「きみがナマエ?」
「ええ、そうですが…いらっしゃいませ」
突然名前を呼ばれて身じろぐ
私の名前を知っているお客さんはそう多くない
店の入り口にはべろべろに酔っぱらったノボリさんと、ノボリさんに肩を貸す誰か
誰かはすぐにわかったけど
「はじめまして、ぼくクダリ!」
「はじめまして、ノボリさんの弟さんですね?」
「うん、そう!ノボリが通ってるって聞いて、気になったから来たんだ、ノボリは嫌がったけど」
「わたくしは!嫌がってなどおりません!あなたはこなくてよろしいと言ったのれふ!!」
「ノボリこんなんでごめんね?なかなか吐かないからちょっと飲ませただけなんだけど、物理的に吐きそうになっちゃった!」
「まだ吐いてなどおりません!」
けらけらと笑いながらクダリさんはカウンターの席に乱暴にノボリさんを降ろした
自分もその隣に腰掛ける
「きみ、オンナノコなのにマスター、珍しいね!」
だからノボリが通ってんのかなあ?
首をこてん、と傾けてクダリさんは言った
「よく言われます」
「やっぱり?あ、ぼく、ウォッカ・マティーニね、ノボリにも適当に作ってあげて」
「かしこまりました」
にこにこと可愛らしく笑うクダリさんは辛口がお好みらしい、人はみかけによらない
その横でうんうん唸るノボリさんには果たしてこれ以上お酒を飲ませていいものか
ウォッカにベルモットを注いで軽くステアする
オリーブを添えて向かいの彼に差し出した
「どうぞ」
「ありがと」
遠慮なくじろじろと私を観察するクダリさん
あまり気持ちのいい視線ではない、でも彼はそれを知っててやっているような、気がした
ぐい、とマティーニを飲んで、彼は話し始めた
「ねえ、ノボリいつも来るの?」
「ええ、そうですね、週に二回ほどいらっしゃいます」
「ふーん…いつからあ?」
「数か月前くらいです」
「そっかあ」
手を止めずに答える、その間もクダリさんはにこにこしながら私を見ていた
「ノボリさん、起きてますか?」
「起きております…」
「頭痛いですか?お水飲みます?」
「お気づかいありがとうございます…大丈夫でございます」
「まだ飲めますか?」
「……はい」
「…無理しないでくださいね」
注文されたので一応作ったレッド・アイを差し出す
限りなく薄めてあるので大丈夫だとは思うが、些か良心が痛んだ
「残していいですからね…」
「いえ、おいしいです」
キンキンに冷えたほとんどただのトマトジュースなそれを彼はちびちびと飲み進める
クダリさんはとっくにマティーニを飲みほして、てもちぶさたなようだった
「ねえ、僕もうちょっと飲みたいんだけど、何がいいかなあ?」
「…では、ギムレットを」
「うん、お願い」
「クダリ…あなたは飲み過ぎです、さっきの店でも何杯飲んだと、」
「うるさい酔っぱらい」
ばっさり兄を切り捨てたクダリさんの笑顔は少しも崩れない
「きみってとってもお酒が好きなんだね」
「…?」
「きみ、すごく優しそうな顔でお酒作る、お客さんのこと考えてるでしょ?どんなお酒が好きかな、って、このお酒を飲んでほしいな、って」
「…」
「だからぼく、きみがお酒作ってるとこ好きだよ、ずっと見てたいな」
にこ、と惜しげもなく笑顔を振りまくクダリさん
ぶはっ!と隣のノボリさんが盛大に噎せたおかげで私は上目づかいで自然に口説いてきた(?)クダリさんに何も言えなかった
素で言っているとしたら、クダリさんの天然たらしは底知れない
「くくくくだりっ!!あなたは、何を、言って…!」
わたわたと騒ぐノボリさんに今度は一瞥もくれずに、クダリさんはじっと私の目を見続ける
「…ありがとう、ございます」
なんとなくいたたまれなくなって、すっとギムレットのグラスを差し出して、目をそらした
こんなに直球で褒められるのは、なんというか、…なれていない
「ん、ありがと!」
それなりに辛いカクテルをなんともなさげにぐい、と豪快にあおるクダリさんの飲みっぷりは見ていて気持ちがいい
不思議な人だな
「じゃあ、お勘定、僕ら明日も仕事あるから、今日は帰るね」
「ありがとうございました」
「うん、また来てもいい?」
「ええ、ぜひ」
「じゃあねー」
クダリさんがぐったりしているノボリさんに肩を貸して引きずるように歩いていった、大丈夫かな
夜は遅くて朝は早い、何の仕事か知らないけど、忙しい中こうして足を運んでくれるなんて、こんなに嬉しいことはない
ノボリさんはしっかりレッド・アイを飲みほしていた
◇
「ノボリ、重いから自分で歩いて」
「飲ませたのは、うっ、あなたでしょう」
「最後のは自分で飲んだんじゃん」
「あれは、トマトジュースでした」
「ちゃんと見てたでしょ?ちょっとビールも注いでるの、あれは、レッドアイだよ」
気付いてないと思った?あんなにじろじろ眺めてるの、
「…」
「無理しちゃってさ」
お酒なんか、全然飲めないくせに
▽ウォッカ・マティーニ
ウォッカとベルモットステアする。カクテルの王様、マティーニのジンをウォッカに変えたバリエーション。
…かなり辛口の上めっちゃ度が強い。私は飲めません。
▲レッド・アイ
トマトジュースにビールを加えて軽くステアする。
…居酒屋でよく見るあいつ。話のネタになる変わり種のようでいて、さっぱりとしていて飲みやすく度数も低い憎めないやつです。モーニングカクテルとしても親しまれているようです。
▽ギムレット
ジンとライムジュースをシェイクする。
…「ギムレットには早すぎる」って言わせたかった。度数も高く、辛口。でもあんまり辛いのでシロップやリキュール、コーディアルで甘味を加える。