「うっ、ひ、ぐ、うぇ」
泣きたい訳じゃなかったの。泣いたって迷惑をかけるだけだもの。
そう声に出して言いたい。言って、思いっきり突き放したいのに。私の体は私よりも兄さんの言うことの方をよく聞くのだ。差しのべられた腕の中にあさましくもすがって包まれて、背中をぽんぽんとあやすように撫でられれば、言葉は嗚咽の中に消えて涙の堰は決壊した。
「うぅ、ん、っぇく」
「落ち着きなさい」
耳元に口を寄せられて、頭の中に響くような低い声で囁かれる。
フローリングに直接腰をおろした兄さんの両足の間に体を預けて、ワイシャツの胸元にしがみつくような格好で私は泣き続けた。兄さんは私の頭をひとなでして、胸に押しつけた。
だめ、これは仕事用のワイシャツなのに。申し訳程度に手を突っ張るけど、兄さんの優しい手はそれを許してはくれない。背中と頭に添えられた手が、私の手に重ねられて、やんわりとシャツから引きはがされる。そうして腰に回すように促されて、結局は兄さんのシャツを汚すことになる。
「ふ、っぅ、ご、めなさっ」
「何がですか」
「にぃさっに、め、わくかけっ」
外にはしとしとと刺すように冷たい雨が降っている。朝は晴れていたのに。傘なんて持って行ってなかったから、私は雨の中を職場から歩いていた。そうしていたかった。その方が、こぼれ落ちそうな涙を耐えられた。
『何をしているのですか』
少し怒気を孕んだ声がして、頬を冷やしていた雨が突然やんだ。
そこからは、早くてよくわからない。兄さんに肩を抱き寄せられて、強引に兄さんの家に連れて行かれて、ふわふわのタオルでわしわし拭かれた。
『風邪をひいてしまうでしょう』
『傘、忘れちゃって。ありがとう兄さん。傘借りてってもいい?』
『お待ちなさい』
『泣いてもいいのですよ』
「兄が、かわいい妹が泣いているのを迷惑だと思うと思っているのですか」
「だって、だってぇ」
「はい」
「だって、っぅえく」
「はい」
「ぅああ、ふっ、ん」
ぽんぽん、また一定のリズムが刻まれる。
「ナマエはがんばりやさんですね」
「そ、なことなっ」
「つらいのを、泣きたいのを耐えていたんでしょう」
「ん、っうえっ」
「兄がついていますから」
額にひとつ、キスが落とされて、兄さんの顔を見上げれば、兄さんは微笑んでいた。
もうひとつ、頬にキスをする。兄さんの笑顔が、少し、ほんの少しだけ怖いと思った。