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「ナマエー?ナマエはいる?」

駅員の事務所のドアを開いて部屋を見回しながら同僚が声を張る。席について書類を片している私に気づくと、彼はその場で手招きした。

「どうしたの?」
「ボスが呼んでるよ。資料室」
「えっわかったすぐ行く」
「あぁ、ボールも持って来いってさ」
「了解」

ボス。この職場ではそう呼ばれる人物は二人いる。白いボスのクダリさんと黒いボスのノボリさん。
私も同僚も新人よりは長くここで働いているが、古参というには少し短い。私たちが就職したときにはボスはもうボスとして地下の頂点に君臨していて、その圧倒的な強さで以て絶対的にボスだった。そんな二人。バトルも庶務も完璧な二人に、当時新人だった私たちは手放しで感嘆し尊敬したものだ。だからクラウドさんやシンゲンさんの『やっとボスらあもしっかりしてきたなぁ』『ソウダネ』という会話もよくわからなかった。

それからもう何年か経った。ボスはやっぱりボスだ。変わらず他を圧倒している。私たちの仕事がちょっと早くなったことと、新しい職員が入って何人かの先輩が去っていったこと以外にこのギアステーションにはほとんど変化はない。
長い廊下を急ぎ足で歩く。ボスに呼ばれるようなこと、何かしただろうか。過去の自分の行いを洗いながらたどり着いた資料室のドアをノックした。

「失礼します、ボス。お呼びだと聞いたのですが」
「ああ、ナマエですか」

資料室にいたのはノボリボスだった。ダンボールの上に座ってぼうっとしていたのか、ドアが開く音に合わせて緩慢にこちらを振り向いて立ち上がった。ちょっと眉を下げて、苦笑いで口を開く。

「すみません、自分で呼びに行くべきだったのですが、ちょうど事務所に戻るというので横着して頼んでしまいました」
「とんでもない!どうされました?」
「いえ、荷物を運ぶのを手伝って欲しいだけなのです」
「は…はい」
「手間取らせてしまってすみません」
「いえ!どれですか?」
「これと、そちらの段ボールです。ナマエ、ローブシンを連れてましたでしょう?彼に頼めませんか?」
「はい。お願いローブシン!」

持ってきたボールを放ってローブシンを繰り出す。話を聞いていたらしい彼は両手の石柱はそのままに、二つの段ボールを軽々抱え上げた。これでいいのかとでも言いたげに私を一瞥するローブシンの腕を撫でる。入社当時ドッコラーだった時からの相棒だ。

「おお、頼もしい」

ノボリボスはゆるりと目元を緩めて、少しかしこまって「お願いします」ローブシンに言った。

「どちらまでですか?」
「わたくしたちの執務室までお願いします」
「はい」
「助かります」
「……あの、ちょっと聞いてもいいですか?」
「ええ」
「ノボリボス、シャンデラかオノノクスは…」

アイアントやギギギアル、ダストダスには難しいかもしれないけれど、シャンデラのサイコキネシスかオノノクスに頼ればこんな段ボールくらい、わけないはず。というか二箱は無理かもしれないけれど一箱ずつならノボリボス自身だって持てるんじゃないだろうか。いや、手伝うのが嫌という訳ではなく興味本位だった。ボスは普段、こういう小さなことを他人に頼んだりするような人ではないから。ただの好奇心。隣を歩くノボリボスの顔を仰ぎ見てそんな興味は一瞬で後悔に変わった。

ボスはちょっと悲しそうに目を伏せていた。困ったような、傷ついたような。銀灰の睫毛がふるり、上品に影をつくる。嘘、私何かいけないことを聞いてしまったのかもしれない。どうしよう。こんな顔をさせてはいけない。慌てて弁明しようと口を開きかけたら、ノボリボスに先を越される。

「わたくしのボールは今管制室に置いております」
「あっああ!そうなんですかー!」

…ついさっき、右手に通り過ぎたのが管制室の扉。事務所に人を呼ぶよりよっぽど近い。自分のボールを取りに来た方が早かったはずだ。もしかして自分のポケモンにはそんな、バトル以外のことさせられない!とか…
けれど悲しそうな雰囲気のボスにそれ以上は深く聞いたらいけない気がして私は全力で話をそらす話題を考えていた。そして、その努力は報われない。

「管制室にはクダリがいるはずです」
「えっああ、そうですね。さっき呼び出されてましたね」
「…クダリにばれたくなかったのです」
「ば、ばれる?ボールを取りに行ったのを?」
「……笑わないで聞いてくださいますか?」
「は、い」

いかにも深刻な表情で私の顔を覗き込む。ごくりと唾を飲んだ。

「…腰が」
「腰が?」
「…ぐきっと。痛めてしまって…その…段ボール、持ち上げる時に」
「えぇ?!!」
「いや、痛いですが歩く分には大したことはないのです。自分でいけるかと思って持ち上げようとしたのですけど、失敗でした」
「だ、大丈夫ですかボス…!」
「傷ついてません。傷ついてませんよ…しかし、クダリに見つかったらどうなるか…」
「ああ…」

何だかとってもしんみりした空気になってしまった。「老いからは逃げることができませんね…」ふう、とノボリボスはため息をつく。

「そっ!んなことないですよ!ボスはお若いです!」
「ふふ、ありがとうございます」

ふわり、目を細めて笑ったボスの顔は私が知っているボスのどの表情より角がなくて柔らかくて暖かかった。

嘘じゃない。四十に足をかけたとは思えないほどキレのあるバトル、年を重ねるにつれ深みさえ出てきた戦略。部下の指導だって熱心だ。ボスが老いたとは思わない。
ただ思いおこしてみれば、いつの間にか現れた書類に目を通すときの弦の細い眼鏡、細い腰に吸いつくサスペンダー、減っていく飲み会でのお酒の量。年月を感じさせるものは、確かにあった。私が多少なり成長するのと同じように、ノボリボスだって見えづらいだけでちょっぴり変わっているのだ。

「いつまでも若々しくありたいものですが、身体はそうはいきませんね」
「そんなことないです!」
「そうですか?」
「そうです!ボスはまだまだいけいけです!」
「いけいけって、あなたいつの時代の人間ですか」
「わっ、らわないでください!!」
「すみません…ふふ、ナマエならきっとそう言ってくれると思ったのです」
「いけいけですか?」
「まだ若い、ということですよ。おじさん、ちょっと慰めて欲しかったんです」
「お、おじさんって」
「クラウドなんて確実に傷をえぐって塩塗り込んでくるでしょう。それに言いふらしますよ絶対。クダリの次にたちが悪い」
「ああ…多分しますね」
「ですからナマエ、他言無用ですよ」

しい。薄い唇の前にそうっと指を寄せて、ボスは妖しく微笑んだ。どきりと胸が跳ねる。
…いけいけ、どころか色気を増していくなんて、この人は本当にずるい。底知れない。

「ではここまでで。ありがと「何が他言無用なの?」

執務室の前にたどり着いて、どさ、どさ、とローブシンが段ボールを置いた。ノボリボスが慈しむようにたくましい腕を撫でて執務室の扉に手をかけた、瞬間、内側からその扉が勢いよく開く。

「うわぁ、ナマエのローブシン!え?何?これ運んでくれたの?」

庶務をしていたらしい、眼鏡のクダリボスがローブシンにふわりと微笑んだ。「ありがとう!」…管制室にいるんじゃなかったんだ。

「それで?内緒話ってなあに?」
「え、っと、それは…」
「僕には言えないようなことぉ?ひどーいナマエ」
「いや、あのっ」
「いけない子」

きゅうと目を細めるクダリボスにいたたまれなくなる。い、言えない…!これはノボリボスの沽券に関わることなんです!

「…ところでノボリ、随分楽しそうだね、何してるの?」

はっとしてクダリボスの視線をたどれば、そこにはクダリボスが開いた扉に突き飛ばされたボスが床に這いつくばっていた。片膝と片手を床について、跪くような格好で。ただし顔は悶絶の表情である。

「の、ノボリボスっ?!大丈夫ですか!」
「…許しませんよ…クダリ…」
「立てますか?」
「えっ何もしかしてノボリ、腰やったの?」
「っ……!ナマエ、ナマエ!急に動かしてはっ…!」
「あっすみません!」
「っふ、ははは!くっ、ふふ、ノボリおっさん!」

悔しそうに奥歯を軋ませるノボリボス。ひいひい涙を浮かべながら容赦なく笑うクダリボス。おろおろする私。「湿布持ってきてあげよっか?」聞きながら、執務室の中に持って行くのだろう、クダリボスは積み上がった段ボールに手をかけた。


ぐきぃっ!


「………」
「………」
「…ナマエ、ローブシン貸してくれる?」
「…はい」



負けることもあるんだよ
勝てない相手だけどうまく付き合っていくことはできるよ



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