黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

呼ぶ



「名前ちゃん」
「うん?」
「観たいって言ってた映画配信されてるけど、一緒に観ません?」
「あ!観る!コーヒー淹れるね!」
「ありがと。準備しとくわ」

背中に鉄朗の言葉を受け、私は食器棚からお揃いのマグカップを取り出す。コーヒーメーカーにお気に入りのコーヒーの粉をセットすればコポコポという音とともにいい香りが漂ってきた。
私はお砂糖とミルクを入れて、鉄朗はブラック。二人分のマグカップを持って戻れば、鉄朗はソファの上でクッションを抱いて待っていて、大きな身体に似合わないその姿にくすりと笑みが溢れた。

「なーに」
「ふふ、ううん。可愛いなぁって」
「え、なに、どこが?名前ちゃんの方が可愛いから安心して」
「ふふふ、うん、…ふふ…ありがとう」
「?」

いつまでも笑っている私を見て口を尖らせているのが余計に可愛い。テーブルの上にマグカップを置いて鉄朗の隣に座れば、「違う、こっち」腕を引かれて私は鉄朗の足の間。後ろから抱きすくめられて、鉄朗が持っていたはずのクッションは足元に転がった。

「ふふ、これ観にくくない?」
「んー…ちょっと」
「?うん」
「こっち向いて」
「ん?んっ、む」

振り返れば、そのまま頬に手が添えられてはむっと唇ごと食べられる。唇を柔く食む鉄朗はそれ以上はせずに、私達の視線は至近距離で絡み合ったまま。優しい鉄朗の目に捕らえられてどんどん体温が上昇していくのを感じながら鉄朗の腕をきゅっと掴めば、鉄朗は最後にぺろりと私の唇を舐めて漸く離れていった。

「よし、観るか」
「も…、ばか」
「ははっ、かーわい」
「もぅ…」

何事もなかったかのようにそう言う鉄朗に、私は結局いつも翻弄されっぱなしなのだ。
前を向き直して、でも抱っこされるような形で腰に手が回ってきたからこのまま観ろということなのだろう。
せめて鉄朗から丸見えであろう耳が赤くなっていなければいいけど。だって私ばっかり、悔しい。

再生ボタンをタップすれば、すぐに観れるように準備されていた映画が再生される。わ、楽しみ。これ映画館で観ようと思ってたのにいつの間にか終わっちゃてたんだよね。

私はさっき落としたクッションを抱き抱えなおして後ろの鉄朗に体重を預けると、すぐに映画の世界に引き込まれていった。


* * *


「、」

違和感を感じたのは、映画も中盤に差し替かった頃。
最初は肩あたりがムズムズとする感覚に、虫!?とほぼ反射で身を捩ったのだが一緒についてくるそれが鉄朗の指だと知るとなんだと拍子抜け。
チラリと鉄朗を見るも鉄朗は画面に見入っているから、無意識かな?なんて私も気にしなかったのだけれど。

「………」

その後も鉄朗の指は、肩、腕、背中や腰と私の肌を好き勝手に滑っていく。くすぐったい感覚に何度も身体を揺らすけど、鉄朗はやはり気にも止めず、やがて限界を迎えた私は首ごと鉄朗を振り返った。

「ちょっと、鉄朗、くすぐったいよ」
「んー?」
「それっ、ちょ、ふふ、」
「すべすべで気持ちー」
「んふふ、やだ、あはは」
「観なくていーの?」
「観れなくしてるのは、ふ、鉄朗でしょ!」
「じゃあちょっと休憩な」

長い腕が伸びて、テーブルの上にあったタブレットの一時停止ボタンを押した鉄朗は、今度は私の脇下に手を差し込んだと思うと、そのまま身体を横向きにずらされお姫様抱っこのようにされてしまう。

ぐいっと鉄朗の顔が近付き、息がかかって。不意打ちのその距離感に、ぽぽぽ、と頬が染まった。

「ぶふふっ、顔真っ赤〜かぁわい〜」
「んんん〜…」
「いつまでも慣れないネ?名前ちゃん?」
「不意打ちはずるい!」
「そんなんでこの先どーすんの?」
「え?この先?」
「ん?するでしょ?」
「えぇ?いやいやいや、え、映画!観てるじゃん!」
「えー」
「えー、じゃないよ!」

ぷん、とわざと頬を膨らませてみるけど鉄朗はそれを人差し指でぷすっと潰し、そのまま未だ真っ赤な頬に滑らせた。

「どうしても?」
「…だってこれ、観たかったやつだし」
「また見直せばいいじゃん」
「えー」
「ね。名前ちゃん」
「んん…」
「名前、お願い」
「!」

ぎゅーーんっ!不意に耳元で囁くその声に、胸が大きく鳴る。ぜ、ぜ、絶対今のわざとだ!
されっぱなしが悔しくて、でもきっとこの顔で睨んだところで鉄朗には何ともないだろう。

「…鉄朗って」
「ん?」
「…ずるい」

せめてもの抵抗として私も鉄朗の頬をふにゃりと摘んでみるも、それさえも軽くあしらわれてしまった。

「何が?」
「だって…分かってて、名前と呼び捨て使い分けてるでしょ」
「あ、バレてた?」
「わかるよ…」

やはり。にやりと笑った鉄朗に、確信する。
結婚した時、せっかくだからお互い鉄朗さん、名前ちゃん、と呼び合っていたのを変えようと話し合った。そうして私は鉄朗と呼ぶことになったのだが…問題は、その逆。

今までちゃん付けで呼ばれていた名前を、呼び捨てで呼ばれる。たったそれだけのことなのにそれは堪らなく照れ臭くて、甘くて…

大好きなその声で、大好きな人に、そう呼ばれるだけで身体中の血液が沸騰したみたいに全身が熱くなって、耐えられない。…結果、もうしばらくの間はちゃん付けでお願いします、そうお願いしたのは私なのだが。

「…俺がずるいのは知ってたっしょ?」

鉄朗はそれを利用して、何かお願いしたいときや甘えたいとき…それからエッチでちょっと意地悪に私を攻めるとき、狙って呼び捨てを使い分けるようになった。ずるい人。その声で、…そんな表情で名前を呼ばれたら、私がなんでも断らないことを知ってるくせに。

「…知ってた」
「でも好き?」
「……好き、大好き、世界一好き」
「…名前ちゃんも十分ずるいけどね」
「…鉄朗さんのがずるいもん」
「うわ、その呼び方ちょっと懐かしい」
「…鉄朗さん?」
「でも呼び捨ての方がいいなぁ〜?」
「む…」
「ね、呼んで」
「…や…改めて言われるとなんか照れる…」
「ふっ…なんでよ」
「なんでも…」
「名前」
「っ……て、鉄朗」

熱っぽい瞳にまた私は捕まって、…そして今度こそ、唇が重なった。熱い。…甘い。口の中を丁寧にゆっくりと舐め取られ、身体中の力が奪われていく。そうしてきっと、鉄朗がいないとダメになっちゃうようにされちゃうんだ。…もう、されてるけど。

どこまでも深くまで落とされる、甘くドロドロに溶かす麻薬のような彼に気付いたらどっぷりとハマっていて…私がこの後どうなったかは、また今度お話しします。


Call


21.03.03.
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