『ナマエはまだポケモン、持ってないの?』
『うん…』
『じゃ、僕と一緒に、捕まえに行こ!』
◇
「ナマエはなぜサブウェイに挑戦しないのですか?」
わたくしずっと気になっていたのですが、
そう隣を歩く幼なじみに問いかけられて、懐かしい思い出がふと頭に浮かんだ
特に示し合わせた訳ではないのだけれど、家が近くて、出勤の時間帯が重なるという理由で、黒い彼とはなんとなく駅までの道のりをともにすることがある
「あれ、前も言わなかったっけ?私ポケモン一匹も持ってないの、それだけだよ」
「しかし、今は幼稚園児ですらポケモンを持ってバトルをするのですよ?一匹くらいはいないと、些か不便なのでは?」
「うーん…そうだねえ…」
実際にポケモンがいないのはいろいろ面倒だ
バトル狂がはびこるこの街ではトレーナーと間違えられて勝負をふっかけられることなんてしょっちゅうだし、鳥ポケモンを通勤に使ったりもできない、トレーナーじゃないから、ポケモンセンターなんかも利用できない
「…確かに、ちょっと困ることはあるなー」
「ならば、わたくしのヒトモシをお譲りいたしますから、育ててみてはいかがですか?」
「あ、いや、いいよ、ありがとう、でも私はポケモンはいらないの」
「…?なぜです?ヒトモシはお嫌いでしたか?」
「そうじゃないよ、嬉しいんだけど、えーと…」
「…いや、いらないというのであればそれはいいのですが…ナマエがサブウェイに来ればクダリも喜びますのに」
久しぶりに聞く名前に、つきりと胸が痛んだ
クダリ、元気かなあ…
◇
『見て見てナマエ!ほら!』
『ん?わああ、かわいい!ふわふわもふもふー!』
『えへへ、でしょー?さわってみる?』
『いいの?わーい!おいでおいで、えっと…』
『ばちゅる!』
『ばちゅるくん!』
まだ小さな手のひらにも収まってしまうそれは、ぱちぱちと電気を散らしながら青い目でうるうると見上げてきた
『かわいいなあ…いいなー』
『ナマエはまだポケモン、持ってないの?』
『うん…』
『じゃ、僕と一緒に、捕まえに行こ!』
『!』
『こっそり行けばばれないよ、僕が迎えに行くから、待ってて!』
『うん!』
あの頃はまだポケモンを持ってる子の方が少なくて、クダリは親に貰ったその日に意気揚々と私に教えにきた
だから彼は私に『まだ』なんて言える立場じゃなかったのだけれど、そんなこと気にならないくらい幼い私にとってポケモンは憧れの存在だったんだ
『ナマエ、行こ!』
『クダリ!』
『んとね、ボール持ってきた』
『わあ、モンスターボールだ…!』
まだ明るい時間帯、玄関の外で待ってた私を迎えにきたクダリの右手には赤と白のボールが握られていて、頭の上にはバチュルが乗っかっていた
空いている左手を差し出され、その上に私の右手を重ねれば、彼は嬉しそうに笑って私の半歩ほど前を歩き始めた
親にも何も言わずに出てきた、自分が少し大人になったみたいで、すごくわくわくしていたのを覚えている
『あ、クダリ!あっち見て!なんか通ったの!』
『ナマエ、あんまり遠くに行っちゃだめ』
『見たいの!あの子がいーいー!』
『もー…』
入って行ったのはうっそうとした街のはずれの森の中
虫ポケモンが飛び交っている
時折飛び出してくるチラーミィを私は夢中で追いかけた
『クダリも来て!かわいいの!』
『うん、かわいいね』
かける私の少し後ろをクダリが付いてくる
にこにこ、にこにこ
クダリの笑顔は昔から大好きだった
『今度はあっちに行く―!』
『ちょっと待ってよー!』
『わっ』
『ナマエ?!』
でも、二人きりの空間で、幼い私がそうしてきゃいきゃいとはしゃいでいられるのも時間の問題だった
『…痛いよう』
入り組んだ木の根にでもひっかけたのか、盛大に転んだ私の膝からはどろどろと血が流れていた
『…うっ、うー…』
『…ナマエ、痛かったね、こっちおいで』
泣くのをこらえた私は急に頼もしくなったクダリの背中にいわれるままにおぶさった
重いだろうに、まだ小さな背中に遠慮なくもたれて、私は規則的に揺れるその背中の温かさをどこか心強く感じていた
『お家に帰ろうか』
『でも、ポケモン…』
『ポケモンよりも、ナマエの方が大事』
『でもぉ…』
突然、背中から地面の葉っぱの上に降ろされる
温かい背中が遠ざかってどうしようもなく不安になる私のところに、しばらくしてからクダリが戻ってきた
『ナマエ、』
『くだり』
『ナマエがポケモン持ってなくても、僕がずっと守ってあげる』
だから、ポケモンいらないでしょ?
『ナマエ、』
『…』
『将来、僕と結婚しよう』
そう言って左手の薬指に通された指輪に乗っていたシロツメクサはその時の私にはどんな宝石より輝いてみえた
◇
…今思えば、ずいぶんませた子供だな、とか、涙を目いっぱいに溜めた私をなだめようととっさにあんなことしてくれたんだな、とか笑えるような話なんだけど、当時の私には効果てきめんでげんきんなことにそれから家にかえってクダリと二人で怒られるまで、にこにこと笑っていたのを覚えている
今では私はしがないOL、クダリは雑誌に特集されるような有名人
<大人気!サブウェイマスターの素顔に迫る>と表紙にかかれた本を手に取りながら寂しくなる
サブウェイマスターなんて、ポケモンを持っていない私にしてみればもっとも縁のない人で、でも忙しいのだろう、朝にたまに会うノボリと違ってクダリとはなかなか会うこともない
…明日、ノボリからヒトモシを貰おう
私はもう夢みる少女ではいられない
きっとクダリは忘れているから、そんなの心のどこかで待っているなんて馬鹿げた話だ
そう思いながら、仕事を終えて帰路についた
*
「…最悪」
…考え事をしながら歩くもんじゃないな
家まであともう少しのところで足がもつれて盛大に転んだ
誰にともなく小さな声で悪態をつく
「タイツ破れてるし…」
ついでに痛々しく血も流れてるしヒールも折れてる
自嘲気味に笑って独り言のように呟く
むしゃくしゃする、何をやってもうまくいかない
自分への苛立ちと一緒にやり場のない不安と寂しさもこみ上げてきて、私の目には人目もはばからず涙がこみ上げてきた
「…っう、うー……」
「……ナマエ、痛かったね、こっちおいで」
かつ、かつと近づく革靴の音
懐かしい、声
…顔を上げれば、優しげな笑み
驚きと、安心と、恥ずかしさと、嬉しさがないまぜになってこみ上げる
「ナマエ」
「く、だり?」
ついにぼろぼろと泣き出した私にクダリは目に見えて焦りだした
「ナマエ、泣かないで」
「くだり、くだりぃ」
ごしごしと強く私の目尻をこする手は、小さい頃と違って男の人のそれになっていたけど、やっぱりクダリので、よかった、幻覚じゃない
久しぶりだなあ
私が泣きやむように、ぽんぽんと優しく背中をさする
「ナマエ、」
「…」
「待たせてごめんね」
「…」
「…痛くても、つらくても、苦しくても僕が、ずっと守ってあげる」
「…」
「君を、幸せにします」
僕と結婚しよう
そういって指に通されたそれはあの頃と同じように輝いていた
君がお嫁さんになった日
(クダリ、忘れたのかと思ってた…)
(そんなわけない!…ナマエを守れるくらい、すっごく強くなって、そんでお給料三か月分の指輪買ってからー、ってしてたら、遅くなっちゃったけど)
(…ちょっと待って、それ具体的にいくら?)
(ナマエ、ムードぶち壊し!)
(私もお返ししたいのに、そんな高いの無理だよ!)
(いいよ、一緒に住んで、僕のご飯作ってくれたら)
(…)
おぶさった背中は昔と比べものにならないくらい広くて頼もしかった
¶はぐるま様・10000hit企画「幼馴染と▽の結婚」