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「カミツレちゃん」
「…」
「カミツレちゃんが何を知ってて、何を思って聞いてきたのか私はわからないけど、」
「…」
「そんな風に私のこと心配してくれるなんて、すごく嬉しい、ありがとう」
「ナマエ…」
「ノボリさんがどう思ってても、何をしてても、私は彼のこと、愛してる」
「…」
「ただ…」
「…ただ?」
「ただ、ちょっとだけ、疲れちゃったみたい」

待ってることに

そう言ってふわりと笑うナマエの顔に力はなかった



午後六時過ぎだろうか
サブウェイの外ではなかなか見ることのできない昔馴染みを見つけて、声をかけようとした
人の流れの中を早足で近づき、あと数メートル、久しぶりねと声を出しかけて、喉元まで上がっていたそれを、慌てて引っ込める
見紛うことなどない、平均よりいくらか高い身長に、特徴的な髪と口元
幼い頃から腐れ縁で付き合っているのだ、マスターの証のコートを着ていなくても、変装のためか帽子を深くかぶっていても、すぐにわかる
見間違うはずがなかった

…じゃあ、その、隣にいるのは誰?


『ノボリさあん、今日もお疲れさまです』


いけないとはわかっていても、思わず聞き耳をたててしまう
聞こえてきた鼻につく甘ったるい声に、背中を舐められたようにぞくりと全身が粟立った
わざとらしく腕に絡まり付く仕草も、フリルの多い服の趣味も、どう見てもナマエじゃない
ノボリもどうして、それを振り払わない

『待ちましたあ?』
『いえ…先程仕事を終えたばかりです』
『ふふ、ノボリさん優しーい!』
『…では、参りましょうか』

好奇心からだけなのかわからない、ただそうせずにはいられなくて、私は彼らの数メートル後ろをついて歩いた
隙間のないくらいぴったりと寄り添い、絶え間なくあの、甘えるような声で話し続ける女
拒否することなくそれを受け入れ、何度か相槌を打ちながら歩くノボリ
気づかれないようヒールを静かに地面に落しながら二人を追う私
なんともいえないシュールな状況と緊張感に、固く握った手のひらがじわりと汗ばんだ
なんで私はこんなことしてるのよ、と足を止めようとする理性を疑惑の念が突き動かす
私が疑り深いだけ、ノボリはあんなにナマエを愛してたじゃない
歩きながら何度も何度も頭の中で自分に言い聞かせるように繰り返した
誠実で真摯な、あの幼馴染がそんなこと、信じられなかったし信じたくもなかった

しかし、その希望ともいえる思いはあまりにもあっさりと裏切られた

「嘘でしょ…」

人の流れからはずれて入っていった細い路地
気味の悪いネオンが妖しく光るコンクリートの建物に、二人は吸い込まれていった







『カミツレ様、わたくし結婚いたします』
『…はあ?』

唐突だった

『…ノボリ、あなた、恋とか愛とか知ってたのね』
『失敬な!わたくし、ナマエ様をこの上なく愛しております!』
『ナマエ?ナマエってあの、ナマエ?』
『おや、あの、とは特定するには些か少ない情報ではございますが、ナマエ様をご存知ですか』
『うーん、今度連れてきてよ』
『今からお呼びいたしますよ』



『ナマエ様!』
『ナマエ!やっぱりあなただったのね』
『カミツレちゃん!久しぶりだね』
『ええ、結婚おめでとう』
『ノボリさん、もう言っちゃったんだね』
ありがとう、とはにかむナマエは本当に幸せそうだった
『では、報告もしたことですし、行きましょうかナマエ様』
『ええ、もう行っちゃうんですか、私来たばっかりなのに』
『あなたと二人きりで過ごしたいので』

そう言って自然な動きでナマエの腰に手を回し頭を優しく撫でるノボリのナマエを見る目は、後から考えてみれば異常だった
うっとりと揺れる瞳、愛おしげに細められた目
映しているのはナマエだけだった
ナマエは眉を下げて、頬をほんのり赤く染めて、私にごめんね、って言った

『ナマエ様が謝る必要はございませんよ』
『…そうね、あんたが謝ればいいもの、ノボリ、あんた何しにジムまで来たのよ』
『仕事から帰宅するついでに、報告がてら寄っただけでございます』
『…失礼な奴』







あの愛までが嘘だったと、演技だったと私には思えない
二年の時間がノボリを変えてしまったのか

一人でこんな咽せるような性の匂いのする通りにいても仕方ない
私はもときた道を歩き始めた
帰り道にあるのはぽかりとした虚無感だけだった

私はどうすればいい
ナマエに言えばいい?ノボリを怒ればいい?
でも、私が何かしたら、あの夫婦はどうなるのだろうか
私には、そうして起こることの責任を取れる程の覚悟も勇気もなかった

仕事を終えたノボリの後を何度かつけてみてわかったことは、相手の女の顔だけは、若干、ナマエに似ているということだけだった
それは、ナマエへの罪の意識なの?自分が満足するためなの?
私にはわからない

もうそれで私はこのことに関わるのをやめた
私は何もできない、所詮他人だから
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