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「…今日はいつもより人が多いデスね」
「ああ、インゴさん、今日は祝日なんですよ」
「祝日?」
「ええ、成人の日です」


そういえば、研修のため日本に来て間もない彼はこの祝日を知っているはずもないだろう。やはり首を傾げたインゴさんに、私は簡単に説明する。

「1月の第二月曜日に、その年度に成人した人を励ます祝日です。成人式を執り行うんですよ」

自治体にもよりますけどね、と言ったときにはもう既に大分この話題への興味が削がれてしまったのか、インゴさんは持っていた書類に目を落としていた。

「集団誕生パーティーのようなものデスか」
「しゅ…まあ、そんなところですね」

それはなんとなく違う気がする。とは言えず。まあみんなすごい服装になったり必要以上にはっちゃけたりする点では、パーティーと言って遜色ないかもしれない。

「20歳、デスか…」
「何か思い出が?」
「イエ、特には。まだスクールに通っていたと思いマス。あの頃は若かったと思いましテ」
「今でも十分若いですよ!」

ええ、それはもう、お世辞でもなんでもなく。27歳、だったっけ。決して子どもではないけれど、ぴんぴん働くシワひとつない見目麗しいこの御方を大人と形容することはあっても、おじさんなどと呼んだならば私は間違いなく多方面から抹殺されるだろう。


「時にナマエは…」
「へ?」
「あー…レディに年齢を聞くのは失礼でしたカ?」
「ああ!いえ、ええと、丁度20歳ですね」
「…?その成人式とやらは、今日なのデショウ?」
「あはは、新人が仕事休んで行くものじゃないですよ」


実家に届いたハガキ、今日の日付と開催場所が書かれたそれは、部屋の隅にでも所在なさげに佇んでいることでしょう。いかんせん休みがない。それは鉄道員になった時点で覚悟はしていたし、上司がなかなかに仕事煩悩な方でほとんど休みを取らないものだから、部下でしかも新人の私がのうのうと休むのは気が引けた。もちろん多少は中学生の頃の同級生と会ってみたい気持ちも、人生で数えるほども着ないだろう晴れ着を着てみたい気持ちもなかったわけではないし、上司がそれを快く許してくれるだろう人格者であることも心得ていた。だからこそ、だ。だからこそ私は、この大好きな職場で胸をはって成人である自分自身に自信を持とうと思った。


「そうデスか…」


呟いて、何か考え込んでいるのかインゴさんはそれきり黙り込んでしまった。私も私で、邪魔をしないように自分の書類の処理に取りかかる。


「…コチラに来てクダサイ」
「? はい」


やおら顔を上げたインゴさんは、事務机に向かう私を来客用のソファの隣に呼び寄せた。

「コーヒーのおかわり淹れてきましょうか?」
「イエ、後でお願いしマス」


ぽんぽんと座面を叩く手に促されるまま腰掛けた。あれ、だけど、もしかしてこれ、めちゃくちゃ失礼なんじゃないか。いくら研修といっても、この方は目が飛び出る程目上の方なのだ。こうして日本に来る度なにかと私に気を掛けてくれてるのも、ひとえにインゴさんの人徳であって私はそれに甘んじるべきではない。


「す、すみませ」


謝罪の言葉を紡ごうとする唇にしかし、細長い指がそ、と添えられた。自然見開く目と細められた紺碧の瞳とがばっちりと合ってしまい、その気がなくても心臓がうるさく騒ぎ出す。顔がいい人がそういうことをするのは、ずるい。


「なんにでも謝るのは日本人の悪癖の一つですネ。特にナマエは」
「す、すみ、…あー…」
「フ…、左手を出してクダサイ」
「えっと、はい」


隣合わせに座りながら、上体だけ向かい合うように横を向いて。素直に差し出した私の左手を恭しくとると、インゴさんは自分の小指から抜き取ったリングを、私の中指に進めた。え。

「えっ、いや、あの…」
「サイズも問題ありませんネ」
「いやいやいや、問題ありますよ!急に、受け取れません」


インゴさんの小指にあって上品に振る舞っていた華奢なシルバーのリングは、私の中指に場所を移してなお、私の身の丈に合わない優雅で洗練された輝きを放っていた。嬉しいとか嬉しくないとか、サイズがどうとかそういう次元のお話ではない。文脈がおかしい。


「急ではありませんよ」
「急です!…こんなに大切なもの、受け取れません」
「20歳の誕生日に」


インゴさんは食い気味に私の不平を遮って話し始めた。


「20歳の誕生日に、大切な人からシルバーリングを受け取ると、幸せになれるそうデスよ」
「え?」
「知りませんでしたカ?」
「は、はい…」
「誕生日には間に合いませんでしたガ」


ナマエのその指で大切にしていただけるのならば、ワタクシも幸せデス


「真面目で誠実なナマエに、ワタクシからのささやかな成人式デス」

いつ何時も緩まないはずの鉄仮面が穏やかに微笑んでそう告げて、私はあっさりと陥落した。ただでさえそういう言葉に耐性がないのに、この人は自分がどんな顔をしているのか絶対にわかってやっているのだ。


「ありがとう、ございます…」


自分でも可笑しくなる程消え入るような声で言うと、目の前の彼は愉快そうにくつくつと笑った。鈍く光る金属が、先程までこの人のしなやかな指にずっとはめられていたのかと思うと、適度な締め付けが、なぜだか少し愛しい。


「コチラの指には」
「わっ」
「ナマエがもう少し、大人になってから」


す、と近づいた唇。さらさらと落ちる金糸が影をつくって、薬指の根元に音もなく柔らかい感触が落とされる。


「…あまりからかうのはよしてください」


さすが外人さん、スキンシップが過ぎる。私みたいなちょろい女にそういうことを簡単に言ってくれないでほしい。
彼の手の上に乗せられた私の左手、そんな私の目に見える範囲ですらじわじわと赤くなってきていて、ぼうっとするくらい熱い顔がどんなにか真っ赤になっているか、容易に想像できた。


「アナタは本当に  


がちゃり

背後で執務室のドアが開く音がして、インゴさんも私も同時にぱっとそちらを見た。今まで二人きりだったけれど、ここは当たり前に上司も使うスペースなのだと思い出して、羞恥が溢れ出す。されるがままに彼の大きな手に乗せられていた左手を慌てて引いた。インゴさんは、私の聞き間違いでなければ、見たことのない史上最高に凶悪な顔でチッ、と舌打ちをした。
私たちを見て目を丸くして立ち尽くすクダリボス。ダブルトレインでのバトルを終えて意気揚々と帰ってきたのだろう。恥ずかしいやら申し訳ないやらでいたたまれなくなってうつむいた。


「なっ、ちょっと、うちのナマエに何してるの?!わー!!ノボリ!ノボリ!!大変、インゴがナマエ口説いてる!」
「Shut your mouth...ウルサいですよクダリ」
「なんですって?!」


にわかににぎやかになった執務室に、ほっと安心する反面、ちょっと残念な気もして、それを振り払うように首を振った。
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