騙された、と思った
パーティーも中盤にさしかかったようで、注文も少しずつ増えてきて一人でさばくのに限界を感じ始めたときに、その人たちは現れた
「ナマエさん、ですよね?」
「はい…あなたたちは?」
「このホテルのホテルバーのバーテンダーです」
「これからここに?」
「ええ、我々はこの時間から入るようにとのことでしたので」
「よかった、今きている注文はこれだけです。まだ忙しくなりそうなので」
「任せてください」
シックな制服にボータイのバーテンダー二人はカウンターの内側に入って、注文の山を二つにわけた
「あ、私もやります」
「え?聞いてないんですか?」
「?」
「ナマエさんはこの時間であがりですよ。あとは我々二人でまわしますから」
え?と疑問符をとばしたけれど、忙しく作業を始めた二人が答えてくれることはなくて、私は訳がわからないまま少し落ち込んでカウンターを出た
…名刺には、このパーティーの終わりの時間まで書いてあったのに
「ああ!ナマエさん違います」
「…?何がですか」
「あちらの方についていってください」
会場の大きな出入り口に向かって歩き出した私を引き止めたバーテンダーさんは、関係者入り口の前でこちらを向いてにこやかに立っているスーツの女性を指した
それきりまた作業に戻った彼に聞くこともできず、その女性に事情を聞きに行く
「ナマエ様ですね?」
「ええ…あの」
「こちらにどうぞ」
有無を言わさず関係者入り口からほの暗い廊下をどんどん進む彼女から、私は何も聞くことはできなかった
もう全くわからない
自分がどうして、こんなパーティー会場に、ドレスを着て放り出されたのか
女性に連れて行かれた先の部屋で、私はあっと言う間に制服を脱がされて寸法を測られてぴったりの濃紺のイブニングドレスに押し込まれた
何を聞いても抵抗しても『ボスの命令ですので』ボスなんて知らないし身ぐるみを剥がす強引な優しい手つきがやたらと怖かった
「お荷物とお着替えはこちらのお部屋でお預かりしております」
「…あの、これはどういうことですか」
「ナマエ様はパーティーにご出席ください」
「そんな…私聞いてないです」
「大丈夫です」
何も大丈夫なんかじゃない
こんなフォーマルな場に来ることなんてまずないし、何より私に関係のあるパーティーでないのだ
広い会場ではインゴさんをなかなか見つけられなくて、クダリさんはいたけれどさっきの女性とまだお話ししていたので話しかけなかった
そうしてふらふらと勝手もわからないまま漂って、たどり着いた窓際
高層ビルの上層だけあって、ライモンの美しい光が目下に瞬く素敵な夜景が臨めた
ぼうっと普段は自分が生きている夜の街を眺める
きっとインゴさんの企みだろう
クダリさんの言うとおり、こんなことになるならイエスと言わなければよかった
がやがやとした人の声を背に、小さくため息を吐く
「キミならこの夜景になんて言うタイトルをつけるのかな」
凛とした声、窓に映る白い影
「…思いつきませんよ、タイトルなんて」
「じゃ、無題だ。変わっていく灯りにタイトルなんてナンセンスかもね」
「……」
「あの灯り、一つ一つが夜の帳のもとで誰かを待つ道しるべなんだネ。キミを待つ灯りはどれかな。それともキミ自身が誰かを待つ灯りかな?だけどキミが待つ人は、キミにはたどり着けないかもしれない」
「どうしてですか?」
「キミは眩しすぎる、ナマエ」
エメットさんは私にクープグラスを差し出した
光の多いこの街では綺麗に見えない星空が、グラスの中で瞬いている
私は受け取って一口飲んだ
「それが女性を口説く時の台本ですか、エメットさん」
「ワオ!今日は手厳しいね」
「今はバーテンダーじゃないので。あなたの双子さんを探してるんです」
「インゴを?ナマエがこんなトコにいるのもそのせいかな」
「…ええ」
「怒らないで、レディ。最高にキレイだから」
エメットさんはキョロキョロとあたりを見渡した
「ついさっきまで口うるさいオジイサマに捕まってたんだけど…インゴに押し付けて逃げてきたんだ。見当たらないな」
「…そうですか」
どのみちパーティーが終われば確実に解放される
時計がないから時間がわからないけど、とにかく終わるまでの辛抱だ
「お世辞でも冗談でもなくキレイだよ、ナマエ。キミをずっとこの窓に預けるのは惜しいなァ」
「…勝手がわからないんです」
「エスコートするヨ。インゴも探すし。おいで?」
どうしていいかわからずにエメットさんの顔を見る
ニコリと邪気無く微笑まれて、私は壁から離れた
「お手をどうぞ、レディ」
「恥ずかしいからやめてください」
「アハハ」
空いている手でエメットさんの腕をとった
私をリードする所作は自然で、場慣れしているんだろうな、と思う
「…何飲んでるんですか、エメットさん」
「ン?コレね、黒ビール」
「貸してください」
「飲む?イイヨ」
フルートグラスに黒ビールなんて、お洒落で珍しい
エメットさんの白の礼服とのコントラストも惚れ惚れとする
受け取ったグラスの四分の一くらいの黒ビールに、自分の持っていたシャンパンを少し注いだ
「わ、何してるノ?」
「…ブラックベルベットです。本当は同時に注ぐんですが」
テーブルから拝借したティースプーンで軽く混ぜて、グラスをエメットさんに返す
私は残りのシャンパンを飲み干して、スプーンと一緒にボーイに持って行ってもらった
「…ありがとうございます、エメットさん。ご迷惑をかけてしまってすみません」
「んん?気にしないで、インゴならすぐに見つかるヨ。ボクとしてはずっとキミを連れてたいケドね…あ、コレおいしい」
「よかったです」
「ビールよりも華やかだし、シャンパンよりもなめらかで…ホントにベルベットみたい」
エメットさんはブラックベルベットを飲み干して、近くのウェイターにグラスを手渡した
「何か飲む?」
「私はもういいです」
「じゃあボクもいいや。キミのお酒ならまだ飲みたいけど」
「お店で待ってますね」
「したたかだなァ」
☆ブラック・ベルベット
フルートグラス(背の高いシャンパングラス)に黒ビールとシャンパンを同量同時に注ぐ
…シャンパンの珍しいカクテル。背の高いグラスに口径の異なる瓶から同時に直接同量の炭酸を注ぐのは非常に難しいため、実際は別々に注いで混ぜるのが一般的らしいです。舌触りがベルベットのように滑らかで華やかな香りのお酒。