と、のろのろと稼働する思考の隅でぽつりと浮かぶ。
 そうか。彼はまだ、殺すことは、知らないのか。

 戦争と縁が薄れた国に住んでいたと言う。ひとである限り犯罪は絶えることなくとも、それらとは一切関係なく今まで過ごしてきたと。
 平和な世界を思い描く彼が、いつかその手に刃を持つ。いつか誰かの生命を奪う。そんな場所に強制的に入れられる。ああ、それは、平静じゃいられないだろう。

「嫌なら逃げる?」
「そんな簡単に、」
「君はさ、死にたくないの? 殺したくないの? 殺したくないならここから逃げればいい。簡単とか難しいとか知らないよ。嫌なら、逃げればいい」

 どうせダアトにいる以上、神託の盾からは逃げられない。逃げようものなら命がけだ。
 禁忌から生み出されたこの世界の、ローレライ教団にとっても異端の者。その上中身は“余計”な知識まで持っている。上手く使えば道具になろうとも、下手に露呈させれば自分の首を絞める縄になる。
 それが嫌なら、現状から脱却するしかない。持てる力全てを使って逃亡する。それは確かな選択肢の一つだ。神託の盾だって、事務専門の管轄もあるから、そこへ配属される希望に縋るか。私の術関連で目をつけられた為に、望み薄だろうけど。

 ライトの隣に腰を下ろし、まだ抜けきらない疲労感に溜息を吐く。
 彼は眠って始終運ばれていただろうけど、こちらは自分の足で動いてきたのだ。後の航海は寝倒そう。そう決めてベッドに寝転がると、ふとこちらを見つめてくるライトと目が合った。

「……なに?」
「いや……ファスナってさ、どうでもいいって言うわりには、いろいろ話してくるよなって」

 そうだろうか。ああ、そうかもしれない。我ながらやけに饒舌だった。久しぶりのお喋りに、浮ついていたんだろうか。
 預言で稼働する世界において、異端の私は受け身でいるしかない。私が勝手なふるまいをすれば、誰かの預言が狂うという。預言遂行のために生かされているのだから、私にとってこの世界は無価値だし、世界にとっても私など不要なものだ。

「どうでもいいから、適当な道を無責任に言ってるだけかもよ」
「……意地悪い」
「あぁ、それと」

 最上級の笑顔で言い渡す。今後教団という組織に身を投じるライトには重要で、ある意味、彼にとっては現段階で一二を争うくらい過酷な宣言を。性別的にも、年齢的にも、ねぇ。

「キミは、私の双子の妹、らしいから。ここに留まる予定なら、辻褄合わせしたほうがいいんじゃないの」
「い……いもう、と」

 シーツを握り締めたまま硬直した少女に、遠慮なく腹を抱えた。





H21.2.15→'120331




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