黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

頼る



鉄朗さんと別れてから特に休みの日は地獄で、何もしていないと前までだったらほぼ確実にどちらかの部屋で過ごしていた時間を思い出して苦痛だった。
休みの日には考えてしまうことを避けるようにして予定を入れた。実際は部屋にいなくたって、街を歩く度に憎らしいくらい感じるクリスマスムードがもう一緒に過ごす人がいない事実を余計に感じさせて苦しくなるだけなんだけど。

「先輩、最近彼氏さんとはどうなんですか?あれから結局何にも話聞いてないですよね」
「あー…うん、別れちゃったんだ」
「えっ」

今日は仲の良い後輩とランチ。自分で言った「別れた」という言葉にまだ慣れなくて、ぎゅっと心臓を掴まれたような感覚に陥る。それでもそれで涙が出なくなった分、マシになった方だと思うしかなかった。

「大丈夫ですか…?」
「…うん、もう一ヶ月は経ってるし。全然大丈夫だよ」
「そうですか…あ、じゃあクリスマスの日、暇ですか!?会社のメンバーでパーティーしようって言ってるんですけど、先輩もぜひ!」
「へぇ…あー…うん、じゃあ参加しよっかな」

全力で気を遣わしているのが伝わって申し訳ない気持ちが込み上げてくるけど、素直に感謝した。本来なら鉄朗さんと二人で迎えていたかもしれない時間を一人で過ごすのは、まだ無理そうだ。

「わかりました!もうお店とか決まってるんで詳細送りますね!」
「ありがと〜」

その後も他愛のない話をして、たまに仕事の愚痴を言ったりして、一人じゃない時間というのは過ぎるのが早い。
今週はまぁまぁ充実した休日を送れている。こうやって、ちょっとずつ、少しずつ、慣れていくんだろうか。どんな大きな傷だっていつかはカサブタになるみたいに、もう立ち直れないと思っていてもそのうち平気になっていくのかもしれない。出来ればそんな日が早く来て欲しい、そう思った。

それなのに。

「鉄くん、早く〜」
「ちょ、引っ張んなって」
「向こう見ようよ!」

ランチを終えて、お店を出た瞬間目に飛び込んできた光景。家からも離れているし、普段そんなに来るような場所でもないのにどうしてこんなタイミングで。神様はどこまで私に意地悪するんだろう。

数メートル先に、鉄朗さんと、女の子が歩いているのが目に入った。私が鉄朗さんを見間違えるはずがない。向こうは私に気付くわけもなく、仲良さそうに並んで行ってしまったけど私はしばらくその後ろ姿から目を離せなかった。

「先輩?どうしました?」
「あ、ううん…何でも…」
「…わ!顔色悪いですよ、大丈夫ですか!?」
「うん……ごめん、ちょっと…気持ち悪くって」
「え、ど、どうしよ…お手洗い行きます?」
「ううん…ごめん、申し訳ないんだけど…今日は解散でいいかな」
「はい、全然…タクシー呼びましょうか?」
「大丈夫、大丈夫…ごめんね、それじゃあまた会社で…」
「はい、気をつけて帰ってください…!」

半ば無理矢理後輩に別れを告げ、さっき鉄朗さんが歩いて行った方とは逆方向に足を進める。頭の中では、さっき見た二人が離れない。嫌だ。どうして。少し歩いて、でもすぐに蹲み込んだ。

思い出したくなくてこんな風に外に出てきているのに、こんなにも簡単に私の中へ鉄朗さんが戻ってきてしまう。そして、この前は別れたくないみたいなこと言ってたくせに、なんて鉄朗さんまでも責めてしまう自分は最低だ。
忘れたいのに、忘れたくない矛盾。自分から手放したのに、いざ鉄朗さんが他の人と歩いていると知っただけでここまで動揺するなんて。いつかこうなるのは分かっていたはずなのに。

ああもうどうすればいいんだろう。ぼたぼたと大粒の涙が頬を伝う。ここ、外なのに。止めなきゃ。そう思えば思うほど、意志に反して泣けてくる。

しばらくそうして、周りからの視線も痛いしそろそろ本当に立ち上がらなきゃ。そう思ったとき。目の前に大きな影が差した。

「あの」
「は、…い…すいませ、」
「体調悪いんですか?大丈夫ですか?」
「はい…大丈夫、です…すいません、」
「…名前さん?」
「え、」
「名前さんですよね」
「あ…赤葦、くん…?」
「はい、赤葦です」

声をかけてくれた人は、夏以来会っていなかった鉄朗さんの後輩、赤葦くんだった。私と知るやいなや驚いた顔をして、でもまたすぐに真顔に戻って私の手を取ってくれる。そのままゆっくりと立ち上がらせて、近くのベンチに誘導してくれた。

「これ、ハンカチです。今日使ってないから綺麗なんで、ふいてください」
「すいません…」
「いえ。気分悪いとかありますか?」
「ううん、そういうのじゃなくて…大丈夫です…」
「…いえ」

ぐずぐずと鼻を啜っている私の隣に腰を下ろした赤葦くんは私が話し始めるのを待つつもりなのか、そのまましばらく無言でただ側にいてくれた。そうしてようやく涙が引いてきた頃。泣いてぼんやりとした頭でも今の状況がとても申し訳なくなり、口を開く。

「ごめんなさい…あの、もう平気なんで…」
「何があったんですか?」
「…え…っと」
「…なんて、白々しいですかね。黒尾さんから別れたって聞いたんですけど、関係ありますか」
「…バレバレですね」
「ちなみに言うと、孤爪からもちょっと話を聞いています」
「…研磨くん」
「はい」
「………」
「俺で良ければ、話、聞きますよ」

優しい赤葦くんの声がじんわり響いて、ここ最近ずっと張り詰めていた心がふと軽くなった気がする。それは何故かは分からない。でも、赤葦くんにだったら、相談してみてもいいかもしれない、そう思ったのだ。

それにもう自分一人では到底抱えきれなくなっていた。誰にも相談できないと思っていたのに、今はもう話してしまいたくなっている。やっぱりここでも矛盾している。それ程までに私は弱り切っていたのかもしれない。

「…実は」

それからは、あったこと、思ったこと、全て話した。クロさんのファンらしき人に脅されたこと、顔も関係も全部知られてしまっていること、クロさんには私のせいで引退して欲しくないこと、だから嘘を言って別れたこと。上手く話せずに言っていることも順番もぐちゃぐちゃだったのに、赤葦くんは顔色一つ変えずに聞いてくれて、それにひどく安心した。

全て話し終えて、それまで相槌を打つくらいで静かに聞いてくれていた赤葦くんは、少し何かを考えた風にした後ゆっくりと口を開いた。

「…じゃあ名前さんは…黒尾さんのことがまだ好きなんですね」
「…はい…でも、鉄朗さんはもう…」
「それ…ちょっと俺に任せてもらっていいですか」
「え?どういう…」
「ちょっと、心当たりあるんです」
「え?」
「とりあえず応援呼びますね」

困惑する私をよそに、スマホを操作している赤葦くん。誰かに連絡している…?

「すぐ来るそうです」
「あの、何のこと…」
「すぐにわかります」
「えぇ…」
「……赤葦」
「あ、思ったより早かった」
「すぐ近くにいたから」
「研磨くん!?」

突然現れた研磨くんに驚いて、思わず大きな声が出た。今連絡していたのは研磨くんだったのか。本人たちはというと特に顔色を変えず話しているから、もしかしたら今日元々約束していたのかもしれない。だけどその後出てきた名前に私はまた驚いた。

「…名前さん、今日この後、俺たちと、あと黒尾さんとか木兎さんとかと集まる予定なんです」
「え…」
「って言ってもまだ時間あるんで…さっき言ってたの、俺たちに協力させてください」
「でも…」
「…名前さん」
「…はい」
「黒尾さんは、今も名前さんが好きですよ。それは俺が保証します」

赤葦くんが、私の目を真っ直ぐに見つめてそう言う。研磨くんも、それには何も言わずにただ小さく頷いた。私はそれだけでまたじんわりと目の前が潤んで見えなくなりそうで、慌てて赤葦くんのハンカチを目元に当てる。

「…さっき見たことも含めて、どういうことなのか、知りたいですよね」
「それは…」
「もし全部解決したら、…黒尾さんとまた一緒にいれますよね」
「………はい」

本当に、信じてもいいんだろうか。また鉄朗さんと笑える日が来るんだろうか。…来てほしい。願わくば、また鉄朗さんの隣に立ちたい。

「……お願い、します」

赤葦くんと研磨くんに何か策があるのか、何か知っているのか、どうなるのかも全然分からない。それでも一人で抱え込んでいた時よりずっと心強い。私は深く深呼吸して、ゆっくりと頷いた。



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20.9.22.
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