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嫌いとか、決してそういう訳ではない。寧ろ尊敬する上司だ。挑戦者と相対したときの力強い瞳も、計算しつくされた完璧な戦法も、庶務をこなす凛とした姿勢だってすべてを見習うべき人。…ただ少し苦手なだけで。
例えば、例えばの話、もしノボリボスと私が二人で世間話をすることになったとして(この想定は限りなく有り得ない話だけど)、私が気の利いた冗談なんかを言ったとする。と、ノボリボスはきっと言うだろう。「は、はあ…」
なまじ気の遣える人だからばっさりつまらないとは言わない。それが余計につらい。

詰まるところノボリボスは仕事人間で、その仏頂面が私はどうにも怖かった。


だから、仕方ないのだ。…通勤の途中でボスの後ろ姿を見つけて、声をかけられないのは。誰が責められるだろう。だってまだ駅まで結構な距離があって、そこまでずっとボスと空気を共にできる程私は鋼の心臓を持ってない。
仕事中と違って意外とゆっくりと歩を進めるノボリボスに追いつかないよう、歩幅を合わせて後を歩く。ボスの広い背中を見つめながら、私はストーカーじゃないぞ、と念じた。大丈夫、同じ場所に向かっているだけで、怪しい者じゃないんです。彼と私は立派な関係者なんです。

「!」

そんなくだらないことを考えながら歩いていると、ノボリボスが唐突に立ち止まった。まずい、バレた!いや、バレたって悪いことしてる訳じゃないから別にいいんだけど、気まずいだけで!あ、やっぱり気まずいのは嫌だ。とっさに物陰に身を隠してから、これでは自分は本格的に不審者だとはっと気づいた。

「迷子ですか?」

ちら、ボスの方を見やる。まさか私にかけた言葉ではないでしょう。ぴたりと綺麗に立ち止まったノボリボスは、すぐ横の植え込みに向かって話していた。

「どちらからいらしたのですか?」

跪いて植え込みにひたすら淡々と慇懃に話しかけるボスは狂気的だ。ぶるりと肩が震える。ボスは構わず話し続ける。

「こちらにお住まいで?」
「しゃー!」
「ああ違うのですね」

おもむろに植え込みに手を突っ込んだノボリボスは、紫の毛玉を引っ張り出した。ふるふる首を揺らすポケモン。あーチョロネコかぁー!よ、よかったボスが草木と話せる妖精とかじゃなくて…!忙しすぎて頭がやられたのかと本気で心配した。

「あなた、お名前は?」
「にゃ」
「まだない、と。ご自宅はどちらですか?」
「にゃーん、うにゃ」
「何を言っているのかわかりません」
「ふにゃっ!しゃー!」
「おや、すみません。ご自宅までお送りいたしましょうか?」
「うにゃにゃにゃ、にゃん」
「え?」
「にゃー、にゃ、んにゃ」
「ふむ。もう一度お願いします」
「うなー!」
「おっと、失礼いたしました」

え…えっ?呆然とその光景を見つめる。にわかには自分の耳を信じられなかった。
ボスはチョロネコを抱きかかえて立ち上がった。植え込みで遊んでいたのだろう、泥だらけの足がまっさらなワイシャツに足跡をつけるのも構わずに。そして、いつもの仏頂面で、敬語で、チョロネコと会話している。いや、多分チョロネコが何言ってるのかはわかってないけど。

「あなたの毛並みはなかなか美しいですね」
「んな?にゃー」
「ええ、素晴らしいです」
「にゃうにゃ」
「ブラボー」
「んにゃっ」
「ところで少々お手を拝借してよろしいですか?」
「にゃう」

仕方ねえな、みたいな声を出してチョロネコはノボリボスにされるがままになっている。まだ前足に残っていた泥を自分のワイシャツの袖で拭いて、ボスは大きな手でチョロネコの前足を持ち上げた。

ぷに。

「おー」

…おー、ってなんですか。ぷにぷに。「なかなか…ええ」何がなかなか、なんですか。口角を下げたまま肉球を押しまくるノボリボス。を、眺める私。表情は仏頂面なのになんだか楽しげな雰囲気が空気を伝わってここまで漂ってくる。ぷにー。強く押し込んだ肉球の少し上あたりから、みょんと爪が出てきた。ぷにぷに。

「あなたも触りますか?」
「にゃん」
「遠慮深いですね」
「う、にゃー、にゃん!」
「おお、どうしました?」

ぴょん!チョロネコが未だ肉球をぷにりまくるノボリボスの腕から跳躍して飛び出した。名残惜しげな声で「これからご予定が?」と尋ねるボスにツンとした態度でそっぽを向く。鬱陶しかったんでしょうよ。

「あなた、迷子なのでしょう?」
「うにゃ」
「違うのですか?」
「なーん」
「うちに来ませんか?」
「にゃ」
「悪いようにはいたしませんから」

ボスの部分だけ切り取ったらなんだかとっても犯罪臭のする台詞である。自分が今ストーカー紛いなことは棚に上げるけど。思わず顔が赤くなるほどの殺し文句。ノボリボスが、チョロネコをナンパしてる!

「ね?」
「なーん!」

そして振られた!
チョロネコは完全にボスに背を向けた。そして、こっちを、見、て、

「にゃん、うにゃ」
「っ!うわ、待って、来ないでー!」
「…ナマエ?」
「違います!」
「違いません!!」
「はいすみません違いません!!」
「うにゃんにゃ」

ダメ元でついた嘘は一瞬ももたなかった。

完全に私と目が合ったチョロネコはこちらに向かって全力で疾走してきた。全く逃げきれずに飛びかかられる。うにゃうにゃ甘えた声を出してチョロネコは私にすり寄った。
その後をついてきたノボリボスに、思いっきり見つかりました、はい。

浮気を見つけた彼女みたいな顔でノボリボスはまくしたてた。

「なっなっな、ナマエ、いつから」
「え?え、ええと、迷子ですかの辺りから、かなーなんて」
  ッ!お馬鹿ッ!!忘れ、忘れてくださいましー!」

恥ずかしさからかそれともチョロネコを取られた嫉妬からか。耳から首まで真っ赤に染めてノボリボスは全力で走り去った。その間もすり寄ってんにゃんにゃ甘えてくるチョロネコは、あ、君オスなんだね。ぷに、肉球を押し込んでみれば、確かに、うん。なかなかのものだなと思った。

いやあ、忘れるなんて無理でしょうノボリボス。素敵な上司の新しい一面を垣間見ることができたいい朝だ。遅刻しそうなのも気にならないくらい。チョロネコを抱えながら駅まで走る。取りあえず、ボスとはもっとお話しようと思う。今度チョロネコを連れて行ってあげよう。



朝食はマスクの下のパンケーキで、シロップは大さじ一杯



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