聞こえますか、大好きだよ
とにかく不愉快極まりなかった。近くの椅子に座っているその少女にオレの読書の時間は、先程から悉く邪魔されている。ただでさえ苛立っているオレを煽るかのように彼女は話し掛けた。
「おっちゃん、謝らんでええの?」
言いながら、エルマーナは運んできた荷物から大きな箱を取り出す。そして、箱の蓋を開けて口いっぱいにクッキーを頬張った。
それは、後でアンジュさんに怒られないのだろうか。
そう考えたけれど口にはしない。面倒だから。
本来なら部屋で一人静かに本でも読みたい気分だったのだ。しかし、生憎今日は宿の空き部屋が少なかったため、女子部屋と男子部屋の二つしか取れていなかった。そして不幸にも男子部屋の鍵はリカルドさんが預かっていた。
残念ながらアンジュさんに連れ回されている彼が帰ってくるにはまだ時間がかかるだろう。これは朝の時点でリカルドさんから鍵を譲り受けなかったオレのミスだ。
「コンウェイのおっちゃんってば」
もはや無視を決め込んだオレは本を読み続ける。ゆさゆさと腕を揺らされるがそれでも目線すらよこさない。
これならもういっそ外に出かけたほうが良いかもしれない。だが、ナマエと入れ違いになるという可能性を考えると外出は躊躇された。
…もう少し経って帰って来ないようなら、探しに出掛けようか。
「…コンウェイのお姉ちゃん」
ぼそりと聞こえたその言葉に即座に立ち上がったオレはエルマーナの頬をつねりあげる。痛い痛いと喚きながら、彼女はオレの手を掴んだ。それを見て抵抗する気だと気付いたオレは、容赦無くもう片方の頬もつまんでやる。
「いててて。堪忍なコンウェイのお兄ちゃん!」
「悪いことをした時は言うことがあるだろう」
「ごめんなさい」
案外素直に謝ったので、手を離した。エルマーナは眉を下げて赤く腫れた頬に手を伸ばす。
「ホンマ痛かったわ…じんじんする」
「なら、もう二度と口にしないことだね」
オレのその言葉にエルマーナはイテテと呟いただけで何も返さなかった。それに苛ついたオレは追い討ちの言葉を掛ける。
「ご希望とあらば、もう何も話せないようにしてあげようか」
「もう二度と言わんから、つねらんといて!」
瞬時に返ってきたその言葉に満足して再び椅子に腰掛ける。そもそも何故皆オレを女性と間違えるのかが理解出来ない。確かに細身の部類ではあるけれど、身長だって低い方ではないし声だって歴とした男の声だ。
「コンウェイは全然女の人に似てないよ。だって、可愛いとかいうより…」
ふと、彼女に言われた一言が頭に蘇った。そう、ナマエはいつもそう言っていたのだ。
再びやってきた苛立ちと罪悪感で複雑な気持ちになり、冷めた紅茶を淹れなおそうと立ち上がる。すると、エルマーナが心配そうに問いかけた。
「なぁ、喧嘩したままでええの?」
「…だから別に喧嘩してるわけじゃないよ」
彼女の言葉にもう何度目かの言葉を返す。
出涸らしは嫌いだから、新しい茶葉を用意した。スプーンで慎重に瓶から掬い出しながら、そういえば先程はナマエが淹れてくれのだったなと思い出す。
「ウチ、ナマエ姉ちゃんが泣いてるの嫌や」
悲しげな呟きに目を向ければ、エルマーナは落ち込んだ様に俯いていた。少女のそんな姿に少し自分が大人気なく感じる。
視線を手元に戻して、沸かせた湯を注ぐ。
湯気に包まれてふわりとアールグレイの香りが広がった。
「…ナマエが帰ってきたら、後でちゃんと話すつもりだよ」
ぽつりとそう言えばエルマーナはぱっと顔を上げて、ほんま?と何度も言い寄ってくる。湯を零さないように気をつけながら、彼女に笑顔を向ける。
「だから、そんなに心配しなくても大丈夫さ」
「…約束やで?」
一体何の約束だと内心呆れつつもオレは頷く。
すると、漸く安心したのかエルマーナはまたいつもの笑顔になった。


淹れ直した紅茶が半分を下回った頃。
玄関口の方から話し声が聞こえてきてそちらを向いた。イリアさん達が帰ってきたのだろうか。まだ日は十分に高いはずだが。
「ただいま帰りました」
上機嫌な声と共にロビーに現れたのは、意外な人物だった。楽しかったーと笑うアンジュさんの後ろから、よろよろと荷物を抱えて歩くリカルドさんが続く。その荷物の量にぎょっとした。エルマーナが持っていた量の倍はあるのではないだろうか。きっとあの荷物の中身も殆どが食べ物なのだろうな、と思案して苦笑が浮かぶ。横に居るエルマーナをちらりと見れば、彼女も同じ表情をしていた。
「アンジュ姉ちゃんおかえり。荷物はそこに置いてあるで」
「ああエル。ありがとう、重かったでしょう?」
「ウチがあれくらい持たんとリカルドのおっちゃんが死んでしまうやん」
「あら平気よ。男の人は丈夫なんだから」
一体何の根拠を持ってそう言っているのだろう。アンジュさんは微笑んで諭すように言うがエルマーナは曖昧に笑って誤魔化していた。
「それにしても、随分早かったね」
エルマーナへの助け舟も含めてそう切り出す。彼女がそんなことに気付く筈も無いけれど、エルマーナもその話題に便乗した。
「せやで、まだまだ買い足りない言うてたやん」
「ええ、もう満足したから。それに…」
アンジュさんは何故かそこで一旦言葉を区切り、視線をこちらによこす。そして意味深に笑みを浮かべた。…なんだか嫌な予感がする。
「それに…なんや?」
首を傾げたエルマーナがそう問うと、アンジュさんは再び彼女の方を向いた。
そして、笑顔で言い切った。
「リカルドさんも疲れたみたいだったから」
「おいアンジュ」
今迄無言を貫いていたリカルドさんが黙ってはいられないと言わんばかりに口を挟む。会話が進んでいく中、オレは急いで読みかけの本を閉じて立ち上がる。先程のアンジュさんの笑顔は間違いなく何かを企んでいるようなものだった。被害が及ぶ前にこの場を離れなければ。
「リカルドさん、帰ってきたばかりで申し訳ないけど部屋の鍵を貸してくれないかな」
オレの言葉に、エルマーナと話をしていたアンジュさんが此方に視線を向けたのを視界の端で捉えた。
第六感が告げている、早くここを去れと。
ポケットから鍵を取り出したリカルドさんがそれをオレの掌に乗せた。
「ところでコンウェイさん、ナマエはどうしたんですか?」
「さぁ、外に出掛けたんじゃないかな」
アンジュさんの問いに素知らぬふりをして当たり障りの無い言葉を返す。会話を終わらせたオレはリカルドさんに礼を告げそのまま足を進めた。が、
「あんな、コンウェイのおっちゃんとナマエ姉ちゃん喧嘩しとるんやて」
後ろで聞こえたその言葉に思わず頭を抱えそうになった。余計なことを。
このメンバーはどうもお節介な人が多いというのに。
「そうだったの」
「なるほどな」
エルマーナの言葉に対してのアンジュさんとリカルドさんの反応にふと疑問を抱く。まるでオレとナマエが何かあったと知っていたような口ぶりだ。振り向けば二人は合点が行ったように仕切りに頷いていた。…まさか。
「あ、でも平気やで。仲直りするってコンウェイのおっちゃん約束してくれたし」
「あらあら」
「ほう」
どこかニヤニヤとした笑みを浮かべて此方を見たアンジュさんとリカルドさんにオレの疑惑は確信へと変わった。
この二人は町でナマエに会っている。オレとの事を聞いたのかどうかまではわからないが、とにかくこれ以上ここに居るのは得策ではない。
そう判断したオレは直ぐに踵を返す。
「ナマエならまだ暫くは帰って来ないと思うぞ」
後ろから掛けられたその言葉がまたオレを苛立たせた。言われなくても探しに行くつもりだ、と返したくなる気持ちをなんとか押し留める。
「…それはどうも」
この借りは絶対に返してやろう、そう心に誓ってオレはロビーを出る。
苛立つ気持ちを抑えながら階段を上り充てがわれた部屋の扉の前に立った。黒く縁取られた穴へ鍵を差し込んで右へ回すと、がちゃりと鈍い音が鳴る。扉を開けてシンプルな内装の部屋に入り、手に持っていた本を机の上に置いた。
椅子に掛けておいたいつもの外套を身に纏って、彼女を探すためにオレは再び部屋を出た。



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