黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

縋る



ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポ

「だーーーっうっせえ!」
「クロさああああ」
「え、ちょま、っ」

クロさんのお家に突撃、三度目。不意打ちタックルにより扉を開けた瞬間に倒れ込んだ玄関先で、クロさんは私を受け止めたまま尻餅をついた。

「名前ちゃん?ちょっと急に積極的すぎない?」
「助けてくださいいいい」
「え、なに、なんかあった?」
「ゴ!」
「ご?」
「ゴキ!…Gが!!出ました!!」
「Gかよ」
「一大事ですよおおおお」

なーんだ、と言わんばかりに鼻で笑うクロさんに半泣きで訴える。一人暮らしの女子の家に、虫。これはもう生きるか死ぬかの大問題だ。

「わかったわかった、わかったから、名前ちゃん」
「うう…」
「とりあえず離れません?」
「え…?」
「こんなに熱い抱擁、僕照れちゃう」
「!きゃあああああごめんなさいいい」
「ぶっ、ひゃっひゃっひゃ!うるせえ!」


* * *


「ほんと…ありがとうございます…あの、これ、お茶でもどうぞ…」
「ドーモ。無事見つかってよかった」
「鳥肌です…」
「最近暑くなってきたからなぁ」

仕事から帰ってきて、ああ疲れたとカバンを床に置き電気を付けた瞬間。部屋で黒い物体が横切った。私はその感覚を知っている。

あれはまさかいやでもそんな完全にアイツだ、どうしよう殺虫剤あったっけ…あるある洗面所の下の棚だ、えっでも私が倒すの無理でしょ無理無理絶対無理、でもじゃあどうするの…ああこんな時ほんと一人暮らしが嫌になる…誰か友達呼ぼうかでも今から来てもらったら何時になるか、そもそも来てくれる人いるかな、誰か近くにいる人いっそもう友達じゃなくても良いご近所さんとかでも…あ!!クロさん!!

「ってわけです」
「心境の再現ご丁寧にありがとう」
「クロさんいて助かりました…」
「俺は急に名前ちゃんに抱きつかれてびっくりしたけど」
「そ、それは…ごめんなさい…」
「いやいや、ご馳走様です」
「なんですかそれ」

思えば、クロさんが私の家に来るのは初めてな気がする。木兎さんが来たとき迎えに来たことはあったけど、あれも玄関先までだけだったし。自覚するとそれだけでなんだかドキドキする。クロさんが私の家にいる。やばい。

「てか今までどうしてたわけ?出たの初めて?」
「いやぁ〜そんな出ないですし…前回出たときは彼氏に来てもらいました」
「彼氏」
「はい」
「ちなみに今日彼氏は?」
「あ、もうだいぶ前に別れてます」
「よかった」
「よかった?」
「彼氏いる一人暮らしの女の子の家に上がるような男じゃないんで」

言いながら勝手にテレビを付けてチャンネルを吟味するクロさんは、初めての部屋だとは思えないほど寛いでいる。その様子だと今の発言の信憑性は薄いんじゃないですか。なんて言葉は、奴を倒して貰った感謝に免じて飲み込んだ。

「あれ、なにあれ」
「え?うわああああああ」
「!?名前ちゃん今日元気すぎじゃね」
「み、見ないでください…!!」
「なに…手紙?…"クロさんへ"」

それを読み上げると、ニヤァと分かりやすく口角を上げるクロさんは私の心境を分かってそんな顔をするのだろう。そう。クロさんが手にしたのは、私がSNSでのHNとして出していたファンレター。宛先はもちろんクロさん。こうしてお隣さんとして交流する前からずっと月に一回ほど出していたそれは、今回の分ももう切手を貼って出すだけの状態だ。

「これ、初めてじゃないよな。毎回この便箋で出してくれてる?」
「…はい」
「でもいっつも名前書いてない」
「…恥ずかしかったんで」
「そっかぁ、これSNSでのHNさんからだったんだ」
「…もおおいいでしょ!そんなニヤニヤしないでくださいよ!」
「これでも喜んでんだけど?」
「…絶対ちょっとからかってますよね」
「ないとは言えない」
「ほらぁ!」

匿名で出していた手紙の差出人が私だなんて、こうしてプライベートでも知り合ってから知られるとか結構キツい。恥ずかしい、穴があったら入りたい。
そんな私を無視して、クロさんはあろうことかその手紙を開けようとするから全力でそれを奪い取った。

「な…なにするんですか!」
「え?だって俺宛でしょ?もう出すだけだし。手間省けていいじゃん」
「ダメですよ!知られたからにはもうこれは出しません、処分です!」
「えっいや、それこそダメだろ」
「なんでですかぁ!だめ、恥ずかしい、無理」
「Gやっつけてやったの誰だっけ」
「…うぐっ…クロさん…」
「はい、手紙ちょうだい」
「で、でも……からかわないでください、よ」
「当たり前じゃん。俺毎回これ貰うのめちゃくちゃ喜んでますから」

そうやってクロさんが笑うから、私は渋々その手紙を手渡す。うう、恥ずかしい…。自分が書いた手紙を…ファンとしてだけど愛を込めた内容のものを、目の前で読まれるなんてなんて処刑…?
でも思ったより穏やかな顔でそれを読むクロさんの表情に、次第に少し落ち着いてくる。いや、恥ずかしいのは変わらないけど…ちゃんと私のファンとしての想いがこうやって届いてたんだって思うと、何か感動する…

しばらくして顔を上げたクロさんは、さっきみたいなからかい混じりの表情ではなく純粋に笑っていて、私の頭に手を置いた。

「ありがとな、名前ちゃん。まじで嬉しい」
「いえ…」
「今日のお礼ってことで、有り難く貰っとくわ」
「えっ、それ元々書いてたやつなのに…そんなんでいいんですか」
「大丈夫、先払いでハグまでしてもらったから」
「またそれ言う!」

からからと笑ったクロさんは、お茶を飲んでしばらくしたら「じゃあ帰るわ」と立ち上がる。そっか、帰っちゃうか…そうだよね、目的はとっくに果たしたわけだし。でも楽しかったなぁ。
玄関先まで見送る私はこの短い時間のことを思い返して、改めてクロさんが私の家にいる特別感を噛み締める。

「なーに、そんな顔しないでちょーだいよ」
「そ、そんな顔って…」
「寂しそうな顔」
「し!してません!」
「そんな全力否定しなくても。まぁ、あれだ…またGが出たら、俺んとこ来ていいから」
「…いいんですか」
「だって名前ちゃん今頼れる彼氏いないんでしょ」
「…まぁ…はい」
「その代わりってことで」

クロさんお得意のニヤリ笑いに、ドキッと胸が鳴る。あり得ないシチュエーションすぎてなんか動画の中のクロさんみたいだ…
そのままクロさんを見送り扉を閉めた後。私はその場にへたり込んだ。

「ファンサービスが過ぎる…」

今日もまた、ドキドキさせられてしまった。


To depend on


20.6.1.
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