黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

恋する



「…名前ちゃん」
「はい…」
「好き」
「…私もです」
「ちょー好き」
「わ、私も」
「めっちゃくちゃ好き、大好き」
「ちょ、鉄朗さ…」
「はぁー、まじ…ずっとこうしたかった…」

ぎゅうぎゅうと私を抱き締める鉄朗の腕の中で、「私も」と呟いた。またこうすることが出来る日が来るなんて、思わなかった。一ヶ月ぶりの鉄朗さんの部屋。たった一ヶ月来なかっただけで懐かしく感じる匂いを胸いっぱいに吸い込むと、思わず口角が上がる。

「…もう離れないでネ」
「うん…」

あれから、クロさんについて変な噂を流されることはなかった。けれど、クロさんがネットで叩かれている事実は変わらない。鉄朗さんは抱きしめたまま私の肩に顎を置いているから表情は見えないけど、でもその声は穏やかだった。

「名前ちゃん」
「ん?」
「俺、クロ引退するわ」
「…どうして?」

そうなのかな、ってほんとはちょっと思ってた。鉄朗さんはそう言うんだろうなって。だって分かっていたから私はそれを阻止したかったんだ。でもどうしてか今落ち着いて聞いてられるから、結局私は、鉄朗さんの、クロさんの決めたことなら何でも受け入れられるのかもしれないと思った。

「名前ちゃんがクロを好きになってくれて、俺を好きになってくれて嬉しかった。でもだから、そのせいで名前ちゃんが誰かに傷付けられるのは嫌なのよ」
「うん」
「守ってくれようとしたのも嬉しいけど、俺だって好きな子は守りたいし」
「うん」
「名前ちゃんが望むなら、名前ちゃん専用のクロになる。動画も、名前ちゃんのためだけに録ってあげる」
「えー…ふふ、ほんと?」
「うん、まじ。だから…名前ちゃんも、俺専用になって」
「…うん?」
「…黒尾名前ちゃんになってくれませんか」
「え…」
「俺と結婚してください」

いつの間にか合った視線に捕らえられて、身体が動かない。しっかりと告げられたのは思いもよらないプロポーズの言葉。…これ、動画じゃないよね。流石にこれは予想してなかったよ。

鉄朗さんは私からゆっくりと離れると、後ろにあった棚の引き出しに手を伸ばしそこから小さな箱を取り出す。

「…それ」
「クリスマスプレゼント」
「…っ」

開けられたそこに収まる小さな輝き。鉄朗さんは、もう一度私を見つめ直した。

「名前ちゃん、好きだよ」
「…私も、大好き」
「俺と結婚して」
「…はいっ」

思いっきり頷いたら、鉄朗さんは安心したように笑った。そして、大切な宝物みたいに私の左手を取って指輪を通してくれた。

「…今私、世界一幸せです」
「名前ちゃんの世界一は軽いからなぁ」
「そ、そんなことないよ!だって鉄朗さんとクロさん、独り占めできちゃうんだもん!」
「…どんだけ俺のこと好きなの」
「会ったこともないのに家に押しかけちゃうくらい!」
「ぶふっ…懐かし」
「…鉄朗さん?」
「ん?」
「…なんか服の中に手入ってきてるんですけど」
「…久しぶりに名前ちゃんとイチャイチャしようかと思いまして。クリスマスだし」
「ちょ、待っ…」
「特別に名前ちゃん専用のクロさんR18バージョンもお見せしちゃうわ」
「や、あっ…」

私はどこまでも鉄朗さんに弱くて、甘い。そのまま朝まで寝かせてくれないくらい愛されて、忘れられないクリスマスは過ぎていくのだった。


* * *


「ほんっとごめんね!せっかく誘ってくれたのに」
「いいですよぅ!先輩が彼氏さんと仲直り出来たなら、こっちのパーティーなんて来てる場合じゃありません!」
「ごめん、ありがとう…」

結局クリスマスは鉄朗さんと過ごすため、誘われていた会社のメンバーでのパーティーは断った。せめてものお詫びにと渡したコーヒーを手の中で転がし、笑いながら許してくれるほんとに良い後輩。

「そういえば…クロ、引退しちゃいましたね」
「…そうだね」
「残念ですけど、彼女さんと結婚するんだーって言うのは嬉しかったです!やっぱりクロは誠実な人なんだなって思えたんで」
「…そうだねぇ」
「…苗字先輩、あんまり残念そうじゃないですよね。あっ、自分も結婚決まったからクロからは引退するんですか?」
「えー、そんなことないよ。私は一生クロさんのファンだと思う」
「彼氏さん、そんなんじゃヤキモチ妬いちゃいますよ〜!」
「ふふ…大丈夫。彼氏公認だから」

苦笑いする鉄朗さんを思い浮かべながら、私は思わず笑ってしまった。

「結婚式呼んでくださいね!」

そして勘の良いこの後輩、実際に鉄朗さんを見たらクロさんだって気付いちゃうじゃないかなぁって思ったり。…それはそれでまた面白いから、今はまだ秘密のままで。


*

*

*

*


「名前ちゃん」
「んー…」
「名前ちゃーん」
「…なぁーに」
「…名前」
「ひゃっ」

耳元で低い声が囁く慣れない呼び方に、ビクッと身体が震える。後ろにのしかかるように抱き付いてくる鉄朗、を振り返れば、いつもの意地悪い笑みを浮かべていた。

「顔真っ赤なんですけどぉ。まだ慣れねーの?」
「…私が鉄朗の声に弱いって、知ってるくせに」
「呼び捨てと俺の声のダブルパンチにやられた?」
「…うん」
「素直じゃん」
「…もう一回して」
「まさかのおねだり」

しゃーねーなぁって言いながら、ゆっくり耳元に口を寄せて「名前」って呼ぶ声にくらくらする。そのまま鉄朗にもたれかかれば、手元にあったクロさんの動画を映し出すスマホは取り上げられてしまった。

「まーた俺がいんのに昔の動画観てるし」
「だって鉄朗いつもいるもん」
「なに?たまにはどっか行けって?鉄朗くん泣いちゃう」
「そんなこと言ってないでしょ…」
「てか呼び捨ては心臓に悪いからまだちゃん付けでいいんじゃなかった?」
「…そんなこと…は、言った…けど」
「自分は鉄朗って呼ぶくせにねぇ?」
「…鉄朗が呼んで欲しいって言ったんだもん」

拗ねたフリして頬を膨らませば、すぐさまそれを潰しに長い指が私の頬をつついてくる。かと思えばそのままするっとそこを撫でて、そのままゆっくりスローモーションみたいに口付けが落ちてきた。

「…可愛い」
「…鉄朗も」
「俺も?可愛い?」
「…かっこいい、好き、大好き、」
「…満点」

お隣さん、クロさん、黒尾さん、鉄朗さん。たくさん増えた呼び方はその時の思い出と一緒に今でも全部宝物で。結婚してお隣さんじゃなくなった鉄朗は今でも私を翻弄して離さない。

ニヤリと怪しい表情も、変な笑い方も、世話焼きで優しい性格も、たまにふざけて茶化してくるところも、かと思えば色気たっぷりな声も…結局私は今までも、これからも、ずっと鉄朗とクロさんに恋しているのだ。

真っ赤な顔を見られないように、私はもう一度今度は自分から鉄朗にキスした。


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20.9.30 fin.
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