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「ちょっと、ナマエもっと速く走れないの?!」
「一応言うけど廊下は走ったらだ「いいから!もう5分も過ぎちゃってるわよ!」
「私を置いて行ってく「だーめっ!」


友人に腕を引かれ、半ば強引に連れて行かれる。正直に言わせて頂くと全く行きたくない。今日のメニューを思い浮かべるだけで家庭科室に向かう私の足取りは重くなった。

「あっほら!もういい匂いがするじゃない」
「うえっぷ…あの、何の嫌がらせですか」
「えーほんとにチョコだめなんだー」

嘘だと思われていたのか。人生の半分は損してるわね、と哀れみを持った目で見られたけど、君の人生の喜びの半分はチョコで構築されているのかい?と哀れみカウンターをくらわしてやった。どうだ。


私が調理部に入ったのは、将来の為に今から少しでも料理を身につけておきたい、という極めて真面目な理由であって、肉じゃがやら唐揚げやら、もっと実用的で尚且つおいしいものを作りに来ているのである。
決して何度も私を打ち負かしてきた、あの茶色い悪魔を拝む為ではない。だから、今日はサボるつもりだったのだ。しかしどうやらそうもいかないらしい。

「一人で行ってよ!」
「嫌よ!無理無理絶対無理!!ね、お願いだから一緒についてきて、ね?」


後で肉まん奢ってあげるから!と言われれば、もう私に断る理由など無い。

友人が毎度こんなにも部活に一人で行きたがらない理由は、一人で好きな人の前に行けないという、なんとも乙女らしいものであった。



調理部につい最近入った新入部員のせいで、調理部員は目下急増中である。家庭科室に入れる人数には限界があるため実のところ迷惑極まりないのだが。

一年生のユウキくんは、スポーツだって不得意でないはずだし、成績だってよろしいはずだ。そんな彼が選んだのは、調理部。なんだか可笑しくて、ついつい笑ってしまいそうになる。
私としては体格のいい高校生男子がエプロンを着てこぢんまりとまな板に向かう姿はなかなかに面白いと思うのだが、友人に言わせてみれば様になっていてかっこいいとのことだった。
(…様になっている、ということは認めるけど)
彼はもちろん料理だってそつなくこなした。


更に今日の活動はチョコレート作りである。彼に乙女らしさをみせるチャンスだと友人は張り切って私を引っ張っている。
まあ、肉まんが無料ならば私に何も文句は無い。
家庭科室に着くと調理は既に始まっていて、もわん、とむせるような甘い匂いが立ち込めていた。急いで手を洗ってエプロンを着ると、板チョコを細かく刻んでいるユウキくんのいるテーブルにつく。
調理部ではいつも何班かに分かれて調理をするのだが、今回たまたまユウキくんと同じ班になったことも友人がここまで必死になる理由のひとつだ。

「あ、ナマエ先輩お疲れ様です」
「うん、ごめんね遅れてー」
「はい、待ってましたよ。今から湯せんするところです」
「おっけー、今日は何チョコ?」
「あーっと…生チョコですね」
「はーい、じゃあ湯せんじゃなくて生クリームだね、火にかけとくね」
「わわっすみません、」
「んーん、大丈夫」

鍋を取って火にかけた。ユウキくんはトントンと一定のリズムでチョコを刻んでいる。
おいおい友人よ、顔を赤くしてぼーっと突っ立っているだけじゃ、乙女かもしれないが乙女らしさは伝わらないぞ。今ならユウキくんの方がよっぽど乙女らしい。

そして私はなぜ一生懸命チョコを作っているんだ。この部屋の中にいるだけで気持ち悪いのに、コンロの前に立ってこんなのかき混ぜてたらより気持ち悪い。



…やばい、気持ち悪い気持ち悪い考えてたらほんとに吐きそうにになってきた…


うー………うぷっ
開始15分、そろそろ私に限界がきたようですうふふふ!


私を挟んでユウキくんをガン見していた友人の肩をひっつかんでコンロの前に立たせた。

「え?は?ちょ、ちょっと?!ナマエ」
「うん、私ギブ。保健室にいるから。終わるまで待ってる」

持っていたヘラを押し付けて、家庭科室を飛び出した。あそこで吐かないくらいの常識は身につけているつもりだ。



保健室の扉を勢いよく開けてそのままベッドにダイブした。普段なら聞こえてくるはずの先生の怒声が無いから、今は誰もいないらしい。
消毒液臭い保健室の空気を深呼吸したら、大分気分がよくなってきた。

あと一時間もしたら終わるでしょう、それまでこの胃のむかつきと格闘しよう。







扉の開く音に気がついて体を起こした。まだ40分位しか経っていないのに、そう思って入り口を見ると予想外の人物が立っていて驚いた。


「大丈夫ですか?」
「えっと…ユウキくん?」
「はい、急に出て行っちゃったんで、気になって」
「大丈夫だよ、ちょっと気分悪くなっただけだし。もう治った」

ベッドの上に座り直して笑ってみせると、ユウキくんも八重歯を見せてにかっと笑った。
…くそ、これだからイケメンは困る。


「どう?うまくいった?」
「あ、はい。これです」
「?」
「まだちゃんと冷やせてないので、ちょっと柔らかいですけど」


ユウキくんはアルミの型からラップを外して縦横に切れ目の入ったチョコレートを見せた。


「味見お願いしていいですか?」
「………」

…嫌です。だめです。無理です。だってもうこの距離で匂いとかやばいもん。
でも、わざわざしゃがんで目線を合わせて、八の字に下がった眉とか困ったような目とか見せられたら、そんなことは言えるはずもない。君は子犬か。私にどうしろと言うんだ。
一向に答えない私を見て、ユウキくんは人差し指と親指で一切れチョコをつまんだ。


「…先輩に一番に食べて欲しくて」
「え?それ、どういう  
「隙あり」


しまった、と思ったときには遅かった。口を開けた瞬間押し込まれたそれは予想通り甘ったるくて、まだ少し柔らかくて、胃が全力で拒否している。
飲み込めないそれは舌の上で転がすしかない。

「どうですか?」
「……甘いです」
「でしょうね」

ユウキくんはまた楽しそうに笑って、親指についたチョコを舐めた。

「甘いですね」
「そうですねー」
「先輩、甘いもの嫌いですよね」
「…知ってたらなぜ食べさしたし」

…信じらんない。口の中でまだ持て余している塊と沸き上がってきた怒りの処理を私はどうすればいいのか。

「怒んないでくださいよ」
「…怒るでしょそりゃ」
「さっき言ったのは本当ですから」
「は?」


さっきって、どれのこと?

そう言おうとした口の中にまた塊が押し込められて言葉は飲み込まれた。

今度は、辛くてスースーする。


「ガムあげるから、許してください」


…そう言ってゆるりと笑うユウキくんを許してしまいそうになる私も相当甘いんじゃないかと思う。

「じゃあ、そろそろ俺戻りますね。あ、先輩  
「ん?」


ざらり。

唇をなぞる感覚がした。


少したってから、それが親指であることと、頬に手が添えられていることを理解した。

「チョコ、ついてましたよ」

ユウキくんは悪戯っぽく笑ってまた親指を舐めた。


彼が出て行ってから、意外と手が大きいんだなとかぼんやり考えていた。


口の中には最高に辛いガムと甘ったるいチョコレート。
噛みながら、思った。

ユウキくん、知ってますか?

ガムはチョコレートと一緒に食べるとどろどろに溶けちゃうんだよ。
溶けて、最後に残るのは



甘い甘いあなたの味だけ

「ナマエ、終わったよーってどうした?!顔真っ赤だよ、そんな具合悪い?!」
「…いや、大丈夫。チョコはどうだった?」
「あ、うん、それがね!うまくできたよ!えへへ、ほとんどユウキくんがやってくれたんだけどね〜やっぱりかっこいい〜!!」
「………うん、そだね」
「?何か言った?」
「いや、何も」
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