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「ノボリさん、お願いがあるんです」


困ったように眉尻を下げてナマエ様は言いました。
ナマエ様の淹れた紅茶とわたくしの淹れたコーヒーを手にソファに横並びに座るわたくしとナマエ様。テレビではちょうどカミツレとナマエ様が共演なさった化粧品のCMが流れており、わたくしはすでに何度も見ているそれにちら、と目をやってからナマエ様を促した。

「ええ、なんなりと」
「えと…断ってくださいね」
「なんですか、それ」

ふふ、と笑うと余計に言い出しづらそうにナマエ様は逡巡する。明朗快活な彼女がこうまで言いよどむなど珍しい。

「貴女の願いであれば何でも頼まれますよ」
「っ…」

元、ナマエ様の部屋の改修工事が終わる兆しは未だありません。なかなか構造が頑丈だったため他の部屋にまで危害が及ばなかったことがまあ、幸いでした。窓が割れ壁が破られ燃やされて、もう全てを取り替えねばならないでしょう。我ながら少しやりすぎた。工事が終わったところで、今さらという気がしないではないですが。

「…きっとノボリさん、そういう風に言ってくれると思ったから嫌だったんです…」

ナマエ様はわたくしたちとの生活に、大分慣れ親しんだようでした。クダリははじめ驚きこそしたものの特に反対することもなく。「僕出て行こうか?」と何度か聞きましたが、ナマエ様が申し訳ない、自分が出て行くと言って聞かないため、クダリさえよければとわたくしやや強引に押し通したのでした。

「そこまで突拍子もないお話で?」
「はい、うー…」

しばらく視線をさまよわせて、


「…ノボリさん、モデルやりませんか」



確かに突拍子ない、予想だにしない提案に、わたくしみっともなく呆けていたに違いありません。

「も、モデルですか?わたくしが?」
「はい…ストーカーのこと、マネージャーに言ったんです。対応が甘かったって、謝ってもらって。で、私その時ついノボリさんに助けていただいたって…」
「はあ…」
「あっ、住まわせてもらってることは言ってないですけど!それで、仲良くなったなら対談か撮影の企画のアポイント取れないかって、言われまして」
「何と言いますか、商魂たくましい方ですね」
「すみません…」

ナマエ様は居づらそうにうつむいてしまわれました。
取材、広告、恥ずかしながら今までにも何度かお誘いいただいたことがあります。仕事の予定とすりあわせるのも面倒で、これといった露出をする必要もないかと丁重にお断りしてきたのですが…ふむ。

「いやしかし、このような仏頂面では撮影の邪魔になるでしょう。クダリの方が」
「そんなことっ、ない、です…」

ぱっと顔を上げたナマエ様がまたしおしおと視線を下げていく。ああ、これはいけませんね。

「…ナマエ様は、どうですか?」
「?」
「わたくしに引き受けて欲しいとお考えですか?」
「あ、あの…一度でいいから一緒にお仕事できたら素敵だなーとは、」
「ではやりましょう」
「えっ、いやでもノボリさんが嫌だったら断ります!そのつもりでしたし!」
「いえ、ナマエ様が望むことならば嫌ではありません」
「…そういうのって、ずるいです」
「ただ一つ、いや二つですね。条件がありますが」
「?」
「ああ、しかし貴女のマネージャー様に直接お話しします。打ち合わせの日時など後ほど連絡いただけますか?」
「は、はい!ありがとうございますノボリさん、すみません、無理を言ってしまって…」


こうしてわたくし撮影の仕事を引き受けることと相成りました。







「こちらに座っていただいて」
「はい」

もう何度か服を着替え、セットの間をせわしなく動いております。慣れない雰囲気に少々、疲れました。



打ち合わせでのマネージャー様の浮かれようといったら、わたくし少しばかりこの話を断ろうかと迷ったほどでした。

「まさかサブウェイマスターに本当に引き受けていただけるとは思ってませんでした!」
「は、はあ。ナマエ様の紹介でしたので」
「これ、私の名刺です!よろしくお願いします」
「こちらこそ」

そのような様子でしたので、こちらの要求は簡単に飲んでいただけました。



「ナマエちゃん視線こっちー!」
「いいね、今の表情もう一回!」

一つは、ナマエ様と同じ撮影、同じ企画にしてもらうことです。勝手のわからない現場で一人は流石に、と尻込みする気持ちもありましたし、何よりナマエ様がわたくしと一緒に仕事をしたいと望まれましたので。
同じスタジオにはいるものの、今はナマエ様とわたくしで別々に撮影しています。素人であるわたくしの疲れを察してか、わたくしの方はすこぶるゆっくりと写真を撮られます。できるだけ普段通りに、というお達しです。
対してナマエ様は何と言いますか、カメラが必死に彼女を追っているような、激しい撮影です。ばしばしという音とカメラマンの声が響く。ずっと続けているのに疲れを見せない。これは確かに、プロです。美しいだけではない。自分でやってみて初めて、その大変さに驚かされました。


「ノボリさん、少し視線を流してください」
「は、はい」

流す。カメラマンが穏やかに言う。流すってどういうことですか。椅子に座って文庫本を広げた体勢で考える。そちらに視線をやるということでいいんでしょうか。  ふと斜め前のカメラの方を見ると、カメラマンの後ろに、ナマエ様。

(前、向いたまま)

ナマエ様はとんとん、と目元を指し、薄く目を伏せました。ああ、なるほど  それはかなり、魅力的な表情ですね。

「OKでーす!」

伏し目がちに、顔は文庫本へ向けたまま、視線をカメラに。何度かフラッシュが瞬いて、どうやらあれでよかったようです。大きく息をつく。

「お疲れ様です、ノボリさん」
「いえ…ナマエ様こそ」
「今のすごくかっこよかったです!はい、これどうぞ」
「あ、ありがとうございます」

おいしいみずを手渡され、ありがたく受け取り喉を潤す。この方は意識せずにそういうことを言っているのでしょう。余計に喉が渇きます。

「少し休みますか?」
「いえ、わたくしは大丈夫ですよ」
「次、いよいよですよ」

二人で撮影です!

ナマエ様はわたくしの手を取って悪戯っぽい笑みを浮かべた。







「そんな面白いことやってるんだったら、私も誘って欲しかったわ」

カミツレが言う。インターフォンに向かってサングラスをはずして。かけていてもはずしても、誰かなんて見ればわかります。

「それはすみません」
「心がこもってないわね。早く入れてちょうだい」
「はいはい」

オートロックを解除する。呼び鈴が鳴り、立ち上がって玄関まで行った。

「いらっしゃいま、し」
「どーも、お邪魔します」
「ただいまです」

…鍵を開けるとカミツレの後ろにナマエ様。気がつきませんでした。

「おかえりなさいまし。言ってくだされば迎えに行きましたのに」
「カミツレさんが送ってくださったので…ありがとうございます」

今日は撮影で遅くなると連絡があったので、わたくしとクダリは先に帰ってきておりました。クダリは風呂に入っています。

「ああどうぞ。何か召し上がりますか?」
「そうね…お願いするわ」
「あっ、ノボリさん私がやります!」
「いえ、お疲れでしょう。すぐに準備いたしますから休んでいてくださいまし」
「うふふ、二人とも、新婚夫婦みたいね」
「しっ…!」
「カミツレさん!」

ナマエ様は顔を真っ赤にしてぱしぱしカミツレを叩きます。当のカミツレは全く気にせず、小憎たらしい笑みを浮かべておりますが。



「どんなに私が誘っても乗らなかったくせに」
「仕事の折り合いがつかなかったので」
「嘘をつきなさい嘘を」

フォークに上品にパスタを絡めて口に運びながら、カミツレはかなりわたくしが撮影を引き受けてこなかったことを責めてきました。ナマエ様は少し耳が赤いまま、困ったように笑っております。

「あたしはクダリを誘おうかしら」
「おや、あの子をその気にさせるのはかなり大変かと思いますが。面倒を嫌いますし。頑張ってくださいまし」
「他人事だと思って。折角お土産持ってきてあげたのにな?」

フォークを置いて、にやにやと笑いながら茶封筒を取り出す。そう、ちょうど雑誌の大きさの  

「…もうできあがったのですか」
「ええ。察しがいいのね?まだ発売はされてないわよ。はい」
「ナマエ様はもうご覧に?」
「あ、私もまだ見てなくって」
「では一緒に」

テーブルの向かい側に座るカミツレから封筒を手渡される。隣に座るナマエ様は手を止めて、椅子を少しこちらに寄せました。
紐を解き、中身を取り出す。

「っ…と、なかなか」
「わぁ…トップの特集だったんですね」

表紙にはナマエ様の写真とでかでか、『サブウェイマスター・ノボリの私生活に迫る!』の文字が。私生活に迫られた覚えはありませんが。ナマエ様の写真の右下に、大きく銘打ってあります。

「中身は…」

パラパラ薄い紙をめくる。と、割と前半に難なくそのページを見つけることができました。

「カップルじゃん」
「くっ、ダリ!」
「うん、僕クダリ。いらっしゃいカミツレ」
「お邪魔してるわ」

『愛されガールの1ヶ月着まわしテクニック!』ポップなテロップの周りには華々しい服たち、そしてその隣のページには、笑顔のナマエ様と向かい合うわたくしの、写真が…
クダリはタオルを肩にかけて、風呂から上がったようでした。ナマエ様とわたくしの間から雑誌を覗き込む。

「これとかすっごい」
「あら、私もそれ、気に入ってるのよ」

写真の中の自分を改めて見るというのはかなり、気恥ずかしいものがある。普段は着ないような服を着て。クダリは手を伸ばしてぱらぱら勝手にページをめくっていきます。ナマエ様と一緒に軽食をとっている写真、買い物をしている写真、待ち合わせしている写真…きらきらしたナマエ様の隣にわたくしが立っているのが、何だか不思議だ。

「うわ、やっばいね」
「あー、にじみ出てるわね」

いつの間にかカミツレまでこちら側に回り込んで雑誌を見ている。例の、視線を流した写真も使われておりました。

「やましいこと考えてる顔」
「どうせ視線の先にナマエがいたんでしょ」
「ぶっ!」
「えー図星?」
「もうからかうのはやめなさいあなた方!」

いやらしい笑みを浮かべて楽しむクダリとカミツレ  に気づいてか気づかずか、ナマエ様はのほほんとした様子で、

「やっぱりこの写真が一番かっこいいですよね」


「……」
「……」
「…カミツレ、もう遅いし僕送ってく」
「そうね、お願い」
「あっもう帰っちゃうんですか?」
「ええ、また誘ってね?」
「はい!」
「ノボリ、パスタごちそうさま。…がんばんなさいよ」
「…はい」
「雑誌、発売は来月の頭だから。仕事が忙しくなること覚悟しなさいな」
「えー僕とばっちり」
「そうだクダリ、あなたも撮影しましょうよ」
「面倒くさいからやー」

カミツレは嵐のごとく去っていきました。雑誌を残して。



「ノボリさん、改めて、わがままを聞いてくださってありがとうございました」
「いえ、わたくしもナマエ様とお仕事できて楽しかったですよ」
「私もです!」
「ふふ、近々また一緒に仕事できるかもしれませんね」
「?」

残ったパスタを口にするナマエ様。ええ、マネージャー様に出した二つ目の要求も快く引き受けていただけましたから、そう遠くない未来にナマエ様もギアステーションに訪れることになるでしょう。その時には彼女はオリジナルのコートを着ることになるのかもしれません。想像して少し幸せな気持ちになりました。



ピントを合わせて
歩み寄る二人

(い、1日駅長?ですか?)
(ノボリまた忙しくするつもりなの?!)


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