黒尾長編 Let me sleep in your voice fin

隠す



「あっ」
「あ…」
「こ、こんばんは」
「…どうも」

いつもの帰り道、曲がればマンションが見えてくるっていう曲がり角ですれ違った人に見覚えがあって、つい声をかけてしまった。パーカーのポケットに手を入れたまま歩くその人も私の顔を見て、気付いたようにぺこりと会釈をしてくれる。
ついこの間恥ずかしすぎる勘違いに巻き込んだ、鉄朗さんの幼馴染みの研磨くんだった。

「えと…この前は、すみませんでした…」
「…いや、」
「今日も、鉄朗さんのところに?」
「クロのパソコンが壊れたって呼ばれて…」
「あー、そういえばそんなこと言ってましたね…」

ぼそぼそと小さく発せられる言葉に、もしかして迷惑がられているのかな、話しかけない方がよかったかな、なんて思いながら何とか会話を続ける。反射的に呼び止めてしまったけれど、やっぱりあまり良く思われてないに決まってるし。
私は心の中では土下座をしながら、どうやって会話を切り上げようか必死に考えていた。

「…えと…もう帰るんですか…?」
「…敬語」
「え?」
「…敬語、苦手だから……俺の方が、歳下、だし」
「あっ…じゃあ……もう帰る、の?」
「うん…今日は俺がパソコン修理してるからいつもより隣でうるさかったし。クロの話はお腹いっぱい」
「そっかぁ…研磨くんと鉄朗さんって、どんなこと話すの?」

話していると、何となくわかってきたのは研磨くんは私が嫌なんじゃなくて、多分誰にでもこうなんだってこと。人と話すこと自体がそんなに好きじゃないし、人見知りもあるのかもしれない。
それに気付いていながらまた話題を振ってしまったのに少しだけ"しまった"と思ったけど、でも鉄朗さん以外の人から鉄朗さんの話を聞くのは少し新鮮で、ついつい聞きたくなってしまう。

「…動画のこととか……あと、苗字さんのことも…クロが一方的によく話してる」
「えっ」
「…主に惚気」
「お、お恥ずかしい…」

言いながらもにやけてしまうのが自分でもわかった。鉄朗さん、他の人に私のこと話したりするんだ。

「…クロもそういう顔、してたよ」
「えっ!」
「早く帰らなくていいの?」
「あ、そうだ!鉄朗さん待ってるんだった」
「…じゃあ」
「うん!研磨くん、またね!」
「……ねぇ」
「うん?」
「…知ってるかもしれないけど…クロ、もうすぐ誕生日だよ」
「え!待って、いつ?」
「11月17日」
「ししし知らなかった!鉄朗さん何が喜ぶかな…?」
「…さぁ」

曖昧に首を傾げて、研磨くんは今度こそ帰って行った。でもそんなこと気にしちゃいられない。このタイミングで知れてよかった、一番大切な人の誕生日。まだ一ヶ月くらいはある。私はすぐに脳内会議を開いて鉄朗さんの喜びそうな物をリストアップしだすのだった。


* * *


「…名前ちゃん今日は何かボーッとしてんな」
「えっ」
「悩み事?」
「いや、特にそういうことは…あ、そ、そういえば帰りに研磨くんにあったよ」
「あぁ、今日来てたから…パソコン直してもらってて」
「直った?」
「うん、ばっちし。…研磨となんか喋ったの?」

座っていると後ろからするりと手が伸びてきて、自然に鉄朗さんに抱き締められる形になる。耳元で響く声に密かにドキドキしながら、誕生日のことは絶対バレないようにと注意して言葉を選ぶ。せっかくなら、サプライズにしたいし。
でもそれに何か違和感を感じているのか鉄朗さんの声は若干不機嫌な様子で、内心ヒヤヒヤするのは私が隠し事がヘタクソだからだ。

「特に、挨拶したくらいだよ」
「ふーん?」
「ど、どうしたの」
「…別に」

言いながら、首筋に口を寄せてくるのはやめて欲しい。触れるか触れないか、微妙なラインで時々掠ってくる鉄朗さんの唇に全神経が集中してしまい、身体が熱を持ち始める。

鉄朗さんの微妙な動きにぴくん、ぴくん、と反応してしまう身体。それに少しだけ機嫌を直したのか、鉄朗さんの唇は今度こそダイレクトに肌を滑り出した。

「や、あ…」
「名前ちゃんはここも弱いよなぁ」
「や、やめてっ」
「耳も弱えーし?」
「あっ、」

ちゅ、とリップ音がして、耳にキスされたんだと理解するのはすぐだった。すると鉄朗さんはまた嬉しそうにくつくつと笑って、それも振動となって伝わってくる。

それがなんだか悔しくって振り返ると、待ってましたと言わんばかりの表情で「なに?ちゅーしたくなった?」って言うからもう何度目かわからない、この人には叶わないなって思わされる。

私がなんて答えるかわかってる表情。それにさえもキュンとする。「…うん」って素直に頷けば、いつものニヤニヤとは違って柔らかく愛おしそうに私を見つめて、ゆっくり口付けを落とした。

溶けそうなくらい甘い甘いキスに、結局どうして機嫌が悪かったのとかわからないまま。どうでもよくなってしまうのだ。


* * *


あの日から特に怪しまれることもなく、着々と鉄朗さんバースデーの準備を進めてこれたと思う。季節はつい最近まで残暑に苦しんでいたのに、最近はめっきり寒くなってきた。鉄朗さんの誕生日は明日に迫っている。
実はあの後も何回か研磨くんと同じように帰り際に会い、割と強引だったとは言えなんと連絡先まで交換してもらったので、何かと鉄朗さんのことを聞いては協力してもらっていたのだ。

「それにしてもよく会うねぇ」
「…前から割とよくすれ違ってたよ。俺よくクロん家呼ばれるから…帰るのはいつもこの時間だし」
「あ、そうなんだ?」
「それにクロ…SNSでのHNさんのことよく話してたし…苗字さんってわかってからは俺が一方的に知ってた」
「えっ…あ、そうなんだ…」

あれから四回目の研磨くんとの遭遇。いつかの赤葦くんと同じようなことを告げられ、それは紛れもなく事実なんだと再確認する。嬉しいけど、恥ずかしい…でもやっぱり嬉しい。

研磨くんはどっちかって言うとかなり人見知りみたいなので最初はそんなに話してくれなかったけど、会うごとに話しかけていればそれは通常運転なんだと分かってきたから特に気にしていない。
鉄朗さんの誕生日に何をすればいいか決めかねていた私がいつも何が好きかなどを聞くと、またかと言う表情で少し面倒くさそうにだけど答えてくれる。

「クロに直接聞けばいいのに…」
「いや、でもなんかサプライズしたいって言うか」
「苗字さんってほんとにクロ好きだよね…」
「えっ!?…ま、まぁ、その…うん…?」
「似た者同士だね」
「へへ、そうかな…」

思わず照れ笑いする私にげんなりした表情を見せる研磨くんとも、この数週間でだいぶ打ち解けてきたと思う。

「…プレゼント、結局どうしたの」
「えっと、研磨くんがこの前言ってたみたいに最近キーケースを探してるみたいだから、それにしようかなと…」
「へぇ」
「聞いてきてドライですね」
「あんまり興味ないから…」
「聞いたのに!?」
「ふふ…」
「な、なに…」
「…クロが気に入るの、なんかわかる気がする」
「何それ…」

それだけ言い残して帰っていく研磨くんを見送った後、私も自分の家に足を早めた。今日は一度帰って着替えた後、鉄朗さんの家にお泊まりの予定だ。

「…鉄朗さん、喜ぶかなぁ」

鉄朗さんのことを考えてばっかりだったここ何週間かを思い出し思わず笑みが溢れる。楽しみだ。最高の誕生日にしてあげよう。なんて、改めて気合を入れるのだった。


To concealment


20.9.4.
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