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「おはようございますクダリさん!」

「ぅ、わっ」


白いコートの裾をふわり、揺らして、カツカツ颯爽と廊下を歩くその麗しの腰に飛びかかれば、胸の中はいい匂いで一杯になった。香水が苦手なクダリさん御用達の柔軟剤のかおり!その銘柄を突き止めた私はもちろん同じ柔軟剤を使っているんだけど、どうにもクダリさんの清潔でそれでいて甘くてしゃんとして柔らかい、そんなかおりは私からはしない。どんな魔法なのかな。やっぱりクダリさんが使ってる全自動ドラム式の洗濯機から揃えるべき?それともクダリさん自身から私を吸い寄せる特殊な匂いが出てるのかな?それってそれって、素敵!すう、と深呼吸して会えなかった分のクダリさんを補充する。ストーカー?上等です。愛故ですから!


「っまた君か!ここは関係者以外立ち入り禁止だろう!どうやって入ったんだ!」

「愛の力です!愛の力で誰も見ていない隙をつきました!」

「ここの警備はそんなに甘くないはずなのに…」

「やだなぁクダリさん!私って関係者みたいなものでしょう!」


そう私はクダリさんのストーカーという関係者!「…それって無関係って意味じゃ」「細かいこたぁいいんですよ!」この細腰を思う存分ぐりぐり堪能してる間も、クダリさんは女性に乱暴できないなんてフェミニスト、ひいては男性諸君の鏡のような理由で抵抗らしい抵抗は全くしない。それどころか背中から回した手の上に手袋に包まれた温かい手を乗せてきてくれちゃったりなんかしちゃったり!クダリさんそれじゃ何時間経ってもふりほどけないですから!


「はぁー今日のクダリさん補充完了!ではまたすぐに会いましょう!」

「もう勝手に入って来ちゃだめだよ」


これ以上はクダリさんのお仕事の邪魔になってしまう、というタイミングで手を離した。私はクダリさんの邪魔にならないギリギリ一番前の席で、クダリさんを応援して愛したいだけの、大変優良なストーカーなのだ。振り返って毎回同じ注意をする彼の、何度抱きついても同じように赤く染まりあがる愛らしい耳を見るまでが私の1日の一番の癒やしそして楽しみ!よし!「今日も待っててくださいねえ!」「あっ、聞いてるの?!」職員専用の通路を飛び出した。



優良なストーカー、そんな私のもう一つの姿がこれだ。


「行って、ロトム。ハイドロポンプ」


電車の揺れにも動じなくなった相棒が高火力の技を難なく当てる。すでに残り一体になっていた相手は最後のポケモンが沈んで悔しそうに歯を軋ませた。
回復装置にボールを並べて、味気ない機械音声に黙って何度かエンターキーを押す。六両目。ダブルトレイン。車輪が線路をたどる規則的な音はもう耳に染み付いている。

訓練された廃人。それが私のもう一つの顔だった。
むしろクダリさんのストーカー歴よりこっちの方が長い。本職と言ってもいい。初めは慣れたシングルに乗っていたのだけど、そんな私に声をかけてアドバイスをしてくださったクダリさんにころっと落っこちてダブル廃人になって久しい。その真面目さ、優しさ、純情さ、いい匂い…そしてダブルトレインに乗った私は一瞬で悟ったのだ。あ、もうだめだと。
時々あの奔放なノボリさんがお得意の笑顔をひっこめて「シングルには乗らないのですか」って拗ねたみたいに言ってくるけど、そんなんじゃ私はもう少しも靡かない。だって七両目の扉を開けた先  


「僕はクダリ。ダブルバトルが好き。勝利するのが何より大好きだ。勝利の先に何が見えるのか、さあ、始めよう」


真面目な彼が瞳をぎらつかせて、ちょっぴり口角を上げて凶悪に微笑むこの表情を知ってしまえば、この電車は降りられない。




「本当に大丈夫かい?」


耳が見える。ヨーテリーみたいた耳が。力なく垂れて落ち込んでいるのが。
私たちは並んで座席に座っていた。バトルは終わった。クダリさんの勝利で。ただのダブルトレインだろうと容赦なく本気を出してくるのだこの人は。それだけ遠慮されてないっていうのも本気のクダリさんと戦えるのもこれ以上なく嬉しい。回復し終わった相棒のボールを撫でる。次は勝とうね。私がクダリさんを愛しているのは関係なく、いや愛しているからこそ、本気のクダリさんに勝ちたかった。
それはともかく。


「だぁーいじょーぶですってばぁ!怪我はしてませんし!」

「でも…」


私の膝の上に乗ったショルダーバッグ、だったものを眉尻を下げたクダリさんはじっと見つめた。

バトルが終わってポケモンをボールに戻し、ここで一言愛の言葉を、と思った私を突然重い衝撃とお尻の痛みが襲った。驚いて混乱する私に駆け寄るクダリさん、そこらじゅうにぶちまけられた、私の私物。バトルに興奮したらしいクダリさんのアイアントが私に飛びかかってきたようだった。その鋭い鋏に運悪く引き裂かれたバッグの中身は激しく車内に散らかっていた。は、恥ずかしい!人並みの恥じらいを持っていた自分に驚きつつ、散らかっていたのが自分の臓物じゃないだけもしかして運がよかったのではなかろうか、と思う私に、クダリさんは土下座も辞さない勢いで謝っている。
結局クダリさんも拾い集めるのを手伝ってくれて、ぴっしりとしたお手本のような礼を見せつけられて。そして私たちはライモンに電車が着くのを待っていた。


「弁償するから…」

「気にしないでくださいってば!」

「お金じゃだめ、だよね。同じもの、は見つからないかもしれないけど、買ってくるよ」

「そういう意味じゃなくて!」

「僕が選んだのじゃだめなら、一緒に買いに行こう。君が都合のいい日に」

「それは魅力的ですけど、もうほんと鞄なんて他にもあるしクダリさんが気に病む必要ないですってばー!」


ただひたすら叱られた子犬のようにしょんぼりするクダリさん、そんなクダリさんも確かに愛しいけれどかえって申し訳ない気持ちになってくる。鞄なんてどうとでもなるのに…!


「とにかく気にしないでくださいね!明日も来ますから覚悟しといてください!」

「あ、ナマエちゃん!」


ちょうどよくホームに滑り込んで扉が開いた電車から飛び出した。クダリさんが呼び止めたけれど、私は訓練された廃人であり優良なストーカー。クダリさんを必要以上に煩わせる存在であってはいけないのだ!







「もしも、し…」

『もしもし、ナマエちゃん?』


どうしよう。精神までは病んでいないと信じていたけど私のライブキャスターから聞こえてくるこの真っすぐで誠実なお声はまごうことなきマイスイートクダリさんのものだ。
もちろんライキャスの番号なんて教えたこともないし、そもそもストーカーと被害者、精一杯友好的に表現しても駅員と乗客でしかないクダリさんと私は互いに電話をするような仲ではない。度重なる孵化作業でついにやられてしまったか、私の脳。幻聴まで聞かせてくれるとは大したやつだぜ。しかし幻聴でもクダリさんはクダリさん。私はおそらくおかしくなっている頭を落ち着けて冷静に答えた。


「やだークダリさん!駅の外でクダリさんの声が聞けるなんて幸せです!」

『また君はからかって…突然電話してごめんね』

「いえ、クダリさんなら大歓迎です!」

『いけないってわかってたんだけど、トレーナーカードに書いてたから、番号…』

「んん?」


確かに、トレーナーカードには電話番号の欄があるけれど。おかしいな。何の話だ。

「あの、クダリさん?」

『もしかしてまだ気づいてなかった?今日のあの時の電車に君のトレーナーカード、落ちてたんだ』

「ええー!じゃあ本物のクダリさんですか?!」

『当たり前だろう。偽物がいるのかい?』

「いやー幻聴だと思ってましたよ」


ただの布になった鞄に風呂敷のように荷物を包んで帰宅してから今まで、そういえば中身の確認なんてしていない。トレーナーカード、そっかぁ。ないと困るなぁ。


「ありがとうございます、明日取りに伺いますね!」

『いや、ないと困ると思って僕が今持ってるんだ。君に届けるよ』

「ごっほげほ、何言ってますかクダリさん!大丈夫です1日くらい!」

『でも僕の責任だから…今、どこにいる?そこまで行くよ。お家?』

「いやいやいや、クダリさんがそのままお持ち帰りになって、そのまま持って出勤していただければ私明日も会いに行きますから!」

『あ…迷惑、だったよね。ごめん、僕…』

「わー!わー!クダリさん今どこにいらっしゃいますか?!私そこまで受け取りに行かせていただきます!」

『でもそれじゃ』

「ちょうどクダリさんに会いたくなったのでたとえ火の中水の中!馳せ参じます!」

『火の中は危ないよ』


ふふ、とクダリさんが電話ごしに笑って、私はどうしようもなく温かい気持ちになった。慌てて靴をつっかけて外に飛び出す。「それで、今どちらに?」『フレンドリーショップ、わかる?あの交差点を……』



たとえ火の中水の中草の中、と勇み足でコンクリートの地面を蹴り、クダリさんのエンジェルボイスを片耳に、言われた通りの道順を辿った、だけだ。私は。どうしてこうなった。


「あの、クダリさん?」

『うん?ちょっと待ってね。今開けるから』

「うわぁ?!勝手に開きましたよドアが!」

『驚きすぎだよ。右手にエレベーターがあるだろう?31階押して』

「はあ…」


エントランスに私の間抜けな声が響く。はあ。エレベーターに乗り込んで、31、一番上のボタンじゃないですかクダリさん。
もしかしてもしかしなくても、ここ、クダリさんのご自宅でしょう。言われるまま来てしまったけど、私は常識をわきまえたストーカー。ご自宅は行き過ぎだ。そもそも常識があろうがなかろうがストーカーを家に招くのはどうなの。危機管理的な意味で。


『こっちだよ』


悶々としているうちに止まったエレベーターを降りると、ライキャス越しとクダリさんの生の声とが両方聞こえて振り返った。半開きのドアから半身を出して、白いライキャスを耳に当てる、


「クダリさん!」

「いらっしゃい」

「いらっしゃいじゃないですよ!なに考えてるんですか!」


いい笑顔で私を手招くクダリさんに駆け寄る。ゆったりしたセーター、クダリさんの私服を見るのは初めてで、勝手に喜んでお祭り騒ぎを始める脳みそを鎮めた。


「ここクダリさんのお家でしょう!」

「うん。遠いところまでありがとう」

「いえいえ。じゃなくて!だめですよ他人に気安く教えたら!」

「ナマエちゃんは他人じゃないよ、いつも来てくれるしね。関係者、なんだろう?」

「っやだクダリさんったら…!」

「はは、さあどうぞ」

遅れてしまった。はっと気がついて自然と動いていた足を止める。


「いや、私トレーナーカードを受け取りに来たんです!」

「ああ、中にあるよ」

「お邪魔するのは流石に悪いですから…!」

「…今日のお詫び、にはならないかもしれないけど、お茶くらいご馳走させてくれないかな」


…もしや初めからこれを狙っていたんじゃなかろうか。クダリさんの部屋からは何やら甘い香りまでしてきて、お詫びにお菓子を焼いたんだと言われても私はもう驚かないぞ!
申し訳なさそうに言いながら存外がっちりと私の肩を引くクダリさんを、私はとうとう振り払えなかった。


「じゃあ、少しだけ、お邪魔しま……」


…す。



がぎゃん!なんて破壊音に近い音を立てて扉が閉まった。私が両足を玄関についた瞬間に。必然、私はドアを閉めたクダリさんと背後のドアに挟まれる


「こんなに簡単でいいのかなぁ…」


鍵が、私のすぐ横で、言い聞かせるようにゆっくり回された。


「く、だり、さん」

「うん?」

「せまい、です」

「そっか」


すう。クダリさんが私の首筋で深く息を吸う。腰に腕を巻きつけて。あれ?逆、ですよ。それは私の役目でしょう。


「あの、あ、の、どうしちゃったんですかクダリさん」

「…おかしいかい?」

「いつもと、なんだか」

「いつもって何かな」


ぞくり

背筋を駆け上がった何かが私の全身を、思考を巡って痺れさせる。クダリさんの目がギラギラ、ああ、バトルの時の。

不意に下からかちかち音がして、クダリさんの目から視線をそらした。床、に、こちらを見上げる、赤い目。クダリさんの足にすりよる。


「…アイアントは僕の言うことをよく聞いてくれるんだ」

「え、」

「君は、自分がどこにトレーナーカードをしまってたのかも思い出せない?」

「 あ 」


財布の中のカードが、一枚だけ、落ちているなんてこと。あるの。そんなの。


「甘い、ね」


ぞわぞわ。それは、私の詰めがですか。それとも今舐めあげた首がですか。


「君の大好きだった『クダリさん』は、死んだよ。誠実で純粋で真面目な『クダリさん』。僕を見て、お願いだから、ねえ」


詰め寄るあなたの好戦的な潤んだ瞳と真っ赤な耳、どっちも愛した私は、クダリさん。どっちを信じればいいの。



きょきょじつじつ
嘘と真実を重ねて相手を自分の計略に陥れること。
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