黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

照れる



「あ、名前ちゃん」
「クロ!オ、さん!」
「ぶふっ…なにそれ」

私とクロさんが会うのは、いつも仕事帰りでのマンション内だ。エントランス入口で後ろから話しかけられて振り返れば、昨日ぶりのクロさんがいて、そのまま一緒にエレベーターに乗り込む。

「昨日はごめんな、迷惑かけて」
「あ、いえ!お陰でクロさんに会えたし!」
「熱狂的なファンか」
「熱狂的なファンです」
「そうだったわ」

ガサ、とクロさんの持つ買い物袋が音を鳴らす。パンパンに膨らんだそれは、アルコールの缶やおつまみが見え隠れしていた。

「宅飲みですか?」
「あ、そうそう…木兎とか…昔の仲間来てっから、今日うるさいかも」
「全然いいですよ、気にしません」
「ほんとかなぁ…名前ちゃんうるせーとすぐ壁に耳当てて盗聴してくっからなぁ」
「そ!そんなことしませんよ!」
「前科あんじゃん」
「もうしません!」

なんて言ってる間にクロさんのお家の前に到着して、そのまま「それじゃあ、」と言って別れようとしたときだった。荷物で手が塞がっているからかインターホンを押して内側から開けてもらったクロさんの家から出てきたのは、木兎さん。隣の家に入ろうとしていた私とばっちり合って、心なしか…目がキラキラしている気がする。

「あ!名前ちゃん!!」
「こんばんは、木兎さん」
「名前ちゃん今帰ってきたの?こっち来る?」
「え?…い、行きません」
「木兎、いい加減に…」
「なんで!おーい!黒尾の彼女も呼んでいーい?」
「え、ちょ、木兎さん」

相変わらず賑やかな木兎さんは昨日から何故か私をクロさんの彼女だと信じ切っていて、私とクロさんの否定も意見も聞かず部屋の中に向かってとんでもないことを叫んでいる。
そしてそのまま勢いで、私はクロさん家の宅飲みにお邪魔することになっていた。


* * *


「名前さんって黒尾さんとどういう関係なんですか?」
「お隣さんです…」

この場にいるメンバーがどういうご関係なのか、私だって聞きたい。今わかってる情報は質問してきたのが赤葦さん、そしてもう一人これまた身長の高いお兄さんが月島さんということだけだ。部外者の私がいるのに嫌な顔されなかっただけ良かったけど、それでも一人アウェイな状況は変わらず手元のアルコールを喉に流し込むことに集中する。

「黒尾さんってお隣さんにまで手出してるんですか?」
「ちょっとツッキー人聞きの悪いこと言わないでくれる?」
「でも確かに普通のお隣さんとはここまで仲良くなりませんよね」
「いやあの、私たち名前しか知らないです」
「なのに名前ちゃん呼び」

二人ともドン引きしたような顔でクロさんを見るので、クロさんチャラい疑惑を晴らすため昨日あった出来事を話すと今度は気の毒そうな顔をされた。

「ていうか今日も木兎さんが落ち込んでいるっていうからこうして集まったのに、本人寝てるし…」
「あ、ほんとですね…静かだと思ったら」
「ま、いーじゃん、木兎いねーとお前らに会う機会ねーし」
「皆さんはどういったご関係なんですか?」
「名前ちゃんには内緒」
「え!どうしてですか!」
「だって名前ちゃん、俺の情報聞き出して悪用するかもしんねーし」
「そ、そんなことしません!」
「どーだかなぁ」
「………名前さんって黒尾さんのストーカーか何かですか?」

結局皆さん当たり障りのないことしか話してくれず、私の中の情報は更新されないままだった。解せぬ。


* * *


いつもと違う匂いがする。ゆっくりと重い目蓋を上げてそろりと首を捻れば、

「!?」

ものすごい近い位置で、クロさんと目が合った。

「やーっと起きた」
「え…」
「みんな帰ったけど、名前ちゃんどーする?」

そう言われて段々と状況を把握する。どうやら私はクロさんのお友達との宅飲みに参加させてもらって、そのまま寝落ちたらしい。床で寝てしまった時独特の体の軋みに耐えながら起き上がれば、肩から滑り落ちるブランケット。

「これ…ありがとうございます…」
「名前ちゃんがあまりにも気持ちよさそうに寝てっから、起こすに起こせなくて…でもさすがにそのままじゃ風邪ひくっしょ」
「えと、どれくらい寝てました?」
「1時間くらい?」
「そんなに!?」

うわぁ、申し訳ない…でもみんな帰っちゃってるってことは、それくらい経っててもおかしくないのかな。転がっていたビール缶やらは全て片付けられて綺麗になった部屋に、クロさんと二人。きっと時間ももうだいぶ遅いのだろう。起きたてでまだ回転しきってない頭で必死に考える。と、とりあえず帰らなくちゃ。

「ほんとすいません、ご迷惑おかけして」
「いーえ、全然。こっちが無理やり引っ張りこんだようなもんだし。てか飲みすぎた?大丈夫?」
「えと、大丈夫です」
「なんかペース早かった気ィするけどいつもあんななの?」
「だって…私が余計なこと言って、クロさんの動画のこととかバレたらって思うと何話していいかわからなくて…」
「あー…あいつら知ってるよ?」
「え!?そうなんですか?」
「うん。まぁちょっと色々あって、割とすぐバレた」

なんでもない風に告げたクロさんに、脱力する。なあんだ。変に心配しなくてよかったのか。

「あ、それじゃ、私にバレちゃったってことは…」
「それも、名前ちゃんが寝てる間に話した」

…ということは、寝てる間に私のストーカー疑惑も晴れたらしい。いやきっと、あの人たちはそんなこと本気で思っていなかっただろうけど、散々そうやって弄られた数時間前を思い出すとやはり安堵の息を漏らした。

「にしてもさ、名前ちゃん」
「え、はい」
「前にも言ったけど、今の状況、ちょっとは危機感持とうか」
「?」
「こんな夜中に、酔っぱらった名前ちゃんと俺が二人きりな状況」
「でも、クロさん何にもしませんよね?」
「…んー、でも」
「わわ、」

ぐい、と引っ張られてバランスを崩した先は、クロさんの胸の中。そのまま背中に腕が回ってきて、途端にクロさんの、男の人の匂いでいっぱいになる。どくどくどく、って速すぎるくらいの胸の鼓動がきこえる。これ、私の?…それとも、クロさんの?

「クロ、さ」
「俺も酔っぱらっちゃってるから。わかんねーよ?」
「あああ、あの、」
「…どもりすぎでしょ」
「キャ、キャパオーバーです…」

そのあとクロさんはすぐに腕の中から解放してくれて、覗き込んだ私の顔の赤さにまた思いっきり噴き出していた。そんなに笑わなくてもいいじゃないか。一通り笑ってそれが収まった頃、「じゃあそろそろ帰りますか」なんて言って玄関まで私を送ってくれるときも、やっぱりちょっと笑ってた気がする。

「名前ちゃんの寝顔見てたら、可愛いなって思ってつい」
「も、もう!からかわないでください!私が他の人にバラしてもいいんですか!?」
「んー…そうなったらクロも引退だな」
「ええ!?それはやです…」
「ぶふっ…じゃあ秘密ね」
「クロさん、私で遊んでますね?」
「バレた?」

そう言って、悪戯っ子みたいな顔でまたクロさんは笑う。いつにも増して楽しそうなのは、やっぱりアルコールの力なのだろうか。靴を履いて、思ったより力が入らない自分の体を感じながらそんなことを考える。まあ、いっか。クロさんが楽しいなら何でも。

「名前ちゃん」
「はい」
「鉄朗っていうの」
「は?」
「俺の名前。黒尾鉄朗」
「え、なんで…いいんですか?私に教えちゃって」
「だって俺だけ名前ちゃんの名前知ってるの、フェアじゃないでしょ」
「…そんなもんですか?」
「うん。呼んでみていーよ」
「えぇ…て、鉄朗…さん?」
「照れてんじゃん」
「う…照れますよ、そりゃあ」

なんて言うと、クロさんはまた意地悪な顔でからかおうとしてくるから。私は急いで別れを告げてその扉を開けたのだった。


Be shy


20.4.30.
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