黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

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「名前ちゃん、なんか顔色悪くね?しんどい?」
「え?そ、そうかな」
「ん。ちょいこっち来て」
「わ……」
「んー熱はなさそう……いやちょっと熱いか?体温計どこやったっけ」
「いやいやほんとに大丈夫!元気だよ!」
「んなこと言ってもなぁ」

ある日曜日の朝。ベッドから出られない私を見て、先に起きていた鉄朗がもぞもぞとこの温もりに戻ってくる。ぴたりとおでこに添えられた手は冷たくて気持ちいけど、でも熱がある時のそれとは違うような。抱き締められて身を捩ると鉄朗は更にぎゅっとその力を強めて、それに昨夜の情事を思い出して恥ずかしくなる私はいつまで経ってもこうやって迎える朝に慣れない。

「んんん、てつろ、苦しい」
「えー?んなこと言って嬉しいくせにぃ」
「…………」
「ぶはっ、黙っちゃったらわかりやすすぎじゃん。名前ちゃんは可愛いねぇ」
「今のは馬鹿にしてるでしょ!」
「してないしてない」
「ねぇ鉄朗、服とって」
「お、今のえっち」
「いちいち揶揄わないでくださーい」

言いつつ、なんだか自分でもちょっと身体が重い気がして伸ばした手はすぐにまたぱたんとシーツに落ちた。
鉄朗は「しょうがねぇな〜」って言いながら、起きた時に端に避けてくれていたたんだろう、昨日一瞬だけ着ていた私の部屋着をとってくれる。

大人しくそれを受け取って掛け布団の中でモゾモゾと身につけた私は、また身体の力を抜いてベッドに横たわる。なんとなく、ほんとになんとなぁーく身体が熱いような。
考え出したら胃もムカムカしてきた気がして、あれっもしかしてほんとに体調悪い?昨日まではそんなことなかったのに。

「これはもしや昨日俺が無理させ過ぎたせいかな〜つって……あれ、名前ちゃん?結構まじのやつ?」
「んんん……」
「服着ないで寝たから風邪ひいた?ちょ、体温計とってくるわ」

鉄朗が持ってきてくれた体温計で熱を測ってみるけど、ほんとに微熱……誤差の範囲くらいで。それを確認した鉄朗は私の顔を覗き込んで、大きな手がゆっくりと頬をなぞった。
擽ったいその感触は昨日の夜も感じたもの。だけどもう今はそれどころじゃない。しんどいと思ったらほんとにしんどくなるやつだ、これは。ぐでんと寝転がったままその手を取って握るけど、鉄朗は握り返してくれなかった。心配そうな表情のまま、「なんか食えそ?」って聞いてくる。

「んー……多分?」
「お粥でいい?とりあえず作ってくるから、食えそうだったら食おっか」
「うん……ごめんね」
「はい、気にしなーい。今日が日曜でよかったじゃん?家でのんびり過ごして早く治そうぜ」

そう言って部屋を出て行った鉄朗の背中を見送り、私はサイドテーブルに置いてあるスマホを取った。何となく、今の症状を打ち込んで検索をかけてみる。
出てくるのはやっぱり風邪とかそういうもので、でもその中に

「え……?」

"妊娠"の文字。妊娠って……妊娠?赤ちゃんができるやつ?
その文字を認めて、どきりとする。あれ、私最後に生理きたのいつだっけ。いつもそんなに定期的ではない、けど……もしかして結構遅れてる?

鉄朗とは結婚してるんだからそういうことを致すことも勿論あって、っていうか今日の起き抜けの格好を見てそれはお察しだ。避妊はしてたりしてなかったりまちまちだし……できてもおかしくはないんだけど。

いきなり色んなことが思い浮かんで、一気に色んなことを考えて、汗が滲んでいく。え、どうしよう。これどうしたらいい?鉄朗に相談?あ、いやでも本当にそうと決まったわけじゃないし、まず病院……いや、検査薬?ええ、どうしよう。

「名前ちゃーん、出来たけどどうする?」
「あ、うん、食べ……ぅ、」
「え?」
「っ……と、トイレ……!」

作ったお粥を持ってきてくれた鉄郎がドアの隙間から顔を出した瞬間……ふわりと漂ってきた香りに私は飛び起きた。
驚く鉄朗に大したフォローも出来ないまま、一目散に駆け出した私の目的地はトイレで。

「うっ……ごほ、ぅ、え……」

……やっちゃった……戻してしまった。水を流して洗面所で手を洗っていると、ちょっと焦ったような鉄朗がやって来る。
さっきよりはマシだけどまだムカムカとするお腹を押さえて、私はふらりと壁に手を付いた。
鉄朗がそんな私に寄り添い、遠慮がちに腰に手を回す。仕方ないとはいえ急に戻してしまった気まずさで、私は顔を上げられなかった。

「大丈夫?ちょっとヤバいな、もっかいベッド行こっか」
「ん……」
「無理してあれ食わねえでいいから、何か名前ちゃんの食えそうなモン買って来るわ。ゼリーとかならいけそ?他になんかいる?」
「…………あの、」
「ん?」
「もう一個、買ってきて欲しいものあるんだけど……」
「全然買って来るけど、」
「……妊娠検査薬、なんだけど……」
「………………え?」
「…………検査薬……買ってきて欲しい」

一拍の沈黙が、永遠のように感じる。鉄朗の顔が見れない。

「…………そういうこと?」
「まだ、分かんない……けど……生理とか遅れてて」
「……よし、すぐ行って来るから名前ちゃんベッド戻ろ。ゆっくりでいいから、歩ける?」
「大丈夫、ありがとう……」

言おうか迷って、言ってしまった。まだ可能性でしかないのに言わない方がいい、そう思ったはずなのに、理由のわからない不安が私を襲ってこれを一人で抱え切ることが出来ないと思ってしまったから。
優しくぽんぽん、と頭に手を置いた鉄朗は、そのまま私を支えてベッドまで戻ってくれる。

「駅前の薬局早いからもう開いてっかな……いやでもあそこ遠いし、先にコンビニ寄って近くの薬局開くの待った方が早いか、」
「ご、ごめん鉄朗」
「謝んないでいいから、な?すぐ帰ってくっから名前ちゃんは寝といて?」
「……うん」
「ちゃんと安静にしといてネ」

多分いつも通りを意識して、にやりと笑った鉄朗はめちゃくちゃ過保護だ。静かに閉められた扉を見つめ、私はほうっと息を吐いた。でも嬉しい。スマホで見た妊娠の二文字が思ったより自分に重くのしかかってそわそわと落ち着かない心を、いつも通り落ち着いた口調の鉄朗が落ち着かせてくれたみたい。

まだ分からないのに、勘違いでしたってなったら恥ずかしいのに、でも朝起きてすぐのときとはもう全然違う自分のような気がする。ここに、赤ちゃんがいるかもしれないんだ。

もしできてたら……どうしよう。鉄朗は喜んでくれるかな。
触っても何も変化は見られないお腹をするりと撫でて……そして私はゆっくりと目を閉じた。



「あ、起きた?」
「!」

瞼を上げて、一番に視界に飛び込んできた鉄朗。ずっとこうしていたのかたまたま顔を覗いた瞬間だったのか……至近距離にある顔に驚くと、「あとちょっと起きなかったら寝込み襲っちゃうところだったわ〜」なんてニヤリと笑うからペチンとその腕を叩いた。

寝ちゃってたんだ、どれくらい経ったのかな。そんな私の疑問はお見通しだという風に、聞かずとも「大丈夫、俺今帰ってきたばっかよ」って答えが返ってくる。
スマホの時計を確認すると本当に全然時間は経っていなくて、かなり急いでくれたのが分かってまた嬉しくなった。

「何買ったの?」
「えー、めちゃくちゃ買ってきましたよ。食えそうなもん片っ端から買ったからしばらく買いもん行かなくていいわ」
「ふふっ、ありがと」
「あとこれ」
「あ……」
「どーする?後にしてなんか食う?」
「ううん……先やってきてもいい?」
「ん。じゃあ、俺ここで待ってんね」

手に乗せられた妊娠検査薬の箱。パッと見は体温計みたいに描かれたそれは紛れもなく私のお腹の中に赤ちゃんがいるのかいないのか知れるもので、そう意識した途端バクバクと心臓が速くなる。
なんだろう。こわいとかじゃないけど、でもまだ嬉しいとかでもない、変な緊張。

きっと表情からして硬かったんだろう、不意に鉄朗の手が伸びてきたと思うとぐにゃりと頬を摘まれた。

「不安?」
「ん……不安、っていうか……どうなっちゃうのかなっていう……うまくいえないんだけど、」
「俺は、名前ちゃんとの子供はすげえ可愛いと思うし、ぜってぇ可愛がると思う。だからめちゃくちゃ楽しみ」
「…………」
「でもできてなかったらまだ二人の時間を楽しめるわけじゃん?それはそれでめちゃくちゃ嬉しいし、結局どっちでも嬉しいわけ」
「て、てつ」
「体調悪い原因が分かればラッキー、ぐらいのつもりでやってきたらいいじゃん。その後のことはまぁ、そん時一緒に考えましょうや」
「っ、」
「あーあー、なんで泣くの」
「ふっ……あり、がとぉ……」
「ドウイタシマシテ」

原因不明の不安とも言えないモヤモヤ。それが一気になくなったような、そんな感じだった。鉄朗はいつも私のことを考えてくれて、欲しい言葉をくれて、……それでいつも救ってくれる。
例え鉄朗にそんなつもりがなくたって、それは私にとって魔法の言葉なのだ。すごく重く感じた検査薬の箱が、今は全然軽い。そうだよ。後のことは、その時考えればいいんだよ。だってその時鉄朗は隣にいてくれるはずだから。

「じゃあ行ってきます」
「うん」

ドキドキと鳴る胸を押さえて、私はその箱をぎゅっと握った。


* * *


ふう、って息を吐く。手に持ったそれを何度も確認しながら鉄朗が待つ部屋に戻ると、さっきと変わらず同じ、ベッドサイドに腰掛けた鉄朗が優しい笑顔で迎えてくれる。
私はそんな鉄朗に促されて、鉄朗の足の間、後ろから抱き込まれるようにして座った。

「おつかれ」
「あ、ありがとう」
「……どうだった?」
「ん、これ……」

鉄朗に見せたそれは一応って透明のビニール袋に入れて持ってきたけど、それを持つ手は微かに震えていた。こわいからじゃない。不安だからじゃない。じゃあこの気持ちは、なんて言うんだろう。

それを見ている鉄朗の沈黙が怖いだなんて。だけどそれも一瞬で……すぐに鉄朗は嬉しそうに笑う。

「……おめでとう、名前ちゃん」
「っ、ぅ、」
「あっ、え?これってそういうことだよな?おめでとうで合ってるよな?」
「う、んっ……」
「え、どうしよ……今すっげー嬉しいんですけど」
「っ……っ、て、てつろぉ……っ!」

ぎゅうって私を包む体温に遂に涙腺は決壊した。赤ちゃん、できてた。私と鉄朗の赤ちゃん。その響きだけでかなりの衝撃で、先ほどまで過程で話してたのとは全然訳が違う。
子供が、できるんだ。私、お母さんになるの?ってことは鉄朗はお父さん?そんなの、

「鉄朗パパ、絶対かっこいいに決まってるじゃんんん」
「ぶはっ……っ、え、なに、……っ、どゆこと?」

我慢出来ずに漏らしてしまった本音は流石に予想外だったのか、鉄朗のツボに入ったらしい。私を抱きしめながら身体を揺らして笑う鉄朗のヒィヒィと苦しそうな息が私の耳にかかる。

「鉄朗がパパ?そんなの絶対かっこいい……私パパと結婚するが出ちゃう、大人になってもずっとそのまんまだよママより私の方がいいよって鉄朗とられちゃう」
「ぶひゃひゃひゃひゃ!な、なに、気ぃ早くね?てか女の子確定?」
「男の子だったらパパみたいになる!ってやっぱりべったりになるでしょ?それも羨ましいし結局とられる……」
「ひっ……ふ、くく……も、やめて、名前ちゃん……しんど………」
「本気なのに!」
「それが面白いんだって……!」
「それに鉄朗が」
「はいはい、すとーっぷ」
「ぶふっ」

後ろから片手でガシッと両頬を掴まれて、唇を突き出したみたいな形になる。きっとかなり不細工なこの顔を見られないのだけが救いだけれど、そもそも奥さんに向かってこれはひどくないですか鉄朗さん。

「はにふんほ」
「ぶ、くくっ……だって名前ちゃん暴走してたから」
「ほうほうはんへひへはいほひ」
「ふっ……まぁまぁ、俺の話も聞いてちょーだいよ?」

そう言って、やっと少し落ち着いたのか鉄朗は大きく息を吸った後やっと手を離してくれた。

「女の子だったら絶対名前ちゃんに似て可愛くなるし、男でも名前ちゃんの素直で優しいところは遺伝して、また誰かを守れるような子に育って欲しい」
「て、鉄朗だって気が早いじゃん」
「ぶはっ……確かに。うん、まぁ、」
「?」
「どんな子でもいい。俺と名前ちゃんの子に早く会いたいな」
「う、うん……私もっ」
「ありがとうな」
「えっ」
「俺をお父さんにしてくれて、俺達を家族にしてくれてありがとう」
「き、気が早い、よ」
「また泣く?」
「泣いちゃうじゃん」
「泣き虫なお母さんデスネ〜」

って。いつも泣かせて来るの、鉄朗じゃん。確信犯のくせに。
柔らかい声が私を呼んで、振り返ればちょびっとだけ出た涙がポロリと落ちる。それを見てまた小さく笑った鉄朗が私を見上げて目を細めたのに、うまく言えないけど胸がギュッてなった。

「……お母さんになっても、私は鉄朗の奥さんだよね」
「ん?うん。いつまでも名前ちゃんは俺にとって可愛い女の子のまんまです」
「私もクロさん大好きだよ」
「え。クロ?え?鉄朗くんじゃなくて?」
「ふ、ふふ、鉄朗くんも大好き」
「"も"って何!?」
「ふっ、ふふふ、」
「ちょっと何誤魔化してんの名前ちゃん!?」

いつまでも、笑いが絶えない家族になれたらいい。どんな子でもいい、どっちに似ても良い、元気に会えたらそれだけでいい。鉄朗と一緒だったらどんなことも乗り越えていける。
そう感じた今のこの気持ちを、いつかお腹の子にも伝えてあげられたらいいな。


Dream


21.06.19.
title by ユリ柩「やさしさの樹でつくられた」
200,000 hit 企画より
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