車の影から抜け出し、ポンペイ遺跡へと向かう。
向かえばどうやら既にフーゴはイルーゾォによって鏡の中に引きずり込まれたあとだったらしい。
残されたジョルノとアバッキオが困惑した表情で立ち尽くしているのを、ホルマジオのスタンドによって体が小さくなったリオンは柱の影から眺めていた。

「……これから、どうするつもりなんだ?」

同じようにスタンドで自身の体を小さくしたホルマジオがリオに問いかける。少女はガスマスクの向こう側で目を細めながら、さらさらと小さなメモに"言葉"を綴る。
"イルーゾォを助ける"
彼女のそんな言葉にホルマジオは「だったら今すぐにでも飛び出して手助けすればいいのでは?」と首を傾げた。
わざわざ隠れる必要などどこにもありはしないはずだと、彼は思う。そしてそれを彼は口にしてみる。
しかし少女は首を縦に振らなかった。ただひたすらに首を横に振り、そして"時が来るまで待つ"と綴るだけである。
そんなやりとりを暫く繰り返した後、ホルマジオは「これだけ頑なに断るのには、何か理由があるのだろう」という結論を出し(所謂一種の諦めという奴だ)、少女の言う"時が来る"のを待つことにした。

彼ら二人の視線の先では鏡の裏側を念入りに確認するジョルノに向かってアバッキオが何やら声をかけている。そしてそんなジョルノのすぐ後ろには、パープル・ヘイズが座り込んでいた。

「あれは…」
"フーゴのスタンド…パープル・ヘイズ。"
「強いのか?」
"強いが、フーゴ自身操りきれてないから一概に強いとはいえない。"

私たちも離れた少し離れたほうがいい、そう綴るや否や少女は後退する。その視線の先で、同じようにアバッキオとジョルノがパープル・ヘイズから距離をとっていた。
そしてパープル・ヘイズが宙に向かって拳を振り上げる。だがその先に、敵は見えない。
そうかと思えばスタンドは方向を変えて、岩壁を殴りだす。拳が当たった岩は砕け、ガラガラと大小さまざまな欠片になって落下した。
しかし、やはりその先に敵らしい影は見当たらない。
その代わり――スタンドの真上を飛んでいたカラスが一羽、地面に落ちた。
落ちたカラスは苦しげな鳴き声を上げながら血や溶けかけた内臓を吐き出し、そしてプスプスと音を立てて溶けていく。
"殺人ウイルスだ"とリオは綴ったメモをホルマジオに見せる。これがまさに―――パープル・ヘイズの能力であった。






もう良いだろう、とホルマジオに向かってリオは"言った"。
その言葉に彼女が言う"時"とやら来たのだと判断したホルマジオは自身と彼女に使っていたスタンド能力を解いて、身体の大きさを本来のものへと戻す。
同時にリオはガスマスクを外す。短くなった黒髪が風に僅かに揺れた。

顔を上げれば聞き覚えのある声が二人の耳に届く。苦しげなその声を辿ってみれば、実に3年ぶりに見る"仲間"の姿がリオの視界に飛び込んでくる。
彼女の視線の先で。左手首から大量の血を地面に零し、額に汗を浮かばせなた男が掴んだ勝利を喜んでいた。

「よぉ、イルーゾォ。」

始めに声をかけたのはホルマジオだった。
出血した左手首を抑えるイルーゾォは仲間の声にホッとしたかのような表情を浮かべて顔を上げ、そしてホルマジオの隣に立つ彼女の姿に目を見開かせることとなる。

何故、と口が動いた。
問われた少女は、僅かに微笑みを浮かべた。

そして彼の視界は瞬時にして闇に包まれる。一体何が起こったのだと認識するよりも先に、闇の間から現れた少女が小さなメモをイルーゾォに見せてくる。

綴られた文字は―――"スタンドを解除して"。

わけがわからない、とイルーゾォは思わず眉を顰めた。彼女の意図が読み取れなかったのだ。
そもそも、問いかけたいことは沢山あった。
何故生きているのか、何故今まで消えていたのか、何故筆談なのか…上げればきりがないほど浮かんでくる"何故"を頭の中で並べながら、イルーゾォはとりあえず「何故スタンドを解除しなくてはいけないのか?」ということを問いかけてみることにした。
答えは、少女ではなく傍にいた仲間から返ってきた。

「お前のためだ。」

いいからさっさと解除しな、とそんな言葉に流されてイルーゾォはスタンドを解除する。
この闇が一体どこなのか検討はつかないが、ポンペイ遺跡にいた奴等は鏡の中から抜け出した頃だろうと、ぼんやりと頭の中でそんなことを彼は思った。






スタンドが解除されたような感覚がしてフーゴは腕時計の文字盤と傍にあったゴミ箱の文字を凝視する。
カチコチと音を立てて秒針が動く。その動きはなんの変哲もないただの時計そのもの。ゴミ箱の文字も、真反対ではなく通常に戻っている。
鏡の世界から出られたのか、そう認識するや否や彼は「やったぞ」と叫んだ。――と、同時に聡明なフーゴは異変に気がつく。どこかおかしい。何かが妙だった。

「死体が無い…?」

違和感の正体は存外にもすぐに分かった。
パープル・ヘイズのウイルスは感染した生物の身体を蝕み、最後はどろどろに溶かしてしまう。だから――普段だったら、死体が消失していることなんて気にも留めなかった。
だが、今回は違う。

あくまで、ウイルスが溶かすのは肉体のみ。
本来なら溶けて消えてしまった肉体の持ち主の物―例えば衣服や装飾品だ―が少しは残るはず。しかし、それが何処にも見当たらないのだ。
彼のスタンドであるパープル・ヘイズの拳に存在するカプセルも減っていない。

「……逃げた?」

思わずそんな言葉が浮かんだ。だがそれも違うのだということにフーゴはすぐに気がつく。
敵である男は手首を失っていた。それなら大量の出血痕が少なからず残るはず。
だが、それすらない。まるで――神隠しにでもあったかのように、足音も、血の痕も、何も残さずに男は消えたのだ。

わけが、わからなかった。



(わけがわからない。そう小さく呟いた少年の足元で、)
(影が、静かに微笑んだ。)




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