黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

守る



「名前ちゃん、彼氏いるんじゃん」
「へ?」
「この前男来てたっしょ」
「え?誰も来てませんけど」
「あれ〜名前ちゃん家の郵便受け見てたと思うんだけどなぁ」
「気のせいじゃないですか?」
「ま、遠目だったしそーかもな」

いつかのようにマンションのエントランスでたまたま会ったクロさんとそんな話をしたのは数日前。もしかしたらそれよりも前に予兆はあったのかもしれないけど、違和感を自覚したのはその頃からだった。

あの後、郵便受けに大量の郵便が入っていた。その中にはいつもならもっと早くに来ているであろう公共料金の領収書だったりがあって、不思議に思ったのは覚えている。
行き帰り、視線を感じるようになった。それは毎日じゃないけど、でも頻繁。帰りの暗い道、後ろから付けられてるように感じて振り返ることが増えた。

そして、今日。

"名前さんへ
よく一緒にいるあの男誰ですか?"

郵便受けに、それだけ書いた手紙が入っていた。真っ白な封筒に差出人は書いていない。
あの男?って誰?よくいる男の人なんて心当たりがない。でも私の名前が書いてあるから、人違いではないのだろう。住所も書いてないし切手も貼ってないから、直接ここに投函されたのはわかる。ぞく、と背筋が凍った。

それでもそれ以外特になにもないし、どうしようもできない。私はその手紙を片手にマンションのエレベーターに乗り込む。すると、男の人が走り込んできて思わず小さな悲鳴を上げてしまった。

「ひっ」
「ごめん、びびらせた」
「クロさん!」
「名前ちゃん見えたから一緒に乗せてもらおーと思って」
「び、びっくりしました…」

男の人がクロさんだとわかって安心した。けれどもさっき見た手紙で動揺しているのか、若干手が震えていて、それにクロさんは目敏く気付いてしまった。

「ごめん、こんなデカい男が走り込んできたらこわかったよな」
「え、いや、違います!ほんと!びっくりしただけで!」
「…いやー、マジで申し訳ない」


* * *


あれからまた数日経った。

"あの男は彼氏ですか?"
"別れてください"
"僕の方が名前さんのこと好きです"
"大好きです"
"あいつと別れろ"
"別れろ別れろ別れろ別れろ別れろ別れろ別れろ"

手紙は毎日届くようになり、"あの男"とは恐らくクロさんのことを言っているんだとわかった。たまにしか会わないけど、他に男の人と会ってないし。それでもこれを誰が書いたかはわからなくって、日に日に恐怖とストレスが溜まっていくのを感じる。
だけど、この手紙以外は特になにもないのだ。一応ネットとかで調べてみたけど、これくらいじゃ警察は動いてくれないみたいだし、耐えるしかない。

そして事態が起こったのは、最早毎日視線を感じるようになっている帰り道のことだった。

「あの」
「きゃっ」
「す、すいません」
「えっ、ちょっ」

後ろから急に手を掴まれ、振り向くと同い年くらいの知らない男の人が立っていた。

「はぁ…手紙…読んでくれましたか?」
「て、手紙」
「はぁ…毎日書いて…はぁ…名前さんの家に入れてるんですけど」
「わ、私の名前…どうして」
「はぁ…はぁ…郵便物、ちょっと見させてもらいました」

この人だ。郵便物見た?どういうこと?どうしてはぁはぁしてんの?ちょっと待って、腕痛い、力強い、目笑ってない、こわい。
目の前で起きていることが理解出来なくて、それでも確かな恐怖だけは認識してじわじわと涙が溢れてくる。

「僕…はぁ、この道で名前さんのこと見かけて…はぁ、一目惚れで…」
「は、離してください…」
「あ、あの男…はぁ、別れてくれました?…はぁ…僕の方が、名前さんのことずっと…」
「やめてくだ、」
「名前ちゃん?」

不意に名前を呼ばれて、反対側の腕をグイッと引っ張られて、男の手が離れた。

「ぼ、木兎くん、赤葦くん…?」

振り返るとそこには、前にクロさんの家で会った二人。

「…お知り合いですか?」

ただならぬ雰囲気を察してか、険しい顔で尋ねる赤葦くんに私は泣きながら首を振る。
赤葦くんはそのまま私を男から隠すように背中の方に手を引いてくれ、木兎くんは男の方に近付いて何か言っている。突然現れた長身の二人に動揺したのか、男の声は震えていて私には聞き取れなかった。

「あ、おま、逃げんな…!」
「木兎さん!…放っておきましょう」
「でも!」
「今は、名前さんの方が大事です」
「っくそ!…名前ちゃん、大丈夫?」
「う、うぅ…」
「黒尾さんに連絡したんで、そろそろ…」
「名前ちゃん!」

また誰かに名前を呼ばれた。走ってきたのはクロさんで、私の顔を見て顔を顰める。ボロボロと涙が止まらない私に、控えめにくしゃりと頭を撫でてくれながら「こわかったよな」と小さく呟いた。
後から聞いた話、赤葦くんと木兎くんはちょうどクロさんの家に向かっている途中だったらしい。それでさっきの現場を見かけて助けてくれたのだが、クロさんを呼んだ後は「今は男が沢山いたら怖いと思うんで、僕たちは帰ります」と言って帰ってしまった。

そして今私は、自分の部屋でクロさんと二人きりだ。今まであったこと、今日のこと、順番にゆっくりと話していると私自身も少し冷静になれる気がした。所謂ストーカーだったんだな、ってやっと自覚して、それだけで少し震える。こわかった。あの時、赤葦くんと木兎くんが来てくれなかったら。考えるだけで身震いする。

「ちょっと落ち着いてきた?」
「はい…」
「俺と二人の時ももっと警戒した方がいいと思うよ」
「えっ」
「何回も言ってるし、まぁ何もしないけど、名前ちゃん隙だらけだからな」
「…すいません」

今回ばかりは、クロさんの言うことに返す言葉もない。それでこんなに色んな人に助けてもらって、迷惑かけたんだから。

「で、今度こういうことあったら俺で良かったら聞きますし?」
「そんな…」
「お隣さんなんだし頼ってよ」
「でも…」
「Gが出たら乗り込んでくる名前ちゃんはどこ行ったわけ?」
「…す、すいません…」

そこで初めて、クロさんは少し笑った。私に気遣うように、控えめに頭を撫でながらニヤって、あの顔。

「今更?」

本当に本当に、クロさんって良い人だ。強張っていた体が少し解された気がした。
そしてこの日の赤葦くんと木兎くん、クロさんのお陰で私がストーカー被害に悩まされることはなくなった。


To protect


20.6.11.
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