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ミカちゃんは受け付けの女の子。セミロングのブラウンが靡く彼女は、男ばかりのギアステの貴重な美人枠。更衣室で会ったときに、今はフリーなのだと公言していた。

カオリさんは私と同じ、バトル要員。だけど鉄道員ではなくてお嬢様だ。お菓子づくりが得意なのだとボスに言っているのを見たことがある。

ええと…ナツミちゃんは多分、バトルサブウェイの常連さん。スーパートレインにはまだまだ乗れないのだけれど、毎日毎日一生懸命挑戦を続けている。快活な女の子。



「でぇコレは、えーと…ヒトミチャン!」
「先日ダブルトレインの管轄に移動になった事務の子ですね。黒髪ロングの」
「多分そうそう!」


ボスは紙袋から色とりどりのラッピングを取り出しては、名前を言いながら机に並べていた。

書類の受け渡しに来たらこれだ。かれこれ十数分はこうして名前を読み上げるボスに付き合っている。
正直私も暇ではないのだけれど。今日は(甘い空気の)お二人様も、(修羅のような)お一人様もすべからく、バトルサブウェイの利用者がぐっと増えるのだ。私も本来はダブルトレインの担当なのだけど、これからマルチの欠員の補充に入って欲しいと頼まれたばかりだった。乗車前に少しだけでも書類を終わらせなければ、この聖なる日にただでさえ独り身であるのに、その上残業という二重苦が待ちかまえているのは火を見るより明らかだった。

これはいったい何の遊びなんだろう。そんな不満が沸いてもしかし、しっかりと社畜根性の染み付いた私には、はっきり上司をはねのけることなどできない。また読み上げられた名前に、私は曖昧に微笑みながら知っているだけの情報を付け加えた。

大体コレ、私が聞いて大丈夫なのだろうか?もちろん義理チョコの人だっているだろうけど、中には本命でボスに渡している真剣な人だっているはずだ。部外者の私なんかに知られたくないのではないか。

『キミ、このコ知ってる?』

から始まったこの不毛なやりとりは、恐らくパンパンの紙袋が空になるまで続くのだと思われる。

「えーっとォ、コレはミキチャン!」
「ミキちゃん…ミキ…すみません、私の知らない方だと思います」

ボスはオレンジ色の包装紙を、この十数分で軽く山ができるほど積み重なったチョコたちの頂点に置いた。何とかバランスを取っているその小山は、今にも崩れ落ちそうな危うさがあった。
私がわからないと言うと、どういうわけか気をよくしたらしいボスは嬉しそうににんまり口角を上げて、こちらに視線をよこした。

「ミキチャンはね、毎日通勤に地下鉄を使ってる、ヒウンで働いてる女のコだよ。いっつもスーツなんだけどね、今日はフリフリのスカート履いて、ダブルトレインのホームで立ってたんだァ」
「えっと…そう、ですか」

知ってるなら聞くな。全力で苛立った瞬間である。しかも割と詳細まで記憶している。自分の管轄でもない、一般車両の星の数ほどいる利用者の一人のことを。

「ナマエ、ここらへんの女のコのコト、詳しいんだネ」
「女性の絶対数が少ないですからね。ギアステでは」
「そっかァ」
「ボス、あの…そろそろ、」

おいとまさせていただけないでしょうか。さっきからずっと、スラックスのポケットに入れた受信機がぶるぶる震えている。きっとバトルトレインの乗り込みの呼び出しだ。申し訳なさと居心地の悪さで板挟みになって、何だかお腹が痛くなってきた。

ボスは立ち上がって、そわそわする私の方に歩いてきた。


「だぁーめ」
「えっうわっ」


ボスに抱えられていた紙袋は、どしゃっと音を立てて中身を吐き出した。あろうことか、ボスは紙袋を逆さまにして、デスクの上だけでは飽きたらず、床にまで山を築いたのだ。

「ちょ、ちょっとボス!いただきものでしょう?」

とっさにしゃがみこんで、可愛らしいラッピングの数々を拾い集める。私のじゃないのに。必死に這いつくばる私をもちろん手伝おうともしないボスは、必要以上に高い位置から私を見下ろしていた。

「それがネ、ユーコチャン」
「へ?」
「キミが手に持ってるの。それに、エリカチャンにアヤチャンにマリアチャン、それからハルカチャン」

延々名前を言い続けるボスに、私は呆気にとられていた。知っている名前もあれば、知らない名前も。ここにある分を(多分)全てボスが言い終えた時には、呆れを通り越してある種尊敬のようなものまで感じ始めた。

「ボス、よく一人一人覚えてますね」
「マァネー」
「ちゃんと知っている方なら、なおさらこうしてぞんざいに扱ったらダメですよ」

もとの紙袋にきれいに入れ直して、立ち上がってボスに手渡す。書類ごと。でもボスはそれを受け取らなかった。


「ねェキミ、ホントにボクの言いたいことがわかんナイの?」
「言いたいこと?」


自分がチョコをもらった女の子の名前を語るという営為を通して?…そんなの知るか、自慢だろ。


「すみません、ちょっと…解りかねます」
「フゥン…」


ボスはすぅ、と目を細めた。私は得体の知れない空気を纏ったこの上司が、あまり得意ではない。その笑顔の裏で何か黒々としたものが渦巻いているような気がして仕方なかった。それならまだもう一方のボスのように、常に不機嫌を体現していただいた方がましだ。


「キミのそういう鈍いトコも可愛くてスキだけどね、仕事以外でも上司のキモチ汲み取るの、ボクは大切だと思うなァ」
「ひ、え、あの」
「キミはダブルトレインの鉄道員、ボクはダブルトレインのボス。キミはいつもボクにお世話になってる。ネ、ナマエは頭イイ子だからもうわかるよね?」


ボスの形のいい唇が耳元に寄せられて、こすりつけるように言葉が吹き込まれた。驚いた拍子に持っていた書類も紙袋も盛大に床にまき散らしてしまった。


「ハッキリ言った方がイイ?」
「いっいえっ大丈夫です!わ、かりました、ので!」
「そ、イイコ!」


耳元でちゅ、とリップ音が聞こえて、耳たぶにくすぐったいような柔らかいような感覚が、遅れてやってきた。


「ご褒美の前払い!」
「ぼ、ボス!」
「うん、ナマエは照れてるカオが一番可愛い!…でもね、嫉妬も少し覚えた方がいいと思うヨ」


じゃ、ボクはトレイン乗ってくるけど、スグ戻ってくるからそれまでに片付けといてね!と、ボスは颯爽と部屋を出て行った。ウインクを残して。
誰もいなくなった執務室で、一枚一枚書類を拾い集める。呼び出しのコールはとうに止まってしまった。挑戦者が負けたのか、替わりの鉄道員が入ったのか。
言いたいことは山ほどある。照れてないし、セクハラだし。名前しか知らないような女の子とボスがどうなろうと私の知ったこっちゃないし。第一好きでもないボスへの他人からのチョコに、どう嫉妬しろと言うのだろうか。愛する者の愛情が他に向くのを恨み憎むこと。嫉妬。およそボスと私の関係では、悋気など持ちようがないのである。『ボス!何で私の知らない女からチョコ貰うんですか…!』とか言って欲しかったのだろうか。
そして何より、書類にサインをしてほしい。


それらの文句を全て出さずに飲み込む私は、きっと理想的で模範的な社畜。罰よりかはご褒美の方がいくらかましだろうと、すべてを拾い集めた後、ため息をひとつ吐いて備え付けのキッチンに立つ。
正直に言うと、ボスへのチョコレートは準備していなかったのだ。だってどうせたくさん貰えるでしょう。実際貰ってましたし。
しかし今からチョコレート作りなんて悠長なことは言ってられない。ミルクを沸かして、ココアを混ぜ入れた。

書類をデスクの上に。たくさんのチョコレートは全部一緒に紙袋に入れて、椅子に置いた。すぐに帰ってくると言っていたから、ココアが冷める前には戻ってくるだろう。『お疲れ様です』のメモを、ココアを淹れたマグを文鎮代わりに書き残して、執務室を後にした。律儀に待っていることもないし。



  その後、私が勝手にいなくなったのが気にくわなかったのか、“ご褒美”をあげるから、と笑顔でしつこく付きまとうボスにそれはそれは素敵で一方的なご褒美をいただき、ロンリーなバレンタインを非常に不本意にも翌朝まで回避できたのはまた別の話。


¶2013.バレンタイン企画「甘くない部下とエメット」
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