Vampiro





喉の渇きを感じた。
それは永続的なものだった。膝を擦り剥くよりずっと痛く、酸素が無くなるよりも苦しい。

道端で見かけた花の蜜を吸った。それは酷く甘美で、命の生暖かさに涙する。

永遠に渇きが癒えることは無い。
この喉が潤うほど、目の前の砂を抱き締めていたい衝動に駆られるのだ。


< Hedera >


廃墟にひとり、ポツンと佇んでいたのが、男の初めの記憶だ。それより以前は覚えていない。
洗ったこともない歯に、芳醇であっただろう血の味がじんわりと残っていたということを知った時、初めて自分が吸血鬼なのだと思い出した。

男は目前の砂を見入る。
ふつふつと湧き上がる涙にこれはきっと、自分の大切な何かなのだろうと、そう考えた。


これはいけないと、空腹を我慢していた。しかし、男の空腹が求めるのは血ばかりで、渇きに耐えることおおよそ30日、こんな洋館に篭っていても仕方が無い。何か代わるものが無いか探しに行く事にした。

洋館より出て歩くこと3日ほど。
ふらりと立ち寄った古い森の、青い海、その一つまみの青いブーケを抱えた、はちみつ色の髪の美しい女性に目を奪われた。

「・・お嬢さん」

腰を抱き寄せると、視界に青いブーケがいっぱいに広がり、その奥に奥ゆかしく佇む女の白い肌が良く映えている。

目が合って会釈をする様に、そっと首に食らいついた。
女は血を吸われる快感から雫が溢れ宝石のように輝いている。美しかった。久方ぶりの蜜は、自分でも思いがけないほどに勢いよく吸ってしまって、溢れ出る血が惜しく、舌で追いかけ堪能していた。ようやく満ち足りて、女の首から唇を離すと、いつの間にか女であったはずのミイラは、指の先からさらさらと砂になっていった。

彼女の上にパサリと落ちたブーケは弔いの花束に、見える。


彼女が森の花を摘んだように、自分も彼女の花を摘んだだけだ。なのに何故手に入らないのだろう。

ブーケ。
思い起こして、慌てて男は首元のスカーフを解いて、風に飛ばされる前に彼女を包んだ。それを胸元のポケットにしまうと、今にも倒れそうな足取りで、日が暮れてから街に向かうことにした。




街へ降りると、そこら中でオレンジ色の光が輝いていた。ロウソクは皆曇りガラスに覆われていて、火が呼吸するたびに歪な形に反射し、生きているような動きをしている。

「ちょっとそこのアンタ」

灯りに目を奪われていると、目前にある花屋の男に声を掛けられた。

「見ない顔だが旅人か?」
「・・・ああ」

旅人と言うには、服が変だが。
貴族らしい白と黒を基調にした男の身なりを、花屋は訝しげに続けた。

「・・俺の妹が、昼間から帰ってこないんだが・・知らないか?妹の見た目は、はちみつ色の髪と、随分白い肌をしている」

昼間の女性に心当たりがあった。しかし男は首を横に振り、惚けた。

「知らないな」
「そうか」

返答とともに、花屋は少し悲しげな顔を浮かべた。男が直ぐさま返答したからか、妹をどうこうしたとは疑ってもいないようだ。

「悪いな、いきなり呼び止めて。街に来るのは初めてか?」
「気にするな。ああ、ここへは初めて来たんだ」
「なら大体の場所がわかる地図を書いてやる。少し待ってな」

青の縦縞のエプロンがくるりと反転して、花屋の普段着であろう、クリーム色と、オリーブ色の麻布が露わになる。恐らくこの街の一般的な服装なのだろう。今の服のままだと自分は浮いて見えてしまうので、後で着替えなければ。

「字が汚くて申し訳ないが、地図だ。ここをまっすぐ行ったところが、多分アンタが入ってきた北への門だ。反対に、ここから南へ道なりに向かうと、景色の良い宿屋がある。そんなに高くないから今日はそこに泊まるといい」
「懇切丁寧な説明で助かった。そうさせてもらう」
「ところで、アンタ、名前は?」

名前を尋ねられて、漸く自分に名前がない事がに気付いた。答えないのも、無いと言うのもおかしい。すぐに視線を彷徨わせて、花屋の後ろに並んでいる目に留まった花の名を呟いた。

「・・ミモザ」
「へえ、ミモザ、な。確かにミモザのような鮮やかな金色の眼をしてる。俺はシルヴィオだ」

また寄ってくれ、と微笑む花屋と握手を交わした。

宿屋に着くと、窓から覗けるのはそれはたいそう綺麗な海辺だった。
オレンジ色の光よりもっと多くの数の光が、月の白が照らす暗い海を賑やかに照らしている。
ベッドに腰掛けて開けた窓から吹き込む夜風に当たっていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。

「入るよ」

扉を開けて入ってきたのは可愛らしい少年だった。歳は8歳ぐらいだろうか。茶色い半ズボンに、アーガイル柄の靴下、真ん中にフリルのついた白シャツとサスペンダー、先ほど会ったシルヴィオとは違い、畏まった格好をしている。

「アンタ見慣れない格好だけど、どこの人?」

腕を組んでこちらをじっとミモザを見上げている。

「ここからはずっと離れた街から来た」
「へー、それってどんな街?ここより綺麗なの?」
「いいや、ここの方が綺麗だ。統一された白い壁の建物もそうだが、灯る光が優しい」
「うん、うん、僕もそう思う。へへ、ここは街で一番、眺めがいいんだから」

そう言って上機嫌に笑った少年はベッドに腰掛けるミモザの隣に座る。ここからは、街が一望できる。木枠で組まれたが味を増して、ほんとうに贅沢な絵画のようだった。

「僕ロッカって言うんだ。ここで暮らしてる。お兄さんは?」
「ミモザという」
「!街にたくさん咲いてる花と同じだ」

ロッカは共通点を見つけて嬉しそうに顔を綻ばせている。

「ねね、ミモザはどれぐらいここにいる?」
「・・・2週間ぐらいだな」
「じゃあ僕が案内してあげるよ!」
「今からか?」
「もちろん!」

行こっ!と笑顔で立ち上がった少年に連れられて、宿屋を出た。


「凄い人だな・・・」
「港から来る人の方が多いんだー。はぐれないでね」

先ほどシルヴィオに貰った地図によると、港を目の前にしたこの通りは、街のメインストリートらしい。多くの飲食店が立ち並び、また森からの簡素な入り口からは考えられないほど多くの人で賑わっている。
その身なりは弓や剣を携えた狩人、楽器を片手に唄い歩く吟遊詩人、漁港の親父達と際限無い。

「人酔いしそうだ」

これだけの人の数には慣れていない。
困り顔でミモザが呟くと、ロッカがミモザのシャツの裾をクイクイと二度引いた。

「ミモザ、あっこ入ろ!」

ロッカが指差したのは木製の両扉が開かれた、開放的な酒場だった。
丸テーブルがいくつかと、カウンター、その奥には酒瓶がずらりと並び、ロッカのような年齢の子供は勿論居ない。

「ようロッカ!てめぇの大好きマッテーオ証のミルク入ってるぜ!」
「ん〜ミルクが無きゃ夜は始まんないからねえ〜」
「ブッワハハハ、クソガキがよく言うぜ」

ロッカは顔見知りが多い。酒場の主人だけでなく、座る客片端から声を掛けられている。ギャグのセンスも良く、ロッカが喋る度に人がどっと湧き、隣に居るミモザの事など頻繁に旅人を連れて来るロッカのことだからと、大衆は気に留めていないようだ。人混みではあるが、視線を受けない分外を歩くより幾分かマシである。

「兄ちゃんは何飲む?」

カウンターの椅子に腰掛けるロッカの隣に同様に座り、店主に尋ねられたミモザは、暫し硬直してから、左に居るロッカとは反対側の、右手側に腰掛ける狩人を見ながら言った。

「彼と同じものを」

店主は一瞬眼をぱちくりとさせてから、大声を上げた。

「いーーねぇ兄ちゃん!飲み比べかい!!オラ乗ってやんなあベイキッド!」
「飄々とした顔してやってくれるねアンタ」

隣に習って頼む事が飲み比べになるとは知らず、今度はミモザが眼をぱちくりとさせる番だった。
周りは大盛り上がりになり、ミモザとベイキッドどちらが勝つか賭け始め、そこらじゅうで札が舞っていた。当のベイキッドはしょうがねーなーと呟きつつも、最近の金欠と、勝つ確信からか乗り気で金を取り出した。後戻りの出来なくなったミモザは、店主に早々に渡された大きな氷の入ったウォッカを左手に、ベイキッドの声を待った。

「ルールは簡単、先にぶっ倒れた方が負けだ。っと…俺が勝つ方に、10Gで」
「フゥ!ベイキッド、てめぇ大した自信だなあオイ!にーちゃんもどうだ?折角だ賭けようぜ」
「ミモザ!僕信じてるからね!?」
「ロッカ。ベットするな。未成年だろ」
「えぇー!!そんなの関係ないよ!僕の小遣い稼ぎに協力して!ね?」

うるうると目尻に涙を溜めてロッカがミモザに縋り付いてくる。流石に少年を泣かせるのは居た堪れないので、ミモザは懐から取り出した20Gをカウンターに置いた。

「・・・舐められたもんだなぁ」
「アンタも変わらないだろう、ベイキッドさん」

不敵な笑みを交わし、戦いの火蓋は切って落とされた。




「あーあ大損だ。あの貴族男が勝つなんてなあ。思わねえって」
「酒なんて飲んじゃ神に怒られちまうーって言いそうな見た目なのにな」
「ほんと、シルヴィオといい、優男に見えるやつほど酒が強いもんなのかねえ」

賭けを終えた店内は客が半分程に減っており、ミモザは口から異臭を放つベイキッド俵担ぎにして、不満気な顔で金を受け取っていた。
始めこそ調子の良かったベイキッドだが、8杯ほど飲んだところで、それまで饒舌だった口が止まり、明らかに戻しますという顔でトイレへと向かったのだ。何だ口程にも無いと思っているのも束の間、ベイキッドはすぐにトイレから出てきた。

『・・・・もう一度だ』

胃の中のものを吐き出したから、まだやれるぞという意気込みだろう。
ミモザはふらふらのベイキッドを見ながら、金の無い狩人は恐ろしいものだと、店主特製のサルシッチャを齧った。

その後ベイキッドはもう2杯と粘ったものの、ミモザを倒す事は叶わなかった。あえなく撃沈して、ミモザには金を取られ、これから酷い二日酔いに悩まされることとなる。

「勝手に潰れた奴も持って帰らなきゃならないのか」
「まあ賭けした仲だからね〜ふふっ稼がせて貰ったよ〜ミモザっ」
「ロッカ・・ベットするなと言ったのに・・」
「堅いこと言わなーい!」

ロッカは嬉しそうに膨れた金袋を手のひらで遊ばせている。

「もう朝が近いぞ、寝なくていいのかロッカ」
「でも、ほんと強いよねお酒」
「聞いてるのかお前」
「へへっ、聞いてない」

その返答にミモザは笑って誤魔化すロッカの頬を軽く抓る。痛いよとワザとらしく声を上げるロッカを、ベイキッドの家まで抓ったまま連れて行った。

翌日、ロッカの頬がほんのり赤く染まっており、ミモザはぷうとリンゴのように膨れる頬に湿布を貼り、謝罪するハメになった。











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