傾城(上)





傾城

早乙女 嵩親(さおとめ たかちか)
海道 龍慈(かいどう りゅうじ)


弱みを握られまいと必死に隠していた、その懸念が過ちを犯したのだと気付くも後の祭りだ。極悪人の様な面構えで楽しそうに笑う海道に壁へ壁へと追い詰められた早乙女は、踵がもう下がる場所が無いと主張する頃には、引きつった表情の内で勘弁してくれの一言を漏らした。

「おいおい、全く面白くねえぞ」

とん、と軽快な音でも鳴らしそうなゆったりとした動作で早乙女の横に手を突いた海道は、嘲笑った。

「ハッ、俺はこの上なく面白いがなあ」

ーお前が逃げられないこの状況が。鼓膜のすぐ近くから響く艶麗な低音に早乙女の表情は皺ばむ。
昔からこの男が苦手だった。クラスに、部活に、親の会社のパーティ、何処に居ても悠然と構えるその姿には同じ立場の人間として尊敬の念さえ抱いたことがあるというのに。

「早乙女」

海道の見下ろす視線が、気に食わない。
幾度と歳を取っても変わらず向けられる、含みを持たせた、その視線が。

「海道、顔が近いぞ。邪魔だ」

密着する脚に内心で舌打ちをし、片腕で視線をどかそうと海道に触れようとした。しかしそれは叶わず、上げた片腕は海道によって壁へと縫い付けられる。早乙女は思わず怒鳴り声を上げて、捉えられた片腕に力を入れ捩っても、海道の馬鹿力の前ではびくともしない。

「離せっつってんだろ!海道!」
「風紀委員長の前で暴力か?そりゃいただけねえなあ、生徒会長さんよお」

唇が、触れる。言葉と言葉がぶつかりそうな距離に、早乙女は息を詰まらせた。
同時に知る。握られた己の股間の逸物に、早乙女は漸く海道という男の視線の意味を。

「お前・・・ッ」
「どうせ逃げ道なんてねえんだ。抵抗すんなよ」
「はっ、するなと言われて馬鹿正直に聴くやつがどこ・・っ!?、・・・っ」

早乙女が力の限りで頭突きをかましてやろうとしたのに、簡単に避けてしまった海道はぐにぐにと早乙女の男根を揉んだ。びくりと肩を揺らした早乙女に海道はまた一つ嗤いを零して、眼前に露になった首筋に噛み付いた。

「ッって、・・・えな、・・・!」
「悪くねえだろ?こういう刺激も」

歯型が付くほどに強く噛まれた早乙女の首筋から垂れる朱色の雫を舐め上げて、男根から手を離した海道は己のネクタイを緩める。痛みに顔を歪めていた早乙女がその動作に危険を察知したのは、またしても両の手首を頭上で縛り上げられてからで。早乙女の不甲斐なさよりもこの男の手腕の方に大きく軍配が上がった。

「どういうつもりだ」
「どうもこうも、てめえを犯す意外にあんのか」

確かに男根を握られた時から、性行為に及ぼうとしているのだと感知はしていたが、まさか縛りまですると一体誰が思う。

「風紀委員長だろ」
「関係ねえさ」
「・・・今ならまだ無かった事にしてやる、だからーー」

がつんと勢いよく引き倒された固い板、突然の衝撃に背中が痛む。慣れた視界に写るのは見下ろす海道の笑みばかりだ。この学園で絶対権力を有している、生徒会長の重厚な机の上で。

「なあに、合意なら問題ねえだろ?」

己の上に圧し掛かる男にやはり逃げられないのだと、早乙女は悟った。




「は、っあ、あ、・・・あっ、ああ」
「最高だなあ早乙女。誰もが憧れてやまないこの部屋で、王様にも等しい生徒会長様を犯すっつうのはよ」

出し入れされるたび布一枚を隔てて腹と机とが擦れ、局部も、身体も、思考すらも熱くて堪らない。口の端から垂れそうになる涎をどうにか飲み込んで、絶え間ない快感に瞼を閉じた。聞きたくもない侮辱の言葉に、僅かに感じたのは疑問で、何故思ってもないことをこいつは口にするのだと。

「な、にを、いってんだ、っは、」
「何、ってそのままの意味だが」
「おれの、っし、ってる、おま・・・っ・・・はあ、えは、おうさまなん、て、いわ、ね」

もう入れてくれと泣き言を漏らすまで念入りに解された、ぐぷりと先走りが滲む秘孔の、最も弱い前立腺を狙ってピストンされては文章を作ることすら儘ならず、途切れ途切れに言い切れば、早乙女を犯す男は動きを止めた。なんだと早乙女が軋む背筋を動かして後ろを見ると、何かを考えるように眉を顰めた海道と目が合う。

「よく、わかってんじゃねえか。お前にしては」

海道の下で快感に溺れ喘ぐ男の秘孔は海道の逸物を咥え込んで離さない。今もひくひくと収縮するそこから生まれる僅かな快楽をやり過ごして、ふらりと、倒れてしまいそうな程弱った身体の筋の良い腰を指でなぞる。
そうだ。王様である意味も、陵辱する意味も、何一つとして無い。本当に飢えてやまないのはーー

「そ、りゃあ、長年の、付き合い、だからな」

はっと早乙女が嘲笑うと、視線の先の男は痛々しげに顔を歪めた。

「・・・人の気も知らねえで」
「今、なんつった?聞こえな、あっ、ああ、かいど、」
「黙ってろよ、・・・早乙女」

海道の呟きは余りに小さい声だったので、早乙女が聞き返すも言葉の途中で再び抽挿が開始される。片手は腰をがっしりと掴んで、もう片手で早乙女の男根の根元をきつく握り締める。その間も弱い部分に何度も打ち付けられる狂気を露わにした逸物、硬く縛られた両手首に、早乙女は成す術もなくただただ涙を零しては左右に頭を振って、少しでも快感と苦痛から逃れようともがく光景を。海道は薄く開けた瞳で見詰めては。

この姿が、欲しかったのだ。

「っく、う、あっ、あ、や、・・・っ、」

いつからだと問われたのなら、それはこの世に産まれ落ちたその時から。隣同士のベッドで泣き声を上げていたという話を聞いて、小学生ながら納得したものだ。すりこみにも似た永い独占欲。ああ、あの時から、こいつを。

「早乙女、てめえはもう、俺のモンだろ、?」
「あ、あっ、・・・・んっ、はな、・・っせ、」
「ほら。誓えよ、俺の傍らから、一生離れねえってよ・・・」

張り詰めた男根の先端をぐりぐりと虐め溢れ出す白濁混じりの先走りをまた、塗り込めて、すぐに握り締める。その動作に耐え切れずこくこくと頷く早乙女が酷く哀れだが、何故か、それが、酷く、愛しかった。

「あ、っは、はな、れねえ、・・・っから、・・はや、く・・・っ、も、・・・・!」

知っていたのに。
捕まったのならもう戻れないと。

「・・・今の言葉、忘れんじゃねえぞ」

この男からは、逃げる事等出来ないと。






事後の余韻に浸っていた海道は、呼吸と共に上下する早乙女の質の良い柔らかな髪を撫でていた。漸く犯した男の、掌握したであろう、意識の無い身体を。

「…嵩親、」

腰を少し動かせばずぷずぷと数度吐き出した白濁の液が入り口から漏れ出た。一瞥し、嗤う。酷い有様だ。


「か、……ど、」

掠れた喘ぎはか細いというのに、海道の耳には必ずと言っていいほど、はっきりと聞こえている。意識を取り戻したらしい早乙女は瞬きを繰り返してその視覚がはっきりと海道を捉えるまで、浅く息衝いた。

「目、覚めたかよ」

両手首の拘束はネクタイこそ解かれているようだが、肌に痣が滲んで、腕は長時間固定された儘の形で垂れ下がっていた。早乙女はぐったりと、身体を預けていた机から身を起こそうと腰に力を入れるが、肛門の異物感と内側からの鈍痛に顔を顰める。

「……抜け」
「ククッ、お前、命令できる立場か?」

早乙女が可笑しそうに嗤った男を振り向き様に睨み上げるも、海道は余裕綽々と言った風に抜くこともしなければ、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた。

「うるせえよ。いいから抜けっつってんだ、そのきったねえチンコをな」
「そのきたねえチンコでよがってたのは誰だ?もっと突いて、って何度も言ってたじゃねえか」
「言ってな『っは、っ、ん、ん、そ、こ、…っ、も、…っと、』………なんだそりゃボイスレコーダーか珍しいもん持ってんなあちょっと貸してくれよ」
「悪いなあこれは大事な大事なモンなんでお前に託すのはちょっとばかし心元ねーんだわ」
「そりゃあ面白い話だなこの俺に貸せないってか?言っとくがお前より機械は得意………、」

懐から取り出したボイスレコーダーをちらちらと見せ付ける海道に、早乙女はこめかみをひくりとさせ早口で幕したてたのだが、ふと、我に返った様に口をつぐんだ。

「…いや、いい。……お前には勝てねえよ」

コトン、と置かれたボイスレコーダーの軽い音がやけに響く。俯いた早乙女の、陰る後ろ姿に苛立ちが湧いた。

「はー…本当、最悪だ。よりによって
お前に、バレちまうなんてよ」

此方には顔を見せる事無く呟く男の声は震えていて。


「嵩親」

ああ、気に食わない。

「……おい、何で名前呼びなんだ」
「んなもん俺とお前が恋人同士だからに決まってんだろ」
「…は?」

即座に返されたいつもの反応に、海道はクッと喉で笑って、ゆったりとまた腰を動かすと、早乙女は素直に身体を跳ねさせた。

「っ…おわ、ったんじゃ……ねえ、のか……」
「俺が、お前をたった一度の逢瀬で手放すと、本当にそう思ったのか?」

なあ、嵩親。
続けて耳元で囁けば、早乙女は熱の篭った息を吐き出して。
内側からせり上がる快楽の痺れに、拘束されていない手の片方で、汗ばんだ前髪を握った。



「……最悪だ」







もう一度目が覚めた頃には、暑い太陽のオレンジ色の日差しが日除けのカーテンを透けてきらきらと輝いていた。淡い風が早乙女の頬を撫で心地良さに目を細めると、ゆったりとした動作で上半身を起こした。

「ど、こだ……ここ、」

物の少ない部屋。黒いサイドボードに、腰元には黒いシーツ。シルクの肌触りの良い衣擦れの音が、左右へと頭を動かせばしんとした室内に浸透する。
身体は汚れていない。あれ程吐き出した熱も、何一つ無かったかの様に落ち着いている。けれど、掠れた声と、重い瞼、それに、腰には僅かに目を覚ましたあの時よりも深くから鈍痛が響いていて、行為の夢で有るか無いかを、はっきりと示していた。

ガチャリと部屋の戸が開く音に、顔を上げる。

「気分はどうだ?」
「最高に悪い」

含みを持たせた視線は、いつの間にか消え失せていたらしい男の、厭らしい笑みが視界に映る。学生服を着込んだ海道に、早乙女が俺の服はと尋ねるとクリーニング中だと返され、代わりにとばかりに渡された海道のシャツとパンツとスウェットを仕方無しに着る。

「今、何時だ?」

先程見渡した限り時計の類は無かったので、海道に尋ねる他無く扉に背を預ける男を見やる。

「もう夕方だ。腹減ったろ?なんか作ってやるよ」
「……は?」
「ほら、顔洗ってこい」

ばさりと乱雑に投げられたこれ又黒のフェイスタオルを早乙女が受け取るのを見ると、海道は扉の向こうへと姿
消した。疑問符を浮かべて、暫しフェイスタオルを見詰めていた早乙女も、取り敢えずとベッドを立ち上がろうとした、のだが。

「いっ、て、え………!」

ドタンと踏み出した脚に力が入らず勢い良く床へと転げ落ちる。その音に気付いて部屋へと戻って来た海道は早乙女の間抜けな光景に肩を震わせて笑った。

「ックク…、悪い悪い、腰抜かしちまってたみてえだな」
「誰のせいだと思ってんだてめえ!」

海道は眉を下げながら笑いを隠そうともしない表情で手を差し伸べ、ぐんと早乙女の身体を引いて立たせ腰に腕を回した。

「…こんなに密着する必要ねえだろ」
「まあまあ、そう怒んなよ」

咎める様にきつくなった声に笑みを返した海道は早乙女を抱き上げる。所謂お姫様抱っこ、というやつなのだが、早乙女も海道も体格はそう変わらぬというのに軽々と持ち上げてみせる海道は凄いというより、最早気味が悪い。

「他にもおんぶとかあっただろうが!降ろせ!」
「うるせえなあ。落とされたくなかったら、大人しくしてろ」

勿論お姫様抱っこなどと言う男同士でされては屈辱的な動作を早乙女が咎めない筈もなく、ただ身体が軋む今落とされるのは矢張り怖いのか、海道の言葉を聞いて首に腕を回しながら少しだけ、声を抑える。

「…後で覚えてろよ」
「後で、っていつだ?」
「うるせえよ!後では後でだ!」

口論しながら洗面所に辿り着いて、顔を洗って、海道の手を借りながらリビングのソファへと腰掛ける。暫く待っていると海道の作った料理が並べられ、その味も文句のつけようがなかった。相手が海道なので迷惑をかけている、という意識は毛程も無いが、食後の落ち着いた空気の中一応とばかりに小さな声で礼を述べると海道の顔が近付いてきた。

「舌、出せ」

言われる儘に舌を出すと、海道は早乙女の後頭部に手を添えて舌を舌で絡め取る。遅くも察知した早乙女は逃げようと顎も舌も引っ込めようとしたのだが、後頭部を抑えられ舌に追い掛けられ直ぐに捕まった。くちゅりと水音をたてて絡まる舌が、口端から落ちる涎が、酷く羞恥を煽る。表面を舐められ上顎を舌先で擽られる度にびくりと、後退する身体は、いつの間にかソファに背を預けていた。

「っ、……は、…ん、」

酸素を欲する身体が耐えきれず涙を浮かべて揺れる視界で男を見る。幾度と重なる唇に、限界だと肩を叩けば余裕綽々といった笑みを浮かべて漸く離された。

「か、…っ、…いど、…っ」
「…その目やべえな」

シャツの裾から差し込まれた手に気付き、思わず後ずさる。けれど、すぐに背もたれにぶつかった。
まただ。こうやって、人を追い詰めて。 楽しんでいるのだ。

「まっ、……ッ、あ、ど、こ、」
「言って欲しいか?乳首」
「言うな!っ、」

胸の突起に海道の指先が触れる。小刻みに先端を擦られ、びくりと驚きにも似た動作で身体が跳ねる。女も男も関係無しの性感帯であるというのは知っていたが、局部を触られるより鈍いそれが、思考を理性に留めさせるのだ。

摘み上げられた突起は確かに快感を生んで捲り上げ、舐められた所からも甘い痺れが伝わるが、もどかしい。

「どうした?」

言ってたまるか。
睨み上げた男の肩に噛み付いて、嗤う。

「わかってねえな海道…、俺が安安とお前のものになるなんざ、ありえねえぞ。てめえは一生そこで、マス掻いてりゃいいんだよ」
「……わかってねえのは、お前だ」
「?」

膝までズリ下げられたスウェットと下着に、きょとんと目を開けていると海道は局部へと顔を埋める。舌先でなぞられた直線に、早乙女がばっと身体を起こして顔を除けようとするも、遅い。

「……は、っ、…離、せ、」
「俺のものになる以外、選択肢なんてねえんだからな」
「っ!!、ん、」

咥えられた男根に息を詰める。暖かい口内に包まれた男根は、舐められる度愚直に質量を増して、巧みな刺激に張り詰めてきた頃漸く口内から解放されて姿を現した。てらてらと唾液と先走りとで光る赤黒い己自身から、目を背ける。

「目えそらしてんじゃねえ、ちゃんと見ろ」
「っ、……っる、せ」

手の甲を噛んで漏れ出そうになる声を抑えるも、快楽に跳ねる身体が恨めしい。自身が嫌いな奴の口に出し入れされる姿なんざ見てられるわけねえだろと内心で悪態をついてから、潤む視界で男を睨んだ。裏筋を舐め上げ、時には強く吸われ昂ぶる男根に顔を顰めて、舌先で尿道を抉られると本当にどうかしてしまいそうだ。嫌だ、と途切れ途切れに呟いて、耐え切れず吐き出した早乙女の熱を躊躇うこと無く海道は溜飲する。光景は、散々だ。

「…っは、は、…っや、め、…ッイ、ったばっ、…んん、っ」

間を開けずもう一度咥えられた男根に目を見開いてやめてくれと懇願する。達したばかりの敏感な身体に過ぎる快感は苦痛で、そういう時に限って尿意をも擽る様に、先端をぐりぐりと直接的に刺激を与えられ思わず声を抑えるのをやめて海道の髪を掴んだ。

「あ、あ、あ、っ、……っやめ、やめ、ろ、…っ、かいど、」

ぽろりと壊れた涙腺から零れた雫が腕に落ちる。絡んだ舌が泣き言を漏らす液を更に塗り込め小刻みに上下すると溜まらなくなって、揺れる腰が、止められない。はくはくと息が途絶えお願いだからと声にならなかった言葉は逃げる脚とともに空を切って、喘ぐ己も知らず、熱と共に許してくれ、と呟くも、行為は止まず。


「…や、あ、あっーー!!、は、」

身体を大きく痙攣させて早乙女は二度目の熱を吐き出した。
ぼろぼろと零れた涙を舐めとった海道は、優しげな手付きで頭を撫で、快感に浮かぶ脳へと流し込む様に囁いた。

「嵩親、お前は俺に、縋らずにはいられねえ。…覚えとけ」






=====


ぱたぱたと引き摺る様に履き潰した上靴の踵を鳴らす。気品だ何だ、関係あるかと普段履きのそれはここ最近で一気に縒れていったような気がしなくもない。疲れと、疲れと、兎に角前ほど自身の風貌に構っている余裕が無くなったのだ。

「早乙女さまっ!」
「あ?」

声に振り返ると立っていたのは見知った小柄な男一人で、駆け寄ってきた歩幅の小さなちょこまかとした動きに内心で癒しを感じた。

「生きて…っ生きてらっしゃったんですね!!!いきなり行方不明になられるものですから、この柴崎、もうどうしようかと…っああ、こんな事になるぐらいなら早乙女様の身体に発信機を埋め込んで…「待て待て待て、絶対にそれだけはやめろ」っうう、…!!!」

言葉の途中からぐずぐずと泣き出した男、柴崎を少し顔を引きつらせた早乙女は抱き寄せて、ぽんぽんと頭を撫でてやると途端にゆでダコの様に顔を赤く染めた。

「ーっなななな!!!なにを!」
「泣くな」
「なきませんなきませんからおやめくだざいいいいい!!!!」

騒がしいやつだ、と思う。
鼻水まで垂らして泣きませんとほざかれたところで、寧ろ俺が脅しているみたいじゃないかと早乙女は後髪を掻いて、一先ずの解決策にハンカチを目尻に当ててやることにした。

「よ、汚れてしまいます…!!」
「汚れを拭うもんだから問題ねえ」
「問題ありますぅ……」
「文句を言うなら礼を言え」
「文句なんて滅相もない!ありがとうございます!」

嗚咽を交えて交わしていた言葉も漸く落ち着いて、柴崎はふと、数日ぶりの早乙女を見る。親衛隊隊長として、又執事としても毎日見詰めていたその姿は、数日前とは何処か異なっている。目の下の隈が取れていて、働き詰めの青い青い顔よりは少しばかり生気が戻っているのだけれど、何処か、ぴりぴりとしているような。
柴崎は頭を傾げて自分より数十センチは高い早乙女の顔を此方に向けさせようと、制服の裾を引っ張った。

「……何だ」

小動物のようだと笑われた事のあるこの動作は、昔馴染みの柴崎にだけ許された行為でもあったりする。

「あの、えっと、…なんでもない、です」
「…そうか」

ふっと微笑んだ彼の笑顔は、困った様なそれは、いつからか遠いものになっていた。

「俺が居ない間、あいつらに動きはあったか?」

直ぐ様真面目な顔へと戻った早乙女に釣られる儘顔を引き締めた柴崎は、懐から紙を取り出す。


「それが…、とってもまずいことに………」


柴崎の話を要約するとこうだった。
早乙女が仕事を放棄した副会長、会計、書記の仕事を肩代わりして生徒会を運営していた事が風紀にばれてしまった。そこで風紀は三人に忠告をしたらしい。
しかし三人は仕事放棄の要因でもある転入生に対する求愛行動を更に加速させ、あくまで私達は一生徒として恋愛をしているのだとなんともガキくさい言い訳を。
ならばとばかりに、風紀は、生徒会へ相応の処置をする、と。

「…倒れそうだ」
「早乙女様にまで迷惑が…っ!」
「いや、それは構わねえが…」

元々生徒会と風紀は対立している。現状を認めず言い訳をした相手に相応の処置どころかか、過度な制裁すらあっても可笑しくは無いのだ。

「嫌な予感がするな………生徒会室へ行く。お前もついて来い」
「はっはい!」

早乙女と柴崎が早足で生徒会室の前へと着き、その重厚な扉を開けると、中はこの世の終わりの様に悲惨だった。

ばらばらと散らばった書類、割れた食器、破けたソファ、被害額で考えてもぞっとするが何より中に佇む男四人であろう。

「やだやだやだ、ごめんなさい…っ!!!」
「許して!悪かった!」

聞きたくもない。言葉の一つは違えど意味はほぼ同一の、謝罪と嘆願だ。副会長、会計、書記の昔の面影は何処にも無くノイローゼ疑惑をかけられそうなの青ざめた顔は何処か、死を思わせるものだった。
思わず顔を顰めた早乙女と、息を詰まらせた柴崎は部屋の中で呆然と立ちすくむ金髪の男に目を遣る。

「おれ、いらない、こ……」

こいつもかと頭を抱えたくなる程に、部屋は頭の可笑しくなった奴らのオンパレードだ。何があったのかと尋ねようとしても、一方的な悲鳴を聞かされるだけで恐らく応える術も持ってはいないだろう。真相はどうやら知る事が出来なさそうである。




「遅かったじゃねえか、嵩親」

ゆらりと部屋の奥から姿を現した憎くて仕方の無い男、海道が、述べるまで。


「…こいつらに、何しやがった」
「それ相応の、制裁をしたな」
「詳しく教えろ」
「おいおい、それが人に物を頼む態度か?」

煽る様に肩を竦めてみせる姿に苛立って、早乙女が舌打ちを漏らすと海道は声を上げて嗤った。

「あっはっはっは!…冗談だ。そう怒るなよ………ちょっとばかし、生きて行けなくしてやっただけだ」
「生きて行けなく…?」
「ああ」


震える柴崎の声が、問い掛ける。



「家も、地位も全部潰してやったのさ」



ああ、やっぱりこいつは
とんだクソ野郎だ。



数秒の静寂。海道の姿も、生徒会長、いや同級の生徒として接してきた早乙女の姿すらも目に入らず文字通り壊れてしまった三人と、原因の一人。全く恨みが無いわけじゃあ無い。仕事を放棄し人の言葉にも耳を貸さない奴等を何の見返りもなしに救ってやるほど、早乙女は聖人などでは無いのだが、こればっかりは、やり過ぎだろう。


「……元に戻せ」
「ん?」
「もっと、軽い処置があっただろ。大体、俺の監督不届きだって、責められるべきじゃねえのか」
「軽い処置、なあ」

数日前早乙女が犯された場所でもある、生徒会長の机の上に腰掛けた海道はくつくつと低い嫌な笑いを漏らして、態とらしく考える素振りをしてみせるので、いい加減その腹の立つ動作をやめろと、つかつかと男の元へ歩み寄り胸倉を掴み上げた。

「……ほら、言ったろ」

待っていたかのように、耳元に寄せられた唇は、一語一語を、愛でる様に甘く囁く。

「縋らずには、いられねえって」



「ーーッ海道!!」
「駄目です早乙女様っ!!!」

振り上げた拳が海道の頬に触れる直前、小柄な柴崎から発せられたとは想像もつかないような音量で響いた声に、すんでのところで留まった拳は震えている。

「それだけはいけません!!!」

ぎり、と噛み締めた唇から血が滲む。数日前から耐える様に歯型のついていた柔い肌は、遂に形を食い込ませて端から朱い滴を落とした。

「いいぜ、俺は。殴られようと構わねえ」
「…っ、……クソ野郎が…っ!!!」

感覚も無い程に何かを握ったのは初めてだ。こんなにも怒りを感じたのも。
殴りたくても殴る事など出来無い。生徒会長である前に、早乙女にも社会的な地位があった。それも、憎らしい事に、海道と同等の。
早乙女の俯いていた視線を顎に手をかけ上げさせた海道は、恋人に向けるような優しく蕩ける笑みを浮かべて、こう言った。

「嵩親、愛してる」

見開いた黒曜石色の瞳が、揺れる。
狂ってやがる。何が、愛してる、だ。

「殴ってお前の気が済むんならいくらでも殴ればいい。なあに、ただの痴話喧嘩だ。誰も咎めやしねえさ」
「…てめえは……、本当に………!」
「なんたって、俺の大事な大事な恋人だからなあ」
「ッ俺の何が気に食わねえんだ!?昔っからだ!散々突っかかってきやがって、視線を寄越せば気味の悪いもんばっかりで、…っ、俺が、大事にしてるもんは、ことごとく、」
「気に食わねえ?嵩親、そりゃあ勘違いしてるぜ」

細められた琥珀色の瞳と、同色の綿菓子の様に流れる髪が、近付いて。
薄暗い室内に居るというのに、表情どころか、心の内まではっきりと見える。

「ずっと愛してるんだ、お前だけを」

喉からたちまち水分が奪われていくような、そんな、恐怖が眼前にあった。何故気付かない?俺はずっとこいつの視線に、怯えていたというのに。

脚の力が抜ける。掴んでいたはずの胸元の手が、自然と垂れて、ただそれすらも離れる事は許さないと腕を、掴まれて。

「ほら、強請って見せろ。こいつらを救いたいんだろ?」
「っ……、………」

ごくりとからからの喉を最期の生唾が、流れて行った。


「た、のむ……、……ッ、かい」
「名前で呼べよ」

甘く甘く、蕩ける声が促す言葉が。

「………龍、慈……、処置を考え直してくれ、………」

この身を縛る確かな誓いとなる。


「対価は?」


考える様に瞳を閉じた早乙女は、心中で呟いた。
呪うなら、こいつの隣で産まれてしまった偶然だろうか。
早乙女を貶める為だけに絶望へと落とされた四人、自身を責めるにしたって、行き着くのは、生のそれだけだ。

ただ。きっと、こいつは俺が死ぬことすら許さないだろう。

こいつが死ぬ、その時まで。


「…俺、……自身だ」


愛とは幸福であると誰が言った。
此れ程までに恐ろしい感情の何処を、
笑って見詰めて居られるのだろうか。

なあ、教えてくれよ、海道。

お前を壊したその感情を。













「かいちょー、見て見て〜」

早乙女が会計の声に視線を落としていた書類から顔を上げると、何かのプリントの裏に描かれた人、の絵の様な。

「ぶっさいくだな。何だそりゃ」
「かいちょ〜の似顔絵」
「殺すぞ」

間髪入れずに返答すれば、怖い怖い!とはしゃいだ会計の声が返って来る。阿呆らしいとばかりに頭をがしがしと片手で掻いた乙女は、不意に隣へ置かれたティーカップを見遣る。

「カモミールティーです。お疲れの様なので」
「悪いな、助かる」

副会長は昔から気の利く奴で、毎回丁度良いタイミングでお茶を出してくれるのだ。一口啜ると、確かにリラックス効果でもあるのか、眉間のシワが少しばかり緩んだような気がした。

「そういや、風紀提出用の文化祭の書類何処行った」

早乙女がそう呟くと、コピーをする為に席を立っていたらしい書記に肩を叩かれて、指の示す方向を見ると、会計の人を馬鹿にしたとしか思えない落書きが描かれたプリントが有る。
まさか。そんなクソみたいな偶然がある筈が無いと会計からひったくったプリントを裏返してみると、案の定提出用のプリントだった。

「大事な書類で遊んでんじゃねえ!!!!!」

へらりと屈託の無い笑みを浮かべる会計に、早乙女から拳骨と怒号が飛んだのは言うまでも無い。


転校生が来る前の学園に戻った、そう断言できる程に、波風一つ立つことなく季節は秋を迎えている。副会長は気配りの出来る人間に、会計は子供らしさが残る愛嬌のある人間に、書記は口数こそ少ないが誠実な人間に。
寧ろ、あの事件があったからこそ、この三人は一皮剥けたと言ってもいい。

「嵩親、帰ろうぜ」

何か変化があるとすれば、海道と早乙女の関係性だろうか。

「龍慈、悪いが少し待っててくれないか?…この馬鹿が風紀に提出する書類に落書きしやがったんだ」
「ククッ、構わねえよ。なんだ、またしょうもねえ落書きか」
「ああ。今回は俺の似顔絵だとよ」
「あっはっは!あー、似てる、何と無くわかるわ」
「何処が似てんだオラ、俺はもっと男前だろ?」

生徒会室の扉を開けた、男、海道は肩を震わせてプリントの裏と早乙女の顔とを交互に見る。楽しげな姿に、早乙女が顔を寄せてどうだとばかりに男前を主張すれば、海道は破顔して、その頭を撫でた。

「そうだな、誰よりも男前だお前は」

海道の緩み切った表情に、早乙女は顔を逸らす。途端に、会計からは会長照れてる〜!と何とも見当違いな発言が飛び出すが、側から見ればそう映る様に、顔は逸らしたのだ。

ああ、なんて気持ちが悪い。

元通りどころか、上手く行き過ぎている現状に吐き気を覚える。こいつら三人の記憶だってそうだ。壊れた時のこと等何も覚えていなかったとばかりに、次に対面した時の笑顔が純なそれであったことが、酷く、恐ろしかった。

「嵩親?」
「…やっぱ、今日はいい。帰るか。おい会計、テメェは書類作り直して提出しとけよ、後で龍慈に小言言われんのは俺なんだからな」
「っえぇ〜!?」
「いつもいつもお前の面倒を見てやると思うなよ」
「ケチケチケチ〜!」

その言葉に先に部屋を出た海道を追い掛けるように、鞄片手に会計に釘を刺して、早乙女は三人に今日もお疲れさん、と一言だけ残して部屋を出る。

そうして信頼する生徒会長を見送った役員の三人は、いつもの様に無垢な笑顔で言葉を交わすのだ。

「会長と風紀委員長は本当にお似合いですね」
「・・・俺たちとは違ってな」
「ああやって釣り合ってる姿見るとほっとするよ」
「ええ・・あの事があるまでずっと、知りませんでしたから」

過去とは違う、羨みの瞳で。

=====

シャアアアと響く水音、湯煙が立ち込める室内で、背後から扉の開く音がする。ノズルを捻り湯を止めて、振り返ろうとしたその時にずしりと背中に重みを感じた。

「たーかちか」
「重てえんだよテメェ…」

両肩に腕を下げて、右の耳へと流し込む様に囁かれた名前に、じゃれ合うのが好きな奴だな、とほとほと呆れる。早乙女がこの男と制約を交わしてから、世間の目と、反抗心以外取り立てた変化は無かった。それは海道本人に、態度を変える必要は無い。お前が俺の恋人であるという事実さえ理解してれば後はそのままでいい、と言われたからだ。

「なあ、なんで顔逸らした?」

ドクリと胸が跳ねる。海道の顔がある右側とは反対側に又顔を傾けて、舌打ち交じりに呟いた。

「…言わなくてもわかんだろ」
「わからねえなあ。暴君な生徒会長様のする事なんてよ」
「本当面倒臭い奴だな」
「そりゃどうも」

ちゅ、ちゅ、と軽いリップ音が耳からうなじへと降下していく。こういう時は、好きにやらせておくのが一番良いので、早乙女は行為が終わるのを暫し欠伸混じりの表情で待った。

何が一番気味が悪いか、それは勿論海道本人だ。愛を述べた時にはタガが外れたイカれた野郎だと思っていたが、今こうして言葉を交わす分には事の前と変わらない。寧ろ意地の悪い笑みが消えて、態度は柔和になり、恋人を体現してみせている。

「ほら、背中洗ってやるよ」

離れた身体を名残惜しいと思うのは。
海道が必要以上に優しいからだ。

時折絆されそうになる。
恋人という甘い果実に。

不意に振り向いた早乙女に、海道はきょとんとした表情で小首を傾げて泡のついたスポンジをぱふぱふと手で遊ばせている。何故だか可笑しくて、早乙女は眉を顰めて笑った。がららと椅子をこちらに寄越した海堂に促されるまま腰掛ける。

「ぷっ、はは、…スポンジ、似合わねえな」
「…他人の背中は、洗ったことねえんでな」

悪かったなと不貞腐れたように述べた海道がまた可笑しくて、更に笑うと、じゃあお前はあんのかと問われる。早乙女は笑うのを止めて数秒思案するが、思い出せる限りでは似たような事すら無かった。そんな早乙女の様子に意地悪く微笑んだ海道は屈んで数度スポンジを泡立てて、ゆっくりと早乙女の背中を擦る。

「へえ、うまいじゃねえか」
「わかんのかよ」
「いいや、わからねえ」

海道も、早乙女も、立場は非常に似ている。誰かに背中を見せるという事すら、それが例え家であっても安心できないような、そんな立場に昔から二人は立たされていた。
こいつぐらいだ。と早乙女は考える。俺を正面から見ていたのも。俺を知っているのも。また、海道を知るのも、俺ぐらいだ、と。

その感情は同情に等しいものだ。わかってはいるが、考えずにはいられなかった。何が海道をああまでして、早乙女に執着させたのだろう。その答えをほんの少しだけ、知り得たような気がした。

背中を数度撫でる大きな手。スポンジ越しに伝わる温かい熱に、大きくスライドする心地良い動作はうとうとと、眠気まで誘われるようだった。











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