黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

妬む




結婚後設定


「あれ?名前?」
「へ?」
「やっぱり!名前、名前だよな!?久しぶり!」
「あ…」

街中で名前を呼ばれた気がして振り返れば、そこにはもう何年も会うことがなかった懐かしい姿。ニコニコと私の名前を呼びながら、彼は一度はすれ違って振り向かせていた身体を完全に私の方に向けた。

それを認識した私の胸が、ドクンと一度大きく鳴る。

「元気してた?」
「う、うん…そっちも」
「元気元気。え、今何してんの?」
「えっと、買い物に…」
「ちーがうって、仕事とかの話!相変わらずボケてんなぁ名前は……?!」
「っ、!?」

ぐしゃりと私の髪をかき混ぜようとしたその手は、すんでのところで鉄朗の手に阻まれる。けれど鉄朗はその手を掴んだわけではなく、その手と私の頭の間に自分の手を滑り込ませ…ゆっくりと、そのまま私を自分の方へと引き寄せた。

「あ、名前の彼氏さんっすか?」
「あ、いや、違…」
「…夫です。妻がお世話になってます〜」
「夫…え!?名前結婚してんの!?」
「う、うん…」
「なぁんだよ連絡くれてもいいじゃん〜!結婚式とかは?もうしたの?」
「…うん」
「まっじで!うわ、全然言ってくんないのな!つれねぇ〜」
「あはは、ごめんね…」

曖昧に笑って、バレないようにキュッと拳を握る。まるで昨日も会って話したかのようなテンションで来られても困るのだ。最高に気まずい。鉄朗の方を見れない。

どうしよう、そう思ったその時に、鉄朗がぐんって私を覗き込む。急にパチリと合ってしまった視線に私は目を丸くして驚いた。

「…名前、早く行かねぇとあの店混んでくるよ」
「え…」
「あ、名前、今の連絡先って…」
「ほら早く」
「あ、うん…?」
「えっ、ちょ、」
「それじゃあ俺ら、ちょっと急ぐんでこの辺で」

見なくても分かる、鉄朗はきっとちょっと胡散臭いにこやかな笑みを張り付けて彼に小さく会釈をすると、そのまま私の手を引いて歩き出した。
最後に視界の端に映った彼はポカンとしていて、結局、追ってくることもなかったのでそれに少しホッとする。

「て、鉄朗、」
「ん?あ、あそこじゃね?」
「え、あ、うん」
「名前ちゃんの欲しいもんあるといいけどなぁ」

その後見上げた鉄朗は、至って普通、まるで今のは夢だったかのように笑っていて。それで私からまた掘り返すのも変だと思うし、でもきっと鉄朗は嫌な思いをしただろう。今のが誰かだって、察しのいい鉄朗が分からないはずがなかった。だから一言謝りたいけど、それはただ私の自己満足な気がして…そうしてずっと小さなもやもやが胸の中に広がっていく。

家に帰ってからもそれは同じで、不自然なくらいさっきのことには触れてこなくて。これはどっち?わざと?それか本当に、気にしてない?
なんて、よっぽど気にしているのは私の方。…だって逆の立場だったら、私は気にしちゃうもん。

モヤモヤとする胸を押さえながらソファに座る鉄朗に恐る恐る近付けば、鉄朗は私の顔を見た瞬間ぶっ…!と吹き出して…そして笑いながら私の手を引いた。ああ、私、多分全部顔に出ちゃってんだろうなあ。

「っ……くく、…どったの、名前ちゃん」
「…いや……その…」
「んー?何か聞きたいことがあるんじゃねえの?」
「………うん」
「どうした?」
「…あ、の」

鉄朗の膝の上に乗せられて、そこに跨って向き合うようにさせられる。いつもは見上げる鉄朗を見下ろすのはちょっと新鮮で…そして、その射抜くような目に見つめられてしまえばもう言うしかなかった。

本当は私だって、あんまり触れたくない話題ではあるけど…でも、こうしてモヤモヤしたまんまになるよりは、って。

「…今日の、昼のことなんだけど…」
「うん」
「その…鉄朗が…嫌な思い、したんじゃないかなぁ、…って」
「……それで?」
「それで…もしそうなら…あ、謝らなきゃって…」

声が震える。一瞬声のトーンが落ちた鉄朗が、眉を下げて笑った。

「なんで?名前ちゃんが謝ることじゃないっしょ?」
「でも…」
「んー…じゃ、聞いていい?」
「…うん?」
「あれは、名前ちゃんの、元カレとか…だったりしますか」
「………うん」
「でもなんか、名前ちゃんは嫌そうっつーか…気まずそうだったじゃん?俺に申し訳ないとか思ってるのとは別で、何か触れられたくないことなのかなぁーって…思ったんですけど」
「え…っ」
「違う?」
「…違うくない…です」
「ふっ、変な日本語」

鉄朗は、私の頭をよしよしと撫でながらその表情は変えない。穏やかな目で私を見つめて、「じゃあ、」と言った。

「名前ちゃんが嫌なことなら無理にこれ以上言わなくてもいいよ」
「………」
「でもまぁ…話してくれるなら、聞きますけど」
「え…?」
「名前ちゃんの旦那として?気になりますし」
「鉄朗…」
「吐き出したかったら、遠慮せずに吐き出して?」

その優しい言葉に、思わず涙腺が緩む。じわじわと歪んでいく鉄朗に、ゆっくりと目元を拭われてまた小さく笑われて。私の言葉を待つように下から覗き込むその表情に、胸がぎゅうっと痛くなった。

「あの人…は、大学の時に、付き合ってた人で…」
「うん」
「二年くらい付き合ってたんだけど…その時から…浮気とか、…ちょっと女の子にだらしないところがあって」
「うん」
「それでも好きだったんだけど…最後は、他に彼女にする子が出来たからって…振られちゃって……そ、それだけ、なんだけど」
「…は?」
「その、それからあんまり恋愛とかこわくなっちゃって……あんまりいい思い出じゃなくって……ごめんなさい…」

最後は、鉄朗に聞こえるかどうかも怪しいくらい小さな声だった。それでもしっかりとそれは届いたらしい。はぁ…ってため息を吐かれて、びくりと跳ねる肩。

そんな私に鉄朗は「なんで名前ちゃんが謝んの」ってそのまま腰に手を回して、さらに身体を密着させる。相変わらず至近距離で私を見上げる鉄朗に、我慢してた涙が一粒だけポロリと落ちた。

「マジで見る目ねぇな〜〜その元カレ。まぁアイツが名前ちゃんを手放してくれたお陰でこうして俺の奥さんになってくれたわけだから、そこは感謝してるけど」
「て、鉄朗、」
「まぁまた万が一会っても俺が何とかしてあげるし、何ならその時の分も含めて俺がガツンと言ってあげますし?」
「そ、そんなのはいいよ…!?」
「ふっ、…じゃあ笑って?やっぱ俺の可愛い奥さんには、笑ってて欲しいんですけど?」
「う、…」
「あ。照れた」

にひ、と笑う鉄朗にごくっと唾を飲み込む。この際だ。言ってしまおうか。

「………男の人がこわくなって…それで私が現実から逃げて、理想!ってなってハマったのが、クロさんなんだよ…」
「え?」
「だから…わ、私も……クロさんに出会えて…て、鉄朗が旦那さんで……良かった、よ」

こんなことまで言うつもりは、毛頭なかったのに。だけど私を安心させるように背中をぽんぽんと叩いてくれる鉄朗に、言わずにはいられなかった。

鉄朗はたまに「出会った時から思ってたけど名前ちゃんってたまにすごく大胆だよな」って言うけど、こういうところを言っていたのかもしれない。
言った後に恥ずかしくなって、顔に熱が集中する。ああ、鉄朗、フリーズしちゃってる。やっぱ言わなきゃ良かった!?さすがにちょっと気持ち悪い!?なんて思って、だけど次の瞬間……「きゃっ!」私を抱っこしたまま立ち上がった鉄朗が向かったのは、ベッドルーム。

「え、え?」「ちょ、てつ、てつろ?」さっきとは逆にいつもと同じ、下から見上げる鉄朗の顔は無表情で、その感情は読み取れない。
驚く私をベッドに優しく下ろした鉄朗は、そのままゆっくりと自分もそこに上がって私の上…馬乗りになった状態で、私を見下ろした。その視線があまりにも熱っぽくて…ドキドキと、胸が高鳴る。

「……ほんっと…やってくれんなぁ名前ちゃんは」
「え?」
「すぅぐ俺のこと煽ってきて…どうしたいの?え?まじでなんなの?可愛いすぎない?」
「ちょ、ちょっと、鉄朗?壊れた?」
「言っとくけど。俺めちゃくちゃアイツに妬いてっからね?俺の知らない名前ちゃんを知ってるのとか、ほんと、まじで無理」
「鉄朗、?」
「……名前ちゃんがアイツのことなんてもう忘れるくらい、俺のことだけ考えて欲しいんですけど?」
「…も、元から…鉄朗のことしか、頭にないよ…?」
「……はいもう反則、今のは名前が悪い」
「え、っん、…っ?」
「………責任とってね、俺の奥さんとして」
「ふっ……あ、っ…あ、…?!」

それから先は、お約束。結局はきっちり嫉妬していた鉄朗によって、甘い甘い時間を過ごすことになった私は…それさえも幸せで、胸を震わすのだった。


Be jealous of


21.05.16.
title by 朝の病「世界中君の思い通り」
200,000 hit 企画より
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