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「ナマエ、ぼーっとしてないで、」
「あ、はい」

ぱっと顔を上げたナマエはいそいそと机の上の書類をかき集めて立ち上がった。もう書き終わっていたらしい。「庶務課に提出してきます」「ん、わかった」執務室を颯爽と出て行った。
最近少しぼんやりしている。どこか具合が悪いのだろうか。

…三年前、誰がこうなることを予想できただろう。少なくとも僕はこの結果に困惑している。
誰も寄せ付けようとしない、怯えたヨーテリーみたいな目をしていたナマエは、今では微かにだけどよく笑うようになった。

  おや、ナマエは?」

トレインから戻ってきたノボリが扉を開けてぐるりと執務室を見渡した。絶対に口には出さないけど、今ではノボリでさえナマエを気に入っているのだから何が起こるかわからない。





『どこの馬の骨かもわからない女を雇うことはできない』

それが委員会の出した結論だった。役人みたいな凝り固まった思考。わからないではないけど。
ナマエが真っ向からここに就職しようとしたって相手にもされないことは僕もわかっていた。僕はナマエだけにそうすることがちょっぴりずるいことだって知っていたけど、せめてナマエが他の人と同じステージで議論されるくらいにはしてあげたいと思った。
『実力がはっきりしない』僕はナマエにテストを受けさせた。『他より秀でた人材でなければ』ナマエの得意な分野のレポートを提出した。『経歴の浅い人物の人間性は疑わしい』これには、一瞬息が詰まった。人間性。ナマエは自分が生きるために倫理を犯した。今、彼女は何を思って生きているのだろう。後悔?反省?
それを考慮しなかったとしても、この三年ほどでナマエがどれだけ常識を手に入れたのか僕は知らなかった。人間性を知る、(それがたとえ表面的なものであっても、)そのために一番有効なのは実際に会うことだ。面接。僕はそれをどうしても決めかねていた。直接対面してしまっては、僕はフォローしきれない。ナマエは、大丈夫なのだろうか?

「クダリ、どうしてあなたはあの子にそうまで肩を入れるのですか」
「…ノボリ」
「わたくしにはわかりません」

そんなの、僕にもわからない。ノボリはうなだれる僕の向かいに座った。
ナマエはあのときただの非常識な少女で、僕にはナマエについて何の責任もなかった。

「あの子は、言い方を選ばなければ、ただの他人です。しかももっと始末の悪い」
「そういう言い方よくない」
「ええ、わかっております。すみません。しかし言わせてくださいまし」
「……」
「あの子は、わたくしたちの世界の住人ではありません。もとより相容れないものなのです」
「違う。ものを知らないだけ。同じ、何も変わらない」
「ものを知っていることがどれだけ見える世界を変えるのか、わからないクダリではないでしょう」
「じゃあ、知ることで同じ場所に来れる」
「クダリ…」

ノボリは悲しそうに目を伏せた。わかってる。ノボリは僕を心配してくれてる。立場が悪くなるんじゃないか、気持ちよく仕事できなくなるんじゃないか。優しいノボリ。自慢の兄さん。

「…実を言うとわたくし、嫌な予感がするのです。あの子の話になる度に。いつか、何かが起こります。クダリ、やはりわたくしたちの手に負える話ではありません」
「でも、ノボリの予感であの子の生き方を縛れない」


言って、はっと気づいた。
どうして僕がナマエがここに就職するのにここまで梃入れするのか。

『助けてほしい』
『バトルサブウェイで働きたい』

  それは、ナマエが自分を縛っている縄を自分で解こうともがいたからだ。もがいて、助けを求めて、手を貸した先のあまりに素直な喜びを僕は知っていた。だから。


「…ノボリ、面接しよ。ナマエの」
「面接、ですか。わたくしたちが?」
「人事課と委員会も呼んで。僕がするのはここまで、手を貸すだけ。僕は面接に口出ししない。それで気に入らなければ落としたらいい。僕もナマエも文句は言わないよ」

あのときも今回も、解くのはナマエ自身。ナマエに能力がないなら落とせばいい。彼女があれから変わってないなら落ちるだろうし、変わってるなら可能性はある。
ノボリは訝しげに僕を見つめて、ゆっくり頷いた。





「庶務課に行ったよ。書類提出」
「ああ、そうだったんですか。ちょっと聞きたいことがあったので」
「どうした?」
「いえ、大したことではありません。今日の挑戦者のポケモンの振り方について少し」

がたん、座って、パソコンの画面に向かって難しい顔。見てるのはバトルビデオ。ギギギアルの攻撃、受けて吹き飛んだポケモンを見てくい、とつばを下げた画面の中のノボリが、煙が晴れて相手のポケモンがまだ立ち上がっているのに気づいたときにどんな表情をしているのか、俯瞰する位置からでは全く見えないけど簡単に予想できた。うーん、今の一撃で倒れないのはおかしいと思うんだけど。

「珍しい、少なくとも特殊受けの振りじゃないね」
「ええおそらくは。まさかギガインパクトの受けを考えては振らないとは思うのですが」
「乱一?」
「でしょうか、それを聞こうと思いまして」

タイミングよくがちゃりとノブが回った。「ああナマエ、これなんですが…」早速呼び寄せるノボリ。「はい」ナマエは持っていた包みをローテーブルに置いて、ノボリのパソコンの画面を覗きこんだ。
かわいい包み。庶務課の先輩にでも貰ったんだろう。お菓子かな。幼くてちょっとボケてるナマエは就職して二か月、仕事を教わった子たちに妹のように可愛がられている。

「…なんですよ。ナマエはどう思いますか?」
「そうですね…」

ナマエはじっと射抜くように画面を見つめて、視線をそのままに口を開いた。

「スーパートレインではおそらくボスのところまではたどり着かないでしょう。これは確二ですが特定の受けを狙ったものではありません。振りはHPと防御に全振り。残りは攻撃です。防御特化型と言えますが、耐久と攻撃で不安定に揺れる戦法はその防御を活かしきるものではなく、荒く安直と言わざるを得ません」

ふむ、ノボリは画面に向き直った。

ナマエは庶務でも駅員でも清掃員でもバトル要員でもなく、秘書として雇われた。僕らの秘書。これは僕も予想外だった。

ナマエの秀でているポケモン学は、まさにバトルサブウェイにおあつらえむきのものだった。
特筆すべきは、ナマエがポケモンの能力値をほぼ言い当てられること。僕らも感覚的にわかったりダメージ計算して予想したりはするけど、ナマエのそれは精度が違った。ナマエ曰く、『感覚でわかるボスやぴったり当てられるジャッジさんの方がすごいです』。彼女は僕らのポケモンの技をくらった相手の挙動やデータ、戦法から、計算で能力値を見極めてるらしい。一度その計算の内容を聞いたことがあるけど、頭がずきずき痛くなった。ノボリはなるほど、って相槌を打っていたけど僕にはわからない。

サブウェイ管轄のポケモンの管理、挑戦者の分析、運行やその他諸々に関するちょっとした庶務がナマエの仕事。花形のバトル要員を望めばそうなれたと思うけど、ナマエはその誘いを辞退した、らしい。理由を聞いてももごもご口ごもるばかりで結局教えてくれなかった。

「なるほど、わかりました。これはそこまで流布している型ではないですね」
「はい。脅威ではありません」
「ありがとうございます」

ふわっ。ナマエは嬉しそうに、「はい」口元を緩める。ノボリはきっと気づいてない。だれかにその言葉を言われたときに、ナマエの心臓がどきどき、急いで鼓動を刻むこと。

ナマエは給湯室に入って、しばらくして2つ、マグカップを持ってきた。

「ノボリボス、ブラックでいいですか?」
「はい」
「クダリボス、お砂糖とミルク入れていいですか?」
「うん。ありがと、ナマエ」
「、はい」
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