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あたりが暗くて手元がよく見えない
ドアに向かって歩きながら鞄の底をさらって鍵を探す
いつも使わない鞄に入れたから、なかなか見つからない
しばらく格闘してやっと指先に触れた感触を、掴んで取り出してみれば、やっぱり目当てのものだった
黒いシンプルなキーホルダーが付いているそれは、二年半ほど前の合鍵時代からの愛用品で、彼のものと同じストラップがついているものだから、もうどちらがどちらのかわからない
こんな小さなところまで、私の生活の中にノボリさんがしみ込んできてしまっているのかと思うと苦笑がもれた

見慣れた重厚なドアの前で立ち止まる
…今日は、もう晩御飯は作らなくていいか
私が外で食べてきてしまったら、私のご飯を食べる人はもういない
鍵穴に鍵を差し込んで、くるりと回した

かちゃり、

軽い音を立てて回る鍵
それを持つ手に感触は、なかった
もう一度回してみるけど、鍵はやっぱり同じ音を立てて回る

…まずい、鍵を、かけ忘れてしまったかもしれない
中にあるのは私のものだけじゃないのに、

一気に頭から血が無くなっていく感覚がして、酔いも醒めた
どうしよう、どうしよう
焦る頭を落ちつけて、恐る恐る、本当にゆっくりとドアノブを回して、音を立てないようにドアをほんの少し開けた





「ああっ!あん!っ、ぅあ、の、ぼりい!」





立ち尽くす

何秒間か、何分間か、何時間かだったかもわからない
玄関から漏れる淡い明り、その先に、奇麗な、知らないパンプス
途切れることのない高い声
半開きのドアの外で他人の嬌声を、恍惚として自分の夫の名前が叫ばれるのをじっと聞いている私はたいそう滑稽だっただろう

動けなかったのだ
前に進む事も、後に引くこともできなかった
ただただ私は完全な証拠を突きつけられたまま、赤の他人の情事の音声を他人事のように聞くことしかできなかった

でも、突然、ひどい吐き気と頭痛に襲われて、私は自分の意志と関係なく、数歩下がってマンションの廊下に崩れおちた
がちゃり、とドアが重い音を立ててひとりでに閉まる直前にひときわ高い声が聞こえた
体中のどこにも力が入らない
心臓が潰れそうなくらいに激しく鼓動を刻んでいて、頭が割れそうに痛い、全身の震えが止まらない
嘔吐感はあるのに、口からは何も出てこなくて、声にならない、ひどい嗚咽ばかりがあふれ出る

寒い、寒いよ
これからどうするのか考えることもできなかった
ただただうずくまって震えている私は、不格好で惨めな、ただの、女だった







そうしてどのくらいたったのだろう、突然、私の耳にチン!という場違いに軽快な効果音が聞こえてきた
かつ、かつ、と鳴る靴音はだんだん大きくなってこちらへと近づいてくる


「……義姉さん?」
「…くだり、くん…?」
「っ!ナマエ!なんで泣いてるの?!なんだってこんなところにいるのさ?ノボリ定時に上がったでしょ?」


言われて初めて自分が泣いていることに気づく
今日はよく泣く日だな

「ノボリいないの?とりあえずお家入ろ?」
「っ!だめっ!やめて、クダリくん!」

私の手を取って、ノボリさんの家の玄関のドアに手を伸ばしたクダリくんを必死に声を絞り出して止めた
私の必死さに押されたのか、びっくりしたように目を丸くしたクダリくんは、しばらく固まった後、ちょっと考えてから、私の目線まで跪くようにかがんだ

「ここは寒いから、とりあえず僕のおうちであったまってから、いろいろお話しよう」

こんなに冷たくなっちゃって

そう言って私をなだめて安心させるように優しく笑ったクダリくんは私をひょい、と抱きかかえて、鍵をコートのポケットから器用に取り出し、ノボリさんの、隣の玄関のドアを開けた
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