黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

振り回す



「おつかれ、名前ちゃん」
「ありがとう。鉄朗さんもお疲れ様」
「おー、ありがとー」

急いで着替えて準備をしてから鉄朗さんの部屋に行くと、すぐに鉄朗さんが迎え入れてくれた。いつも通り部屋着の鉄朗さんは、扉が閉まるなりすぐに私を抱き寄せて軽くキスを落とす。

「んっ…もう!こんなところで!」
「いやー楽しみに待ってたんでつい」
「…ゆ、許す…」
「ぶふっ、相変わらずちょろいなー」
「もう!」

ぺしぺしと小さく鉄朗さんの背中を叩きながら中に入ると、なんだかいつもより綺麗に片付いている気がする。いや、いつもだって別に散らかっているわけではないけど、それよりも更に。
楽しみにしていたから落ち着かなかったのかなぁ、なんて想像して口元が緩んだ。

「お腹すいたぁ〜、ご飯作るね」
「ちょい待って、名前ちゃん、こっち」
「?」
「ご飯後でいいから、ここ来て」
「でも…」
「いーから」

何故だかわからないけど、少しだけ嫌な感じがした。普通に手招きしてくれてるだけなのに、何か目が怖くないですか、鉄朗さん…?
荷物だけ置いてキッチンの前に立ったけれどすぐに鉄朗さんの隣に戻って、大人しくそこに座り込む。

突然訪れた、ついさっきまで甘い空気が流れていたはずなのにそれは夢だったのかもしれないと思うほどにピリついた雰囲気。え、どうして?よくわからないけど手にじんわりと汗が滲む。

「名前ちゃんさ、最近研磨と仲良いね?」
「へっ」
「研磨が来た日だけなんか帰ってくんの遅いなぁって思ってたんだよなぁ」
「そ、それは…時間的にいつも下で会うからで」
「そんなに女子と話すような奴じゃないと思うんだけど」
「この前はごめんねって謝って、なんとなく話す仲に…」
「ふーん」

言いながら、並んで座る鉄朗さんに視線を向けるけど、鉄朗さんは前を向いたままで目は合わない。その横顔は笑ってはいない、怒ってるように見える、真顔。何を考えているのかはわからない。

「…さっき下で研磨と話してんの見た」
「え?」
「名前ちゃん遅ぇなーって思って、下まで迎えに行ったんですけど」
「そ、そうなの?」
「でもなんか楽しそうにしてっから…なんか……あああもう!」

鉄朗さんはそのまま、私の肩に頭を乗せるようにしてもたれかかってきた。重くなった右側に、体が自然と少し傾く。

「…名前ちゃんって天然人たらしだよな」
「えっ!?」
「それかわざと?まじであの動画みたいにして欲しいの?」
「あの動画って…」
「名前ちゃんお気に入りの、俺に嫉妬されてお仕置きされるやつ」
「えっ…!ち、違うよ…!」
「まーそうだわな…それは冗談だけど」
「えっと、鉄朗さん、…もしかして、ヤキモチ?妬いてくれたの?」
「……今日くらい、俺優先して欲しかった」

拗ねるような口振りが可愛くって、不覚にもキュンとした。私に向き直ってぎゅうぎゅうと抱き締めてくれるせいでその顔は見えないけど、この大きな身体で、あの鉄朗さんが、嫉妬して拗ねている。これほど破壊力のある事実があるだろうか。
恐る恐る、鉄朗さんの髪を撫でる。ぴくりと鉄朗さんが反応したけど、でも何も言わなかった。大人しく、されるがまま。しばらくずっとそうしていた。

「…誕生日、研磨くんに、教えてもらったの」
「…へぇ…なんで名前ちゃん知ってんのかなって思ってた」
「…鉄朗さんが、何したら喜ぶかなとか…普段どういうこと話してるのとか…鉄朗さんの話ばっかりだよ、いつも」
「…まじ?」
「うん。クロと同じようなこと言わないでって、よく怒られる」
「………」

ぎゅううって、抱き締められる力が強くなった気がする。それが小さい子供みたいで、大人の男の人に使う形容詞ではないと思いつつもやっぱり可愛いと思ってしまった。

しばらくその状態でもぞもぞしていた鉄朗さんは、ゆっくりと顔を上げて…久しぶりに合った視線に、どきりと胸が鳴る。まるで私の存在を確かめるように、頬を撫でて、耳をなぞって。
そして満足したのか、深く息を吐いた鉄朗さんは眉を下げて笑った。

「…ごめん。ちょっと妬いた」
「うん」
「…嬉しそうにしないの」
「だって」
「…俺ら二人とも研磨に妬くとか、知られたらすっげぇ嫌な顔されそう」
「ふふ…想像できる」

笑いながら、ちゅ、って触れるだけのキスをした。私からすることなんて初めてで、鉄朗さんは少しだけ驚いた顔をした。そしてさっきみたいにちょっとだけ拗ねたように口を尖らせるから私のキュンキュンメーターは振り切りっぱなしだ。そういう、鉄朗さんの方がずるいの、自覚して欲しい。

「…やっぱ名前ちゃんは小悪魔デスネ」
「そんなこと言うの、鉄朗さんぐらいだよ」
「俺以外に言われてたらマジでキレちゃうかも」

だって、愛おしいって思ってしまったんだもの。

「もっとしよ」
「えー、ご飯は?」
「まぁまぁ。俺誕生日だし」
「明日だよ」
「前夜祭っつーことで」
「どういうこと」

私がくすくす笑うと、鉄朗さんはムッてして、でも優しく唇を重ねてくる。少し開いた隙間からにゅるりと舌が侵入してきて、深く深く味わって、そのままゆっくりと私を押し倒した。


* * *


カーテンの隙間から入ってくる光で自然と目が覚めれば、隣にはまだ寝息を立てている大好きな恋人の姿。まるで抱き枕かのように包み込まれているから身動きはとれなくって、何とか鉄朗さんに向き合おうともぞもぞと体制を変える。するとその動きで起きてしまったのか、鉄朗さんがゆっくりと目を開いて至近距離で見つめ合う形になった。

「…はよ」
「お、おはよう…」
「ん…なに」
「い、いえ」
「んー…?」

寝起きの掠れた声が妙に色っぽくて、昨夜のことを連想させる。そんな私がドキマギしてしまうのにも目敏く気付く鉄朗さんは、まだ頭はうまく働かないのかじーっと私を見つめるだけ。

途端に衣服を身に付けないで寝たせいで触れ合っている素肌を意識してしまい、反射的に離れようとしてしまう。そしてそれも、鉄朗さんによって阻止されるのだが。

「なんで離れようとすんの。離れたら寒いでしょーが」
「だって恥ずかしい…」
「初めてでもないのにぃ?」
「だって昨日、は…その、」
「激しかったから?」
「!」

にやーって笑うのはきっと確信犯だ。
そう。昨日はあの後一回、ご飯を食べてお風呂に入りながら一回、そして勿論夜だってなかなか寝させてくれなかった。
今までしょっちゅうお泊まりだってしたことあるのに、鉄朗さんのヤキモチ騒動があったからなのか、そして私も楽しみにしていた日とあってちょっとテンションが上がってしまっていたのか、いつもより盛り上がってしまったのだ。

思い出してカッと熱くなる身体に、気付かないフリをして。離してくれないならせめて顔が見えないようにと、その逞しい胸元に顔を埋める。
そんな私に、鉄朗さんが笑ったのが分かった。

「なぁ、言ってくんねーの?」
「なに…」
「今日何の日?」
「…お誕生日おめでとう、鉄朗さん」
「顔見せて」
「ん…」
「ふっ…かわい」

日付が変わった瞬間にも、言ったけど。やっぱりちゃんと言いたくて、そろそろと顔を上げて伝えれば鉄朗さんの満足気な表情が飛び込む。

「そうだ、プレゼントあるの…」
「んー、後でいーよ。もうちょっとくっついとこ」
「…うん」
「なんなら今からする?」
「し、しない!」
「残念」

全然思ってないでしょ、って思ったけどそれを言ったらどうなるか分かってるから、なにも言わない。まだ小さく笑ってる鉄朗さんに、何が面白いの、って小さく睨むけどそれさえも鉄朗さんは嬉しそうに微笑むから。まぁいっか、って思ってしまうのだ。

もうちょっとこの温もりを味わって、それから起きたらもう一度「おめでとう」って伝えよう。そして、プレゼントを渡して、一緒に出かけよう。
鉄朗さんに喜んでもらいたくて、今日まで一生懸命色々準備してきたんだから。

だから、もう少しだけこのままで。


To wield


20.9.6.
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