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もしかしたら夢ではないかと思ったのだ


一度目を閉じてもう一度開けば、革張りの黒いソファの背もたれが私の視界を黒く染めていて、少し身じろぐとあの人のコートがするすると床に落ちる

『おや、起こしてしまいましたか』

ソファで横になる私に近づいてもう一度コートをかける彼の顔を仰ぎ見ると  


「っ……」

はっと息をのんだ
浅い眠りから引き起こされる
体もシーツもびしょびしょに濡れていて、髪が肌に張り付いて不快な感触を残している
首を動かせば、私を腕に閉じ込めて眠る彼が目に入った

何度まばたきをしても、私の隣で寝息をたてる彼の口角が下がることはない
すやすやと、幼子のような安らかな寝顔だった

肌寒さと身体の内側の生々しい感覚が、私の良心を酷く苛んだ
心臓が外側に飛び出そうとするように激しく脈打っている


もう一度、縋る気持ちで目を閉じる
瞼の裏の暗闇には必死に、嬉しそうに私を抱くクダリくんの熱に浮いた表情が焼き付いていた

『好、きっ、すき、すき、愛してるのナマエっこんなに…!』

どれくらいの時間だったのかわからない、永遠に感じられるほどに、クダリくんは私を抱き潰した
気をやってしまうくらいに、激しく
譫言のように愛を呟いて、何度も何度も果てた

『ナマエ』

ずるりと自身を引き抜いて、クダリくんはこときれたようにベッドに沈んだ
それから今まで、規則的に上下する胸以外は少しも動かない

カーテンからぼんやりと差す光に朝が来たことを知る


私は、彼を利用したのだ
自分勝手で、醜い
都合のいい言い訳なんて、何の足しになるだろう

乾いた涙の跡が残るクダリくんの頬をそっと親指でなぞる
一つだけ零れた涙の粒は、生暖かく目尻を伝ってシーツに吸い込まれていった

もう後戻りなんて出来ないのに







「ナマエ?」

夢は見なかった
何のきっかけもなく瞼が持ち上がって、はっきりしない意識のまま薄く明るい部屋の中に彼女の姿を探し求めた
段々と光が焦点を結び視界がクリアになる
名前は僕の隣で、仰向けになって静かに目をつむっていた

「ナマエ、おはよ」

漏れる笑顔を隠せない
ナマエの額に張り付いた前髪をかきわけて、キスを落とす
軽いリップノイズが午前5時の部屋に吸い込まれた
ナマエにタオルケットをかぶせて、ゆっくりとベッドを降りる
ベッドの回りに散乱した二人分の服と下着を一個一個拾い集めた

「ナマエってさ」

ナマエは少し身じろいで寝返りをうった
タオルケットをきゅっと掴んでいる

「嘘つくの、下手だよね」

服たちを抱えてドアに手をかける

「シャワー浴びてくるね」

ナマエはぴくりとも動かなかった



ああ!なんて清々しくて、気持ちのいい朝なんだろう!
熱いシャワーでも、僕の興奮と鼻腔に染み付いたナマエの甘くてとろりとした匂いを洗い流すことはできなかった

ナマエはもう、ノボリのじゃない
その事実が何よりも僕を高揚させる

バカでみじめなノボリ、かわいそうに

「じごうじとくだよ」

自然と口の端からぽろりと落ちていった言葉がシャワーの雑音に溶けた
曇り防止の加工をしてある鏡にくっきりと映った男の顔だけが僕の気分を害したから、シャワーの粒々のお湯でかき消した







出勤するときに寝室の扉を開けて「行ってくるね」と声をかけた
ナマエはやっぱり狸寝入りをしてたけど、僕のことで頭を一杯にして悩む彼女は何よりも愛しいと思ったからほっておいた

簡単な朝食にラップをかけて、鞄を持って革靴に踵を押し込んで、
玄関の扉の重さは現実の世界から僕らの時間を守るためのものだ
ノブをひねってゆっくりと押し開けた
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