「寝るなら教室から出て行ってくださっても構わないのですよ」
「んあっ!ちょ、先生、広辞苑の角は攻撃力が高すぎる…!」
「先生に向ってちょ、とはなんですか」
「うー…」
「言うことは」
「…すみません、でしたー」
「語尾は延ばさなくてよろしい」
満足げに、どこか勝ち誇った顔で一番前の端っこに座ってる私の机の前から黒板の前に移動するノボリ先生
クラスからはくすくす、なんて笑い声があがって、一番前の席で筆箱を枕に爆睡する私もそりゃ、悪いけど、ちょっとひどいよ先生
恨めしげに睨めば視線に気付いたのか、先生はまたすう、と目を細めた
「この助動詞は文脈から考えると、適当の意味で捉えるとよいでしょう、ですから 」
げ、やばい
先生が私の反対の席の方から教室を回り始めた
教科書を片手に、ゆっくり机と机の間を歩く
ああして、ひとりひとりノートをチェックしているのだ
予習もしてない私のノートはまぶしいくらいに白い
それを隠すために置いていた枕兼筆箱をよけて、急いで黒板を写し始めた
広辞苑は、みんなが思っているより凶器に近い存在なんだ、これ以上くらうとますます頭が悪くなってしまう
ええと、桐壷の更衣が、他の女官の、嫉妬を買って…
かつ、かつ、と着実に近づいてくる小気味いい音に内心びくびくしながら黒板に整然と並ぶ綺麗な文字を汚い文字に変換して書き写す
…しかし、天皇の、愛のみを、頼りにして、会いに…
「おや、」
靴音は私の真横で止まって、背の高いノボリ先生が、わざわざ膝を折ってかがむようにまだ全然写し終わっていない私のノートを覗き込む
あーあ、間に合わなかったなあ
「…ここの訳が間違っておりますね、寝ていて聞いていなかったのでしょう」
私のシャーペンを取り上げて、黒板と同じ、綺麗な文字を私のノートに並べる先生
「…いいですか」
そう言ってまた黒板に戻っていく
…いいですか、なんてずるい
『シチュー』
先生が書きこんでる間もああ、今日もノボリ先生はいい匂いだななんて考えてた私も、広辞苑で殴られる前から相当頭がやられてると思うけど、ノボリ先生も大概頭がおかしいと思う
先生の背中を見つめながら、帰りににんじんと鶏肉を買ってこなくちゃなあ、と思った
窓際の逢瀬
この背徳感がたまらないの