黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

攫う



※Let me宮侑Ver
※黒尾は出てきません


朝起きて、必ずすること。

「わっ、更新されとる!やった!」

顔を洗うより、ご飯を食べるより、何ならベッドから出るよりも先にやること。

「うっわしかもこれ!この前の続きやん!?え、ちょ、やばいやばいやばい……これはツムくんイケメンすぎる!」

シチュエーションボイス動画投稿者、ツム。この界隈では結構有名、ファンも多いツムくんを私が好きになったんは、前の最推しが動画投稿を引退してしまい絶望に明け暮れ取ったときやった。

声もシチュエーションもライブ配信なんかでの話し方も、前に推しとったクロくんとはまた全然ちゃうねんけど……でも俺様キャラかと思ったら活動に対する姿勢は結構真面目やったり、たまにしっかりしたこと言うたか思えば子供っぽい一面も持っとったり、多種多様なシチュエーションに適応する高い演技力やったり……色んな顔を見せてくれるツムくんに落ちる女子はほんま山ほどおる。それもあってツムくんが今現在界隈トップの投稿者といっても過言じゃない。

朝起きて新しい動画があがっとったときの興奮はそりゃあ凄まじくて、今日も無事耳が蕩けるくらいの甘ぁいツムくんの声と共に私はベッドから抜け出す。

「あっ!SNSにもコメントしとこ!えーっと、"今回も最高でした、今日も一日頑張れそうです"……と!」

もう一つのルーティーンであるSNSチェックも終えた私は今度こそ準備をしようと動き出した、時やった。ピロン。今さっき閉じたばっかのSNSの通知音が鳴って、私は反射的にまたアプリを開く。そんで、それを見て……

「えっ!!?ちょっと待って!?!!?」

絶句した。
手元のスマホには、私宛のリプが付いてることを示す通知。その相手は、ほんままさかの……ツムくんで。

「"SNSでのHNさん、いつもありがとさん!今日も一日頑張ってな!"」

それを読み上げながら私の手はぷるぷる震えて、それで……「うそやんほんま!?ほんまにツムくん!?え、嘘、待っ……いやほんまや!ほんまにツムくんや!嘘ぉ!え、どうしよ、どうしたら良い!?私どないすればいい!?」泣いた。
だってこんなん泣くやん。泣くしかないやん。感情の正解が分からんくてお手上げやん!

世界中の誰とでも、知らん人でも有名人でも繋がれるのがSNSのええとこ。それは分かってるけど、でもまさかほんまに返事が来るなんて思わへんやん!?今まで貰ったことないし!
確かにツムくんは気紛れでリプを返してるときがある。いつも返してもらってる子見てええなぁって思ってたもん!私も一回でもええから……って。
あかん今日は頑張れる通り越して死ぬ……いやでも頑張らんと、推しが頑張れ言うてくれたし……!

よっしゃ!って一人ガッツポーズをした私は、いつもより気合を入れて取り敢えず顔を洗いに洗面所へ向かった。


* * *


「はああつっかれた……」

足パンッパン!もう今日は一歩も動かれへん、無理!
帰ってきて早々スーツに皺がつくのも気にせずベッドに倒れ込んだ私、時刻はもうてっぺんを回ってる。めっちゃ疲れた。朝からテンション高めにしとったんに、なんと午後に入ってトラブルが発生した仕事は定時を過ぎても終わらへんくて……この時間。

勢いのまま明日は休みます!なんて急遽有給をとらせてもろたからもう今日はこのまま寝てまおか、ああでもメイク……って目を閉じかけた時。ベッドに面してる壁の向こうから、なんかでっかい物音が聞こえて思わずビクリと肩が跳ねた。

「え?なに?」
「……ぁ……すまん、…………いや……」
「、?」

隣の人、何か落としたんやろか。下の人から苦情とか来んかったら良いねぇ、なんて呑気なことを思いながらも何となく気になって、その壁をじっと見つめる。微かに何か聞こえるけどでも何て言うてんのかは分からへん。

電話してんの?それとも誰かとおる?こんな時間に?
今まで気にしたことのないお隣さんの存在が気になんのは、なんでなんか。
さっきまで一瞬で寝そうやった目はパッチリ冴えてしまい、ゆっくりゆっくり……その壁に、耳を当てる。それは、出来心やった。

「……今日もお疲れさ…………ツムでした〜……」
「えっ」

考えるよりも先に身体が動いた。ベッドの上に転がってたスマホを開いて、SNSを確認する。ツムさんの配信、今終わった……!え、てか配信やってたん気付かんかったショック……やなくて!!もう一回壁を見る。今の聞き間違いちゃう?……ツムって、言うた?

疲れすぎて、頭がおかしなったんやと思う。だってそうじゃないとおかしいもん。こんなふうに思うのん、……おかしいもん。震える手で今の配信のアーカイブを開いて、いっちゃん最後まで早送りして……

"ほんなら今日も一日お疲れさんでした!みんなおやすみ!ツムでした〜"

ドクン。ドクン。今の声。毎日アホってほど聞いた声。さっき微かに聞こえてきた、声。ドク、ドク、ドク……
うるさいくらい跳ねる胸を押さえて、でも内心は今日の朝ツムくんからリプが返ってきたときに似た……ううん、それ以上に興奮してる。どうしよう。もしかして、このお隣さんって、……ツムくんやったりする?

自分でもやばいのは分かってる。普段の私やったら絶対にこんなことしやん。せやのにこんときの私は、気付いたらスマホと鍵だけ持って自分の家を飛び出して……そんでお隣さんのインターホンを押しとった。

「……………」

……出やへん。こんな時間やもんな。それか気のせい?せやったらどうしよ、通報されたりしやん?……今の今で寝たってことはないと思うんやけど。
ドッドッドッドッ。落ち着いてるんか落ち着いてないんか、インターホン越しの反応がなんも返って来おへんくてちょっと冷静になるけどやっぱり心臓は飛び出してしまいそうなくらいに速く鳴ってる。

いやでも……うん、あかん。帰ろ。これは不審者やわ。って踵を返したとき……

「はい?」
「!」

ゆっくりと開いた扉。チェーン越しに合った視線。私よりも遥かに背の高い、男の人。

「こんな時間に何?」
「あっ……う、あ……」
「え、なに?こわいこわい、もしかして幽霊!?」
「……ムくん」
「?」
「ツムくん、ですか?」
「……は」
「ツムくん、ですよね!?」
「えっちょ、?」

私を見下ろして怪訝な表情をしたお兄さんは、"ツムくん"という名前に反応して目を見開く。そんで「!?」バタンッ!!!!って扉が閉まった。あれ。閉められた。そりゃそうか、ちょっと今のは怖すぎやんな。あ、私終わった?逮捕?って物騒な単語が頭をよぎると同時にもう一回扉が開いて……

「わっ!!?」

勢いよく手を掴み引っ張られた私は、扉とツムくんに挟まれて。い、家引っ張り込まれた……?え、なんで?とか思わなあかんのかもやけど、実際私の頭ん中はツムくんがおるツムくんが私の手を掴んだツムくんの胸板ツムくんの匂い!ってそれしかない。

「……ちょお、君」
「は、はいっ!」

ひっくい声で呟いたお兄さんが、ゆっくり私の顔を覗き込むようにして目を合わせてきたその距離に息が止まる。あ、やばい。めっちゃイケメンやん。

「……え、誰?ほんま何?こわ、え、こわいねんけど」
「あ…………」
「ストーカー?いやいやいや勘弁してや、しかもこんな時間て……取り敢えず警察、」
「あ、いやその、私、隣の者です!」
「…………は?」
「ここの隣、の、苗字、です」
「……お隣さん?君?」
「は、はい……」

慌てて言うたんは、間違いちゃうかったと思う。そんくらいお兄さんの威圧感は凄くて、黙ってたらほんまに通報されてるとこやと思ったから。
私の言葉を聞いたお兄さんは目をまん丸にして一瞬フリーズした後……今度はさっきと全然違う感じで慌て出した。

「え、なに……ぁあっ!もしかして声喧しかった!?うっわすんません、気をつけとったつもりやったんですけど!」
「へ……あ、いや……」
「うわまじ、もうちょい防音なんとかならんのかなここ……いや今そんなこと言ってる場合ちゃうか、ほんますんません、次からは気をつけますんで、」
「あの!」
「……へ?」
「ツムくん、ですよね!」
「な、……そういえばそれなんで」
「私、ツムくんの大ファンなんです!あ、今日のこれ!めっちゃ嬉しかったです!」

ずい、と目の前に出したんは、今日の朝ツムくんから返事が返ってきたSNSの投稿。記念すべきそれは消えないようにスクリーンショットまでして残してある。

「へ……SNSでのHNサン……?え、自分、SNSでのHNサンなん?」
「え、……えっ!?も、もしかして認知してもろてる!?」
「えっ嘘やんガチで?え、なん、隣に俺のファンが住んどるとかどんだけの確率!?」
「やばい、え、どうしよこれ夢ですか?ドッキリ?」
「……ドッキリなん?」
「いや、私側はマジですが」
「俺もマジやで、多分SNSでのHNさんの言うとるツムが俺……」
「……すごおい」
「もうちょっとましな感想ないんかい、さっきまで騒いどったくせにいきなり静かなるやん」
「ちょっと訳わかんなくなってきました……」
「ぶはっ……なん、自分オモロいなぁ!」

ツムくん、笑った!っていうかよう考えたら今私、ツムくんに壁ドンならぬドアドンされとる?声だけちゃうくてイケメンで背高くて、そんでそんで……

「あー……他のファンに絶っっっ対言わへんなら、入れたってもええけど」
「え?」
「中むっちゃ見とるから入りたいんかなぁって」
「え、ええんですか?」
「……ええけど、こんな時間に知らん男の家入って……どうなっても知らんで?」
「は……」

にやりと不敵に笑ったツムくんは、私の耳朶をふにふにと触りながら言う。そんなん……えぇ……?
大好きな声が、そんな色気しかない台詞を私に投げかけたら……私はこの後、どうなっちゃうんやろう。



To kidnap


21.08.24.
title by 草臥れた愛で良ければ「おとぎの世界だっていい」
2021's 819 day 突発リクエスト企画より
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