text | ナノ

ちょっと出掛けてくるよ、なんて爽やかな笑顔を残して消えた彼は一体何処へ行ってしまったのか。
彼が見つからず途方に暮れたのが40分前。
町中を見渡せるくらい高いところなら直ぐに発見できるのではないかという安易な結論に辿り着いたのが30分前だ。
そして今、私は小さな高い丘の上に立っていた。
「…私って馬鹿かも」
ぽつりと呟く。
もし仮に、町を歩くコンウェイを見つけたとして、この丘の上から一体どうやって呼びかければいいというのか。
自分の愚かさに呆れる。コンウェイに話したらまず間違いなく馬鹿にされるだろう。
とにかく早く降りなければ、と来た道を戻るために歩き出す。ふと空に目を向ければ陽はかなり西側に傾いていた。
急がなければという思いと共に、懐旧心が溢れ出してきて足を止める。
振り返れば、西陽が町を照らして遊んでいた子供達の影がひとつひとつと減っていく。色取り取りの屋根から覗く小さな窓に光が灯っていって、段々と闇に染まっていく町に息が吹き込まれる。
なんて美しい景色なのだろう、と思わず目を見張った。
少しずつ少しずつ表情を変えていく町の姿は何処か懐かしさを彷彿させた。いつか何処かでこの景色を見ていたことがあるような、そんな気持ちにさせる。
「黄昏時、だっけ」
目的も忘れて私はそこに立ち尽くす。誰に伝えるわけでもなく呟いたその言葉も、長く伸びていた私の影も消えていく。

太陽が隠れてしまっても私は変わらずそこにいた。いやむしろ、動けなかったという表現の方が適切かもしれない。何故、と聞かれれば返答には困ってしまうのだけれど。
陽が沈んで、月が顔を出して。
そんな当たり前をただ私は呆然と眺めていたかった。
「こんな所でなにをしてるんだい」
後ろからかけられたその声で、先程まで身動き一つ取れなかった体がまるで魔法が解けたかのようにびくりと動いた。
いつの間にか月は空高くまで上っていて。辺りの空気も、夕暮れ時よりもかなり冷え込んでいた。かなり時間が経過していたようだ。
「あ、コンウェイ。探してたんだよ」
振り向きざまにそう言うとコンウェイは呆れた表情を浮かべる。予想通りの反応だ。思わず私が小さく笑うと、反対に彼は少し眉を寄せる。そのままゆっくりと私の方へ向かって歩みを進めた。
「アンジュさんが心配していたよ。ボクを探しに出かけたら帰ってこない、ってね。でもまさかこんな所に居るとは思わなかったけど」
「ああ、コンウェイが全然見つからなくて。ここから見渡したら見つかるかなあって」
「君は馬鹿なのかい」
やはり飛んできたその言葉に私は苦い笑みを浮かべる。返す言葉もございません、と告げるとコンウェイは大きく溜息をついた。
「溜息つくと幸せが逃げちゃうんだよー」
「じゃあボクが不幸になったらナマエのせいだね」
そんな軽口を叩きながら、すぐ傍に立ったコンウェイをそっと見上げる。彼は困ったように目を細めて静かに私の腕を取った。
てっきりそのまま引っ張って連れて行かれるものだと考えていたら、意外なことに彼の骨ばった綺麗な手は私の両手を包み込んでいた。
「…冷えてる」
「コンウェイはあったかいね」
「君はずっと外にいたからだろ、女性が体を冷やすのは良くないよ」
君も一応は、女性なんだから。そんな一言を付け加えて彼が意地悪そうに笑う。
言い返そうとしていた私もコンウェイに釣られてつい笑顔になってしまった。
随分と、楽しそうに笑うものだ。
「帰ろうか」
彼の言葉に、小さく頷く。自然と絡められた指に嬉しさと、それから気恥ずかしさを感じて少し顔が熱くなった。
そんな私に気付いているのだろう、隣からは小さな笑い声が聞こえた。
「で、こんな時間まで丘に居たナマエは一体何をしていたのかな」
そう微笑んだコンウェイの言葉に若干皮肉が混じっていると感じるのは気のせいではないだろう。そんなことを考えつつ、嘘を付く必要は無いので正直に答える。
「えー、と…夕陽を見てた」
すると、コンウェイは訝しげな顔をしてこちらを見た。とはいえ、明確な理由は私にもよくわからないので説明のしようがない。
「…陽が沈んだのは結構前だけど?」
「いや、あまりに夕陽が綺麗だったから動くの勿体無いなあって思ってさ」
なんとなく、ね。
そう零すと彼はふうん、と呟いた。
澄んだ空気に乾いた風の音が響く。
少しひんやりとしたその温度と、繋がれた手の暖かさが心地良かった。
「だからあんな風に立っていたんだね」
「…あんな風って?」
「心ここに在らず、といった感じかな」
「あー…、まあそんな感じ、かなあ…」
私は目を閉じて先程迄の風景を思い出す。
頭に鮮明に浮かび上がる映像は、記憶の中でも美しかった。思い出の中だからか、それとも耳元でざわざわと鳴く風のせいなのか、それは先程よりも一層素晴らしいものに感じられた。
「う、わわ!?」
暫く思いを巡らせながら歩いていると、突然うまく進めなくなった。繋がれた手が不思議なことに進行方向と逆にあり、バランスがうまく取れなくて前につんのめりそうになる。驚いて咄嗟に目を開けば、何故か私より少し後ろに立っていたコンウェイにぐいと引っ張られる。重心を失っていた私の体は容易に後ろへ傾いて、そのまま彼の腕の中へ倒れこんだ。動揺している私を他所に、後ろからはするりと腕が伸びてきて、コンウェイに抱き締められる形になる。
「び、びっくりした…。あの、コンウェイ?」
「…なんだい」
そう答えたコンウェイの声色は苛立ちを孕んでいた。どうして彼は怒っているのだろう、先程まではそんな素振り無かった筈だけれど。
我知らず何か気に障ることをしてしまったのだろうかと不安に包まれる。
「ナマエ、」
耳元で聞こえた声にびくりと肩が跳ねた。
こういう時、コンウェイは本当にずるい。わざといつもより低い声で囁くのだから。
「な、なに。ていうかなんで怒ってるの」
「…別に怒ってないよ」
嘘だ、と心の中で毒づく。だって彼はそう言うが、何処となくぶすっとした雰囲気が滲み出ている。
私の帰りが遅かったことに怒っているのだろうか。それならあり得るけれど。
視線を下ろすと、彼の腕が見える。
…そういえば。コンウェイは基本的にあまりスキンシップも多くないから、(キュキュなんかは毎日抱きついてくるのだ)私から抱きついたり、甘えたりというのがいつもの流れだ。
つまりコンウェイから抱き締められることなんて滅多に、無い。

そう意識したら、恥ずかしさが倍増した。急激に上がっていく体の温度。いつも自分から抱きついているけれど、それとは全く違う。
後ろからでよかった。今の顔はきっと真っ赤で見せられないだろう。
それだけが救いだと息をつくとコンウェイがまた低く囁いた。
「…ねぇ」
「な、に」
「耳が真っ赤だけど」
「!」
「ふ、」
間近で聞こえる笑い声に、心臓がばくばくと騒ぐ。後ろを向いているから平気だろうと油断していた。身体中熱くて、先ほどまで感じていた寒さも一切感じられない。
無意味だとは理解しつつも私は言い訳をする。
「さ、寒いからっ。寒いからだから!」
「へえ」
「そう!だからはやく帰…ひゃあっ」
腕の中から抜け出そうと抵抗するが、動くなと言わんばかりに彼の腕に力が篭る。顔が火照るのが自分でもわかる。ああ、もう本当に。
早く帰ろうと言いかけた時、何の前触れもなくコンウェイが私の耳朶に甘く噛み付いた。
驚いて思わず上擦った声が出た。
「こ、コンウェイ?!あの、あのえっと、その、か、帰ろう!?」
頭の中がパニックになり、腕の中で暴れると、彼は案外すぐに解放してくれた。
距離を取って狼狽える私とは対照的にコンウェイはくすくすと笑う。そんな姿でさえ絵になるのだから、本当に困る。
「そうだね、そろそろ帰らないとボクまで怒られてしまう」
アンジュさんの説教はごめんだからね、口ではそう言いながらも何処か楽しそうなコンウェイが、私の方に右手を伸ばした。
差し出された手を見て、つい目を瞬く。
「寒いんじゃないのかい?」
にやりと意地が悪そうに笑ったこの時のコンウェイの顔を、私は一生忘れないだろう。
恥ずかしさやら悔しさやらで何も言えないまま、私はそっぽを向いて左手を乗せる。我ながら、可愛くない。
「ふふ、それじゃあ帰ろうか」
そんなことは気に止めないのか、コンウェイがゆっくりと歩き出した。
再び絡められる指に、言い尽くせない幸せを感じて自然と顔が緩む。
歩きながらこっそり隣を覗き見ると、コンウェイと目が合った。すっかり落ち着いたと思っていたが、途端にどたばたと騒ぎだす心臓。どんどん顔が熱くなっていく。どうしようと慌てる私をじっと見ていたコンウェイがふいに優しげに目を細めた。
それがあまりにも綺麗で、思わず見惚れる。
固まった私を見た彼は笑いながら前を向いてしまう。
また彼にしてやられてしまったが、そんなことは気にならない程私の胸は暖かくなっていた。
だって、先ほどの笑顔は間違いなく自分に向けられていたのだから。
繋がれていない方の手で、すっかり油断しているであろう彼の服の袖を引っ張る。
どうしたの、と言いかけたコンウェイが此方を向く前に踵を浮かせて、彼の頬にキスをした。


( 宿に帰ったあと二人してアンジュに散々叱られたのは、また別のお話。)




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