――これは記憶の話。





人は、死ぬ。
いずれ死ぬ。それが今でなくても、先の話でも。
それが、今になっただけの話。
そして、誰かを守って死ねたなら、それは十分。花丸をもらえる成果だと自分では思っている。

「お目覚めかな、可哀想なリトルガール」

冷たい石造りの床の上に寝かされたまま、動かない顔をぐいと持ち上げられ、朧げな視界を動かすと見知らぬ服を着た男がいた。

いや、見知らぬ、訳がない。

『西の国』。『二の国』から遠く離れた、大国の軍服だ。
『二の国』と『南の国』の戦争の最中、突然現れたハイエナのような軍隊。だがハイエナは数が多く、壊滅は一瞬だった。『二の国』も、『南の国』も。
それでも、我が隊長は強かったが。
おしていた。はず、だった。
真後ろで隊が爆撃されるまでは。

一瞬の空隙。そして空爆の嵐。

咄嗟に、グレイとピュールを岩陰に押し込めることで精一杯だった。
足に感じた千切れそうな痛みも、それどころじゃなかった。隊の人間も、戦車も、やられた。

パラシュートを広げて、人影が、降りてくる。

咄嗟に、撃った。グレイとピュールもそれに続いていたのは覚えてる。
だがそんなものは結局、一時しのぎにしかならなくて。降りてきた男たちが、血の跡を見つけて近づいてきた男たちが、血に塗れた私の足を掴んだ。

「――〜〜!!」

痛みが、びりびりと脳天を貫く。
けれど、掴んだ男はグレイか、ピュールが何とかしてくれたらしく、すぐに手は振りほどかれた。ほっとしたのも束の間、今度は脊髄を無理矢理掴まれているような息苦しさに、がくりと全身の力が抜ける。
次に感じたのは、熱だった。

毒。

咄嗟に浮かんだのはその二文字だった。掴まれた時に何かを仕込まれたのだと。

「大丈夫か、ローゼリッテ」
「……っ」
「お、おい顔真っ赤だぞ!?」

駆け寄ってくるふたりに来るなと言いたくても、声すら出てこない。
当然首を振ることも出来ず、私はただただ呼吸を繰り返す事しか出来なかった。視界が朦朧としてくる。また誰かがやって来る音だけは良く聞こえるのに、血と硝煙の匂いだけは、研ぎ澄まされたように分かるのに。

「まだ生きてるやつがいたか」
「おい、薬は?」

――くすり。

まずは傷を。おいガキじゃねぇか。こんなのすぐ死んじまうだろ。いいじゃん殺そうぜ。

うるさい。頭が痛い。声が響く。頭が痛い。

足は。

もう、痛くない。

「グレイ」
「何だ」
「逃げろ。国のために」

一言。

言うと、私は多分、敵の中に突っ込んでいった。
そのまま倒せてハッピーエンド、なら良かったけれど。結果は見ての通り。私は捕まって、情けなくも生かされて、ついでに見知らぬ男ににやにやと下卑た笑みを浮かべられている。

「いやぁ。仲間のために身を投げうつ。簡単に出来た真似じゃないね」
「…何が言いたい」
「貴重なサンプルをどうも、といったところだ」

――サンプル。

実験台の、と続くのが正解だろうか。

よし、殺そう。

す、と目を細めて相手の動向を伺えば、男は特に警戒する様子もなく私の頬にひたひたと触れてくる。
その手が異様に冷たくて、背筋がぞわりとした。良く分からない、妙な恐怖心が身体を襲う。

止めた方がいいと。この男に逆らうなと、私の本能がそう告げている。

「そう言えば、君の仲間だが…」
「……!」
「目の色が変わったね。若い若い」

にこり、と微笑まれても、私の警戒心は全く拭えない。むしろ、得体のしれない男の口から出たその単語に一種焦りのようなものを覚える。

「……取り引きをしようじゃないか」

取り引きというのは、基本的に、平等に行われるものじゃないのか。

思ってはいても、口には出せなかった。それを反故にされることを恐れた。私は死んでも、アイツらに死なれるのは困る。
それが分かっているのか。男は、やはり楽しそうに口元を歪ませたまま、私の鼻先にぴたりと指先を押し当てた。

「君が死ねば、仲間を殺す」
「は……?」
「君が生を諦めた時が、君の仲間の死に時だ。子どもとは言え、ひとりで死ぬのは嫌だろう?」

……何を、言ってるんだ、コイツは。

気が触れたのか。いや、もともと気が触れているのか。

怪訝そうな顔をする私の腕を引いて、男は歩き出す。引きずられるような私の身体を、後ろから、別の男が支えた。

逃げないと。

――逃げなきゃ。

なのに、動けない。動かない足。軽い筋弛緩剤のようなものを打たれていたのか、なんてようやく頭が回った頃には、男は、一枚のドアの前で足を止めた。
私を支える男も足を止める。良く分からない。取り引きの条件も。とにかく体が動きにくい。それに、何で、――私はまともに縛られてないんだろう?

「取り引きの成立は相対条件が必須だ。――では、君がもし生きられれば」

ゆっくりと、ドアが開いた。

どん、と背中を押される。振り向くより先に、またゆっくりとドアが閉まって――

「君の価値を教えてあげよう」

男の声は聞こえなかった。

代わりに、聞こえてくるのは、

「お、初物か」
「おい、今回は俺に譲れよー!」
「領主様、死なない程度って聞いてますけどどうします?」

「好きにしろ」

「―――っ!!」

思い切りドアを叩こうにも、力の入らない腕では、縋っているようなものと同じで。
いやきっと、縋っていた。

怖い。怖い。死んだほうがましだ。

待って。いやだ。

これは、いやだ。怖い。誰か、グレイ、助けて!

「いやっ…やだ!やだ!!」

「おい、クスリの用意は?」
「終わるころには用意できています」

「グレイ!グレイ助けて!!やだ…――!!」

「その後は?」
「豚小屋にぶち込んでおけ」
「分かりました。…“清掃”は、どうしましょう」

男は愉しそうに鼻を鳴らした。

「死体にでもやらせておけ」

閉ざした扉の中から、断末魔が聴こえた。





どさり、と鈍い音がした。
それが自分の身体から聴こえて来るものだと分からずに、呼吸をすることも忘れて、周囲の音に勝手に耳が澄んでいく。

「だ、大丈夫?お姉ちゃん」

身体を揺すられ、うっすらを目を開くと、そこにはまだ10歳くらいの少女がいた。
首元のドッグタグが揺れている。『35』と打たれた数字。
見上げると、少女がふわりと小首を傾げる。

「あ、…もうみんなのご飯の時間だ。お姉ちゃん、こっち」

突然少女に腕を引かれ、訳も分からないまま少女の後ろを着いていく。
おぼつか無い足はどうしてだろうか。思い出せなくて、ローゼリッテが額を押さえたその瞬間、ジリリリ、とけたたましい音が響き渡る。

「食事だー!!」
「俺のだ、どけ!」
「うるせぇ!!」

次いで、人の怒号。
思わず耳を塞ぐと、少女がくすくすと笑っていた。何故笑われたのか分からずに首を傾げると、少女はこちらのドッグタグをちょんと指さす。

「10番下ね」

見下ろすと、確かに、自分にもそれがついていて。

思い、出した。

突然、真っ青になる自分に驚いたのか、少女がそっと自分に手を伸ばす。その小さな手が触れるより、一寸前。少女の腕が兵士によって引き上げられ、自分も、その隣の男に腕を引かれた。
当たり前のように足が竦む。
けれど、どうしてか。
兵士に手を引かれた少女は、どうしてか。

笑っていた。



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