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そうしてその女性を見るともなく見ているうちに、クダリと彼女の声が背後から聞こえてきました。

わたくしは女性から視線をはずし、息をひそめ、悟られることのないように慎重に二人を盗み見ました。
クダリはその必要もないほどに、一見してわかるほど緊張しきっていて、周りを見る余裕などないようでした。神経を集中して耳をそばだてる。


「綺麗だね」
「そうだね、すごく」


ああ、聞いていると雰囲気にあてられてこちらまで赤面してしまいそうになる。ぽつり、ぽつりとしたそのような会話の中で、クダリはわかりやすく本題を切りだそうとしては、失敗してどもりました。少し気まずそうに、恥ずかしそうに、あと一歩の勇気が出ない。
そしてこれは、客観的に見ているからこそわかることですが、彼女はとっくにそのことに気づいていました。


「クダリ、どうしたの?具合悪いの?」
「いや、大丈夫」
「じゃあ何か言いたいこととかあるんじゃないの?」
「え、えっと、その…」
「日が暮れちゃうよ」


ええ、比喩でもなんでもなく、文字通りに、刻々と日は沈み、妖しげな色の空ではいくつかの星が瞬き始めていました。頬を撫でる潮風は鋭い冷たさを孕んでいました。

彼女がほんの少し呆れたように息をつき、クダリがひゅっと喉を鳴らして息を吸う音が、ここまで聞こえてきたようでした。




「…僕と、これからもずっと一緒に歩んでくれますか」



上着のポケットから上品な質感の箱が取り出され、クダリはそれを彼女に向かって開いて見せる。ゆであがったように顔を真っ赤にして。ああ、どこかで聞いたことのあるような少女的で、甘美な台詞ですね。いい趣味です。

こちらからは彼女の表情までは見えません。長いこと立ち尽くしていたような気がします。二人は実に大真面目に。わたくしは間抜けに、滑稽に。実際は数十秒、数分程度だったのでしょう。その場に倒れ込みそうな、気の遠くなるような時間の流れをひしひしと感じました。

そうしてしばらく、消え入るような、細く、震えた涙声が、「はい」





ここでわたくしは、ごく自然に  それがまるで当然のことであるかのように  死のう、と思いました。川をさかのぼった先のこんこんとした湧き水のような、純粋で混じりのない気持ちでした。


わたくしはわたくしの一周目の人生を、クダリの人生を、あまりにも熱烈に愛しすぎました。そうして掴んだ手の中はいつだって虚空だったのに。
わたくしの人生の全てが彼の模倣であり、価値がなく、ひどくつまらないものである。ふとそう感じたのです。


ぐっと柵から身を乗り出す。
悲しむ人がそういないというのも今となっては悪いことでもありませんね。クダリ…クダリならば、彼女とともに力強く、輝かしい人生を歩んでいけるでしょう。

ごつごつとした岩礁、黒く揺れてその深さを主張する水面、そしてこの高さならばきっと死ぬだろうと、どこか冷静に考えました。死んだことがないのでわかりませんけれど。


ほとんど上半身を空に投げ出していました。ここで、わたくしの目にふと、一つの人影が入りました。

例の、黒い帽子の女性でした。

わたくしは気がつけば身体を元に戻し、地に足をつけ、全力で駆けだしていました。自分がどうしてそうしたのか全く理解しないまま。わたくしの体はわたくしの脳を全く介さず、脊髄反射に従って動いているようでした。


その人影も腰を折り曲げ、足を地から離し、頭から落ちようとしているのでした。

毛穴という毛穴からぶわ、と嫌な汗が吹き出て、全身が恐怖におののき総毛立っているのを感じました。ああ、ああ、死なないで、どうか、死んではいけない!



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