黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

眩う




「う、わぁ!綺麗!見てみて鉄朗!」
「見えてる見えてる」
「すごーい!やっぱ一番いいお部屋にして正解だったね!」
「そりゃまあ…つーかこれでほんとに良かったの?」
「もう、また聞くの?温泉鉄朗も来たかったでしょ?」
「いや行きたかったけど、新婚旅行で行くつもりではなかったっつうか名前ちゃん普通に海外行きたいって言うと思ったんだけど」
「鉄朗と一緒だったらどこでも楽しいです!」
「そ?」

緩く笑った鉄朗は、私の頭を撫でた。あ、今喜んでるな。私の髪が鉄朗の長い指に絡まって、でもすぐにするすると落ちていく。気持ち良くて目を閉じると、また鉄朗が笑ったのか空気が振動するので伝わった。

今日は鉄朗との初めての旅行。というか、新婚旅行。先日無事に結婚式を終えた私達はそれまで毎日のように忙しく過ごしていたのを癒す目的で国内でも有名な温泉街に来ていた。
新婚旅行は日本を飛び出して南の国へ…なんて憧れもないことはないけれど、正直鉄朗と一緒ならどこでも嬉しい。それにこれが二人での初めての旅行だ、どこでも楽しいに決まってる!

二人で宿や交通手段について調べるのも、観光雑誌を見ながらココに行きたいアレを食べたいと予定を立てるのも、全部楽しかった。
通された二人で選んだ部屋の畳に寝転がれば、荷物を置いた鉄朗も私の隣にあぐらをかいた。

「まだ夕飯まで時間あるけど、この辺ぶらぶらする?」
「んー、明日も明後日も時間あるしなぁ」
「名前ちゃんが行きたいとこ全部回ろうと思ったらいくら時間あっても足りねえんだけど?」
「えへ」
「……ま、ちょっとゆっくりするかぁ」

ごろん。鉄朗も後ろに倒れて、私と並んで仰向けになった。わぁい、とそれに擦り寄ると、鉄朗はガバッと私を包み込む。

「つっかまえたー」
「ふ、ふふ、捕まった」
「何します?」
「え?ゆっくり?……んっ、」

一瞬にして触れるだけのキスを落とした鉄朗がニヤッと笑う。もう、ずるい。

「なぁ名前ちゃ、」
「失礼します〜」
「!」
「!」

ノックと共に外から聞こえる仲居さんの声。私と鉄朗は慌てて起き上がり、その拍子に鉄朗は壁に足をぶつけていた。


* * *


「お料理美味しかったね」
「な。旅館の飯って何でこんなに美味いのかね〜」
「ほんと、毎日食べたい!」

結局今日は部屋にこもって明日から出かけよう、ということになった私たち。早めに部屋で夕食を採り、楽しみにしていたお風呂の時間。

「じゃあ先に鉄朗どうぞ」
「え?」
「?私後でいいから、先に……」
「いやいやいや何言っちゃってんの名前ちゃん」

旅館には大浴場もついてるし外に出れば他にも温泉はあるけど、せっかくいい部屋にしたんだ、今日はゆっくり客室露天風呂に浸かりたい。
その気持ちは鉄朗も一緒だろうからと先に入ってもらうよう促せば、不満気な鉄朗はするりと私の腰に手を回して抱き寄せた。

「えっ」
「一緒に入るに決まってんでしょうが、」
「え!?いやいやいや、入らないよ!?」
「名前ちゃん広いお風呂なら一緒に入るって言ってました〜」
「い、言ってない言ってない!なんの話!?」
「結婚する前、俺ん家に泊まりに来て初めて一緒に風呂入った時!しっかり覚えてますぅ〜」

うそ、全然記憶にないんだけど。だけどそんな私の意見がまかり通るわけもなく、終いには「……せっかくの新婚旅行なのに」なんて悲しそうに言われてしまえば、頷く他なかった。

一度了承してしまえば、鉄朗はころっと機嫌を良くして私を脱衣所まで連れて行く。

「え、ちょ、てつろ、自分で脱げるっ」
「だーめ。今日は俺にやらせて?」
「うっ……」

私の顔を覗き込んで甘い顔してるけど、服の裾から潜り込んだ鉄朗の手はするすると私のお腹を撫でている。今ご飯食べたばっかりなのにやめてよ。抗議しようとしたのに、その言葉はニヤッと笑った鉄朗によって食べられてしまった。

「ん、……、」
「ふっ…………かわい」
「や、ぅ……んっ」
「……目とろとろになってる」
「ば、ばかぁ……」

最後にちゅっとリップ音をたててゆっくり離れていく鉄朗に、私は温泉に入る前から茹で蛸状態だ。
腰が抜けてガクンと力が抜けた私を支えて、抵抗もできないうちに服を脱がせていく鉄朗の悪い顔ときたら。ニマニマと口元を緩ませながら私を生まれたままの状態にすると、恥ずかしくて前を隠そうとする私をぎゅっと抱きしめ「可愛いねぇ」って耳元で囁いた。

「て、つ」
「先入っとく?歩けねえなら抱えてってあげますけど」
「うっ……さ、先、入ってます……!」
「ぶひゃひゃひゃっ!残念!」

もう一度、ちゅ、って今度は耳にキスを落とした鉄朗に恥ずかしさがピークに達して、私は耳を押さえたまま逃げるように露天風呂の方に出る。

「わ、」

そこにはもくもくと立ち込める湯気と熱気、それから宝箱をひっくり返したみたいな満天の星空。ところどころにぼうっと光るライトがいい感じのムードを醸し出していて、こ、これならちょっとは恥ずかしくないかもしれない。

「お〜、すげえ」
「鉄朗っ」
「ん?」

鉄朗の声に振り返れば、私と同じように一糸纏わない姿の鉄朗にドキンと胸が跳ねる。う、あ、や、

「なーに赤くなってんの。てか見過ぎ」
「そ、そんなこと、の、のぼせちゃって」
「ぶっ……!早くね?」
「も、もう!鉄朗のばか!」
「くくっ、もう何回も見てんじゃ〜ん、照れなさんなって」

クツクツと笑う鉄朗と、真っ赤になって照れる私。これが付き合いだしたばかりではなく既に籍を入れてこの間式まで挙げた仲なんだから、私だって驚きだ。
でもそんなの関係なく、いつまでも私は片想いしているかのように鉄朗に夢中で振り回されてばかりで。

鉄朗はぽんと私の頭に手を置いてから、洗い場に置いてある椅子に座る。二箇所あるそこに並んで私も座って、なんだか何を話せば何か分からず無言で身体と頭を洗った。

「名前ちゃん」
「ひゃい!」
「……ひゃい」
「びっくりしたの!」
「ふっ…ふふ…ひゃいって……」
「笑うなら普通に笑ってよ!」
「ぶひゃひゃひゃひゃひゃっ!」
「笑いすぎだから!」

ひぃひぃと肩を震わせる鉄朗はちょっと不服だけど、でもお陰で変な緊張は解れた気がする。
まだ笑いが収まっていない鉄朗が「入ろっか?」って私に手を差し伸べるから。私はその手を取って、熱い温泉に浸かった。

「ああ゛〜〜〜…」
「お、おじさんみたい…」
「はぁ〜?おじさんじゃないですぅ〜まだピッチピチのオニイサンですぅ〜」
「その発言がおじさんだよ」
「あ。もう怒った。クロさん怒っちゃったもんね〜」
「え……きゃっ……!」

お湯の中で、するりと伸びてきた手。そのまま私を抱き上げると、鉄朗さんの膝の上に乗せられた私は直に触れる肌にまたぶわわっと体温が上がる。

「な、なっ……」
「このままいちゃいちゃしよーぜ」
「いちゃ、いちゃ……?……あっ!だ、めだよ!ここ外!温泉の中!家のお風呂と違うんだからっ!」
「え?……あー……なぁに、ソウイウコト想像しちゃった?」
「えっ」
「名前ちゃんやらしぃ〜〜〜なになに、それがお望みなら俺も頑張っちゃいますよ?」
「違うから!もう!揶揄わないでよっ!」

私が鉄朗とお風呂に入ったのは、実は過去に一度きり。そのときは結局流されまくって色々と致してしまったことを思い出し、そしてそれを意識して口から漏れた言葉を指摘され、羞恥でバシャバシャと暴れれば鉄朗の顔にお湯がかかる。「目がぁあああ」と騒ぐ鉄朗を無視して、私はふんっと鼻を鳴らした。

「なぁ、名前ちゃん」
「…………」
「怒らないで、名前ちゃーん」
「……仕方ないから許す」
「ん。ありがと」

背中に触れる鍛えられた腹筋。お腹の前で緩く組まれた手。意識しないのは難しいけど、でもずっとそうしてて今を楽しめないのは勿体ないから。

ドキドキと高鳴る胸に気付かないふりをして、私は鉄朗の手に自分のそれを重ねる。

「明日も楽しみだな」
「……うん、」
「名前ちゃんの行きたいとこ、頑張って回ろうな」
「……うん、」
「あ、研磨に土産頼まれてんだった。忘れねえようにしないと」
「あはは、じゃあ私も覚えとくね」
「ん。……名前ちゃん」
「うん?」
「俺と結婚してくれて、ありがとう」

私の後ろから聞こえたその言葉が、ジンと耳に響いた。

「……鉄朗?」
「んー?」
「……私こそ、ありがとう」

体勢はそのままで頭だけ振り返れば、穏やかに笑った鉄朗と目が合う。水分を含んだ前髪はかき上げられていて、しっかりと見える顔にどきんとまた胸が鳴って。

「……大好き、てつろ」
「俺も。大好きだよ、名前ちゃん」

大好きな声が、大好きな人が、大好きな目が、私を捉えて離さない。ゆっくりとそれに吸い込まれていくように顔を寄せて……ふに、って唇がくっついた。
数秒触れ合ったそれはまた離れて、鼻先がくっつく距離のまままた見つめ合った私たち。

「……な、なんか熱くなってきちゃった」
「ふはっ……じゃあ上がろうか?」
「う、ん……」
「上がったらもう我慢しなくていい?」
「…………ん、」

ゆっくり頷いた私にニヤリと笑った鉄朗。そのとっても色っぽい表情に私はお湯の熱さだけではない、きっと鉄朗さん自身にくらくらと逆上せてしまっていた。

To be dizzy


21.06.13.
title by ユリ柩「満ちたあとのこと」
200,000 hit 企画より
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